「徳川を、討ちます」

何年も前からいつか彼がこの言葉を発すると分かっていた。あの、忌ま忌ましい長篠での戦い以来、生きる意味を失い彼はずっと死にたがっていた。
それから二人の友を彼は得た。本来ならば喜ぶべき事なのにおかげで更にその思いは増した。他人の為に生きるこの男はこれから友の為に生きる事が、戦う事が安易に考えられたからだ。そして、友の為に死ぬのだという事も。友の一人が死に、もう一人が敵となった今、彼は目的を失っている。だからこそ、漸く「死ねる」に違いない。元より彼は戦場でしか生きられない。これより天下は徳川のものとなり泰平の世が訪れる。それは彼には地獄なのだ。まだ豊臣が天下を統一した時は友が居たが、今はもう居ない。生きる意味がない。

「それ故、なまえ殿には御挨拶をと」
「……そう、ですか」

彼と自分の関係は武士と侍女という違いはあれど以前は武田家に仕えていたというものである。本来たかが侍女である自分がこのように彼と会話をするなど希有な事なのだが、武田滅亡により生き残った侍女は自分だけでありそれが縁で偶然にも会話をするようになった。
だが、今は自分は徳川に仕える身となった為、彼と彼の友人と同様に敵同士となってしまった。それなのにわざわざやって来たのは武田という昔の縁の為に違いない。

「幸村様は、戦に勝つおつもりなのですか」

誰の目から見ても豊臣に勝ち目などない。戦力の差は歴然だ。それなのに戦いを挑むなど、正気の沙汰ではない。

「…なまえ殿、私は武士です。それは例え最期の時であろうと変わりませぬ」

嗚呼、これが彼の答えなのだ。やはり死ぬつもりでいる。勝とうと負けようと生きるつもりなどない。ただ武士として生涯を終えたい一心で今此処に居る。彼は知らずとも、武田の頃から彼を見続けてきた自分にはそれが分かる。そして、決して止める事が不可能だという事も。

「……幸村様、そろそろ行かれた方が宜しいです。此処は徳川殿が治める地。それに対し、貴方は敵なのですから」
「…そうですね。戦の前になまえ殿と会えて、良かった」

何やら吐きそうな気分になってそれを抑える。彼はそんな自分に気が付かず去って行こうとする。殺意が、湧いた。

「幸村様、最後に一つ」

気分が悪い。吐きそうだ。それでも彼を呼び止め、見つめる。不思議そうな顔をしているのを見て心の底から彼は酷い人だと思った。

「私、貴方が昔から嫌いでした。とてもとても、嫌いでした」

彼の顔が歪められ、なまえ殿、と名を呟く。本当に昔から彼が嫌いだった。憎らしかった。死にたがりで、自分勝手で、所詮は全て自分の為。自己満足。相手の思いを分かっているつもりになって分かってなどいない。そんな彼が、誰よりも何よりも大嫌いだった。


20100123

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