侍女達の制止を振り切って小屋の奥へと進んで行く。かなり小さな小屋だというのに、侍女達のせいで奥へと進みにくい。

「清正様、これ以上進むのは御止め下さいませ!」

漸く目的の場所へと辿り着き、侍女達の制止の声がより一層高まった。大半の侍女があまりの事に泣きそうな顔をしている。だがそれを気に留める事もなく清正は足を進めた。そして、目的の人物を視界に捉える。しかし報告に来たのであろう足軽が一人其処におり、彼はその人物を守るように立ち、武器を構えた。

「…お前達、下がりなさい」

凛とした声が辺りに響き、その人物が足軽や侍女を押しのけ、清正の方へと近付いて来て彼の目の前で立ち止まった。侍女達と足軽が非難の声を上げるともう一度、下がりなさい、と今度は先程よりも強い声で同じ言葉を口にした。こうまでされては彼等も黙るしかなく、仕方なく一礼し、この場から離れて行った。何人かは清正を睨みつけたが、清正はそれに気を留めずただ、ただ目の前の人物を見つめた。特に足軽は複雑そうな顔をしていたが、貴方はよくやってくれましたされど下がりなさい、と言われては下がるしかなかった。

「まさか、清正様が私の居場所を見つけ出すとは思いませんでした」
「なまえ…」

清正が名を呟けば、なまえは悲しそうに微笑んだ。昔も今も、こんなにも悲しい笑みだというのになんと美しいのだろうか。彼女は悲しんでいるというのに、この笑みに胸が高鳴る。

「先程、足軽の彼に聞きました。あの人に言われ、私に伝えねばと命辛々一人で此処まで来たそうです。そして、聞きました…やはり、我が夫は負けてしまったのですね」
「…ああ」

関ヶ原での戦は、東軍の勝利という形で勝敗は決した。なまえは敗北した西軍の石田三成の妻である。云わば三成に一番近しい人物であり聡い女性で、無論、どちらに勝利の目があるのか口には出さずとも理解していたに違いない。また、このままでは自分がどのような運命を辿るかという事も。

「清正様、昔馴染である私の最期の我儘を聞いて下さいませ。今すぐ此処より立ち去って下さい」
「…自害するつもりか」
「これより我が夫は処刑されます。そして私はその処刑人の妻。それに加え私は何処の馬の骨とも分からぬ身分の低い身。徳川殿が私などを生かしておく筈などありませぬ。なれば、今この場にて命を絶ちます。それが妻の役目です」

やはり、と思い清正は唇を噛んだ。なまえならばそうするだろうと思っていた。最初、三成は大坂城へとなまえを匿わせるつもりでいたと聞いた。あそこならばねねがいる。ねねならば自分が死んだ場合、なまえを救えるかもしれないと思っての事だ。しかしなまえは夫の傍に居たいと関ヶ原より数刻で辿りつける数里離れたこの地のこの小屋を、そして生よりも死を選んだ。死して、死後の世界で再び三成と共になるつもりでいる。そんな事はあってはならない、絶対に。
清正はなまえを腕を掴み、自分の腕の中へと抱き寄せた。ふわり、となんとも良い香の香りが漂ってきてそれが鼻をくすぐる。

「俺の妻になれ」
「…何を仰るかと思えば、そのような戯言、」
「お前が三成に嫁がなければ、俺はお前を嫁に迎えるつもりでいた」

昔よりずっとなまえに恋焦がれていた。だというのに、なまえは三成と恋仲になり、挙句に三成の正室になってしまった。これにより想いを伝える事は叶わず、どれ程この想いに悩まされ続けてきた事か。

「貴方の言葉が真のものであろうとも、私は命を絶ちます。例え清正様の妻になったとしても私は徳川殿に殺されるでしょう。それに、何よりも私は石田三成の妻なのです」

さあ放して下さいませ、となまえは言う。確かに、清正の妻になったところでそう簡単に家康がなまえを殺すという考えを止めるとは思わない。家康にも体面というものがある。三成の妻ならば殺すべきだ。だが、きっと自分とねねに頼み込めば何とかなる。今この場に居ない正則もなまえを妹のように思っている為、彼も協力してくれるだろう。

「ならば、三成を捕えたのが俺だとしたら?」

腕の中のなまえの身体が強張ったのが分かった。表情に関しては自分の腕の中で真っ直ぐと前を見つめている為、見る事は出来ないがどのような表情をしているかは想像がつく。

「それは、真ですか」
「ああ」
「嘘、偽りは御座いませぬか」
「ああ」

なまえが顔を上げ、清正を見つめた。泣き出しそうな顔をしているというのに、瞳の奥に怒りが見えた。否、むしろこれは殺意だ。

「もう一度言う。俺の妻になれ」
「…そうしたところで、私に何の利があると?」
「殺したければ、好きな時に殺せばいい。殺す事が出来るなら、の話だが」
「……清正様は、酷い御方。私の貴方への殺意を利用し、私を手に入れようとしている。そして、私では貴方を殺せぬだろうと云う事を理解している」

どれ程、なまえを愛しく想っていようとも非力な女である彼女に殺されるような力量の持ち主では無い。それぐらいの事は自分でも理解している。それ故、自分への殺意を利用したところでなまえを自らのものにするだけで殺される事は無いのだ。なまえにとってこれ程の屈辱は無いかも知れない。そうだとしても、構いをしない。

「分かりました。このなまえ、これより加藤清正様の妻となりましょう。いつか貴方の首を戴き、我が夫の元へ逝く為に」

顔を下げ、清正の胸へとなまえは顔を埋める。心の中で良心がやめろと叫ぶがそれを心の奥底へと押し込む。なまえの髪を撫で、弄び、唇を寄せた。これより先、なまえにとっての地獄が、自分にとっての極楽が始まる。
彼岸の地にて奴は何を思い彼女を待つのだろうか、という考えが一瞬頭を過った。しかしそれを振り払い、今度はなまえの唇へと自分のそれを寄せた。


20100131

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