神童拓人という人間は雷門中学において女子生徒からの人気が異様に高い人物であった。容姿、人柄、成績、家柄、等々の良さから、彼は天から二物も三物も与えられた存在と言えた。そんな神童に好意を抱く人間は人気と比例する形で大勢いた。無論、なまえもそのうちの一人であり、一年生の頃から好意を抱いていた。しかし神童と釣り合えるものはなまえは持ち合わせていなかった。何もないなまえには神童を遠くから見続け、ただただ叶うことのない好意を抱き続けることしかできない。そう思っていたのが、つい数ヶ月前のことだった。

ピアノの発表会へ向けて練習をするために音楽室でピアノの練習を始めたのが全ての始まりだった。なまえは幼い頃からピアノを習っているものの、残念ながらその腕前は褒められたものではない。最近始めたような子の方がうんと何倍も上手い、そんなことが幾度もあるほどに昔から技術が向上しない。それでもピアノを弾くのは好きで、止めずに続けていた。そんなピアノの発表会から近く、だというのに偶然にも家のピアノが壊れた挙句に直すのに時間がかかるというため、断られるのを覚悟で音楽教師に学校のピアノで練習したいと相談したところ、案外あっさりと許可をもらうことができた。部活でピアノを使う時間以外、という制限がついてはいたがそれでも家のピアノが直るまで使えれば十分だった。そうして何度目かになる学校でのピアノの練習を熟していたたある日。唐突に音楽室の扉が開かれた。更に扉を開いた人物はなまえが恋い焦がれ、見続けることしかできなかったあの神童拓人であった。

「君が、今の演奏を?」

そう言ってふわりと微笑む神童の姿になまえの胸はこれまで感じたことがないほどに高まった。あの神童くんが、私に、微笑んでいる。それだけでなまえは天にも昇る気持ちになれた。
これが神童と初めてまともに会話をした時のことであり、また、これがきっかけで神童と以降も接点を持つこととなった。神童曰く、前々からなまえの演奏が気になっていたらしい。あの演奏をする人物は誰か。その人物と是非とも会って話がしてみたい。そう思っていたらしい。そしていてもたってもいられなくなり、演奏中に音楽室に入り込んで来てしまったという。なまえからしてみれば夢でも見ているかのようであった。あの神童が自分のような人間に興味を持ってくれるなど想像もできなかった。こちらが一方的に知ってはいても、神童は自分のことなど知らずに一生を終えていくものだと思っていた。学校だけでなく、ピアノでもなまえは神童のことをよく知っていた。あまりにもレベルが違いすぎて彼と同じ発表会に出ることは一度もなくとも、演奏を聴くために何度会場に足を運んだことか。それが、どうだ。これを夢と思わずなんと思えばいいのか。

それからである。神童と音楽室以外でも言葉を交わし、視線を交わし、自分や多くの者が望んできたものを手に入れ始めた。もう遠い人物ではない。こうも神童は近しい人物となった。そうなまえは思いかけていた。だが、暫くして違和感を覚えた。近くなった筈なのに、やはり、まだ神童は遠く感じる。むしろ前よりもずっと。
それもその筈であると言えた。やはり神童となまえでは違っていた。なまえでは釣り合わない。釣り合えない。唯一の接点と言えるピアノですらレベルが違いすぎて接点と言えるか怪しいものに感じ始めていた。そして、だというのに余計になまえは渇望していた。神童とこうして接すること自体が十分に過ぎたことであるというのに、それ以上を望んでいる。叶わないと思っていた神童と接することにより、想いは膨れ広がり、神童を独占したいと考えるようになっていた。それが叶うものではないと知っている。それを望むことにより今の状況すら壊れかねない。それでも望んでしまう。

「みょうじ? どうかしたのか、さっきから俯いてばかりで」

もう何度目かになる音楽室での神童との邂逅も、おかげで嬉しい筈なのに嬉しくない。折角神童が話しかけてきてくれているのに、じわじわと胸の内に黒いものが広がっていく。晴れやかな気分になれない。

「……あ、えーっと……私の演奏って本当に上達しなくて駄目だなあって思っちゃって」
「確かに技術はまだまだかもしれないが……俺は、みょうじの演奏は温かくて好きだな。なんというか、みょうじの人柄をよく表していて」

照れくさそうに神童は笑う。少し前ならばこの言葉に大喜びしていただろう。しかし今は喜ぶことなど到底できなかった。

(違う、そうじゃない。私は神童くんが思っているような人間なんかじゃない)

今だって心の中でどうすれば神童を自分だけのものにできるか考えている。温かさなんて微塵もない。そんなもの持ち合わせていない。そう心の中で叫ぶが、実際に声に出して叫ぶことなどなまえにはできる筈がなかった。所詮自分のことばかり大事な人間には、そうすることなんてできはしない。神童に気付かれないように、罪悪感に飲まれぬよう、只管に心の中で叫ぶだけだ。

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