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「むぅ…?」



真っ白な障子が茜色に染まり始めた頃。
幸村は穏やかな昼寝から目を覚ました。



「、ゆみ…?」



眠い目を擦りながら、寝る時まで腕の中にあった筈の小さな少女が居ないことに気付いた。

とうに起きて、いつもの夕餉前の散歩に出掛けたのだろうか。

けれど、幸村の胸は酷くざわついた。
言い様のない焦燥感に襲われ、部屋の中をきょろきょろと見渡す。
広い部屋の中には、自分以外の気配はない。
けれど、何かが気になる。

ハッと目に入った文机にばたばたと寄れば、出しっ放しだった紙に短い言葉。



『ありがとう』



たった一言だけ記されていたのは、紛いもなく、繊細なゆみの字。



「、ゆみ!?」



身体が一気に冷えたような感覚を覚え、幸村は部屋を飛び出した。
けたたましい足音と共に飛び込んだゆみの部屋。
其処にあったのはゆみの小さな姿ではなく、きちんと畳まれた彼女が着ていた自分のお下がりの着物。



「、何故だ…!?」



どうして、どうして。
確かに彼女は心を開いてくれていた。
あどけない笑みを浮かべていた。
寝る直前まで自分の傍にいた。
またクッキーを作ってくれると約束してくれた。
なのに、何故?

呆然と着物を見詰め、見付からない答えを探す。



「旦那、ただいまー。
あれ?ゆみちゃんは?」



その時、空気を破るように背中に掛けられたのは、任務に発っていた忍の姿。
きょろきょろと小さな少女を探していた彼は、放心したように紅の着物を見詰めている主に気付き、異変を悟った。



「…旦那、どうしたの?」



サッと傍らにより、顔を覗き込む。
放心状態だった幸村はゆっくりと佐助に視線を剥け、表情を歪めた。



「―――消えたのだ…」

「…!?」



『俺の文机の上に、『ありがとう』と手紙を残して…』
悲しげな幸村に、佐助は直ぐ様動いた。
城中を探し、女中達に聞き、門番に聞き。
きっと、心を開いた彼女の悪戯だ。
けれど、何処にも姿はない。
昼以降、誰もその姿を見ていない。


「クソ…ッ!!
忍隊が居ながら、何をしてたんだ…!!」



自分が居ない間、異変がないか見張る筈の真田忍隊ですら、誰も異変に気付いていなかった。
怒りと、自分が居たならと言う歯痒さにどうしようもなくなる。



「旦那!!」



再び戻ったゆみの部屋。
幸村は、変わらず畳み置かれた着物を見詰めて微動だにしない。
そんな主に小さな舌打ちを零れてしまうのを自覚しながら、佐助は再び彼の傍に寄った。



「旦那!!しっかりしろって!!」



肩を揺するが、幸村は反応を示さない。
苛立ちを募らせながら着物に視線を移した佐助は、ハッと在ることに気付いた。
紅の着物は一部分だけ色を濃く変えていた。
手にとって其処に触れてみれば、微かな湿り気。



「、旦那!!
ゆみちゃんは、出て行きたくて出て行ったんじゃない!」

「、…」

「着物、濡れてるよ!
ゆみちゃん、きっと泣いてる!!」

「、」



佐助の言葉に、幸村はピクリと反応した。
手渡された着物に触れると、確かにその襟から胸元が濡れていた。

思えば、ゆみは強い子だった。
静かに死を待っていて、守られるのを拒み、心を開いてからも信玄が輿入れをと言った冗談も、黙って受け入れようとしていた。

それは、本当のゆみは、脆くて臆病だったからだ。
傷付けることを恐れ、誰かの不利益になることを恐れる。
その為に、自らを厳しく律し、内に閉じ込めて。

そんな彼女を守るのだと誓った筈なのに、また独りで堪えさせようとしている。
漸くその事に気付いた幸村は、残された着物を抱き締めて立ち上がった。



「佐助!」

「はいよ!そうこなくっちゃ!」



いつもの真っ直ぐな瞳を取り戻した主に、佐助は嬉しそうに笑みを浮かべた。



「着物の濡れ方からして、まだ出て行ってからそんなに時間は経ってない筈だぜ!」

「うむ!!
それに、おなごの足ではそう遠くにも行けぬ筈!」



走り出した幸村に佐助も続き、忍鳥を呼んび、ゆみを探すように命じる。
馬を引いて飛び乗った幸村と、風のように素早く木々を駆け出した佐助。



「旦那。
ちゃんとお姫様を連れて帰らないと、俺様達、大将に殺されちゃうかも。」

「無論、何があろうと連れ帰る!
果たして見せましょうぞ、お館様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」



おどける佐助に、雄叫びを上げる幸村。
いつもの自分を取り戻した二人は、更に移動の速度を速めた。

きっと、今頃一人で泣いている筈の少女を探して。



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