あれから数日が経ち、私は捕虜とは思えない様な待遇を受けている。質素ではあるがそれなりの一室を与えられ、自由に外を出る事は出来ずとも女官が常に世話をしてくれ大して不自由のない生活を送っている。何故、こんな事になったのか。どうやら姜維がこうなるように劉禅に掛け合ったらしかった。姜維も劉禅も何を考えているのだと言いたくなる。それほどまでに私の待遇は捕虜とは思えないものだ。

私と同じく捕まった者達がどうなったかは聞いていない。きっと彼等は捕虜としての結末を迎えたのだろう。彼等を思うと私は胸が苦しくなってくる。私はこのような待遇だというのに。姜維としては幼馴染である私を思ってなのだろうが私には侮辱以外何でもなかった。憐れまれているように感じて仕方がない。

今日も女官が捕虜に出す食事とは思えない食事を運んで来た。蜀の武将達が口にしている者と同じだと此処に連れて来られた初日に女官に言われた。私はそんなものは必要ない。だから出された食事は未だ一度も口を付けてはいなかった。女官が心配して一口でもいいから口にして下さい等と言ってきたが口にする気はなかった。口にしたくない。食事を口にはせずそうやって思考しながら見つめていると扉が開いた音がした。誰か部屋に入って来たようだ。

「また何も口にしてないみたいだな。そのうち倒れるぞ」
「……夏侯覇」

入って来たのは夏侯覇だった。女官が声もかけずに入ってきた事を怒ったが夏侯覇は笑って謝った。なんとも彼らしい。今は蜀の者となってしまったが魏に居た頃、夏侯覇とは仲が良い方だった。その為、私に対して大分砕けた話し方をする。言ってしまえば友人のようなものでそれが嬉しくて私はそれを咎めた事はない。そのせいか魏を裏切ったと言える夏侯覇を嫌ってはいない。そもそも生きる為なのだから仕方がない。この乱世だ。それに父親の仇である蜀へ逃亡しようと考えたぐらいだ。つまりはそれほどまでに生きたかったという事だろう。だから私は夏侯覇を嫌わない。夏侯覇も魏に居た頃と何一つ変わらぬ態度で接してくれている。

「相変わらず、蜀に降るつもりはないって事か」

何か言いたげな表情で夏侯覇が見つめてくる。おかげで私は目を逸らさねばならなかった。昔から夏侯覇に見つめられるのは苦手だ。どうも夏侯覇の望む言葉を言いそうになるという不可思議な気持ちにさせられる。そんな魅力が夏侯覇にはある。

夏侯覇はずっと蜀へ降るよう私に勧めている。彼が蜀へ降る事となった時もそうだった。魏から脱する前、私の所へ寄って来て一緒へ蜀へ降ろうと言った。確かに私の身が危なくなるであろう事は明白だった。私の身を案じてくれての事だった。しかし私はそれを拒んだ。例えそうなろうともそれが魏の為に、義父上がつくりたい仰っていた世に繋がるならばそれで良い。夏侯覇が蜀へ逃亡する事が分かっていた事になるのだが、仲達等には私は何も言わなかった。わざわざ私の身を案じて来てくれたのだらそれぐらいしても良いと思った。仲達はそんな私に何も言わなかった。私が夏侯覇を見逃した事を知っている筈なのに特に咎めようという気はなかったようだ。

「とりあえず、何か口にした方がいいと思うぜ。姫さまが倒れたら、俺、困るし」

今とかどれだけ心配してると思ってるんだよ、と言って夏侯覇は少し怒ったような顔をしてみせた。私としてもあまり夏侯覇には心配をかけたくはなかった。それでも食べようという気が起きない。よって私は少し俯いてただぼんやりと目の前の食事を見つめる事しか出来なかった。

そうしていると女官が何故かこちらへ近づいて来た。何だろう、彼女も食べろと言いに来たのだろうか。だが女官が口にした言葉は私の想像したものとは違っていた。ある人物が来訪した事を告げに来たのだった。驚いて私は顔を上げ、合いたくなんてないのにその人物と目が合ってしまった。

「夏侯覇殿の言う通りだ。何か口にした方がいい」

……ああ、顔なんて上げるんじゃなかった。姜維が困ったような笑みを浮かべながら部屋へ入って来る。姜維の姿を見たのは捕まったあの日以来だ。女官の話では執務に忙しくて此処へ来る時間が取れないというものだった。だというのに、今、此処に居る。つまりそれは漸く時間が取れたという事なのだろうが出来ればずっと時間など取れずにいてほしかった。

どう返答すべきか迷っていると夏侯覇が、じゃあ俺はこれで、と言って部屋から出て行こうとした。夏侯覇なりに気を遣ったつもりなのは分かるが私としてはむしろ行かないでほしい。まだ夏侯覇が居てくれれば安心出来る。心強い。しかしそんな私の願いも空しく、夏侯覇は出て行ってしまった。更に女官までもが同じく気を遣って出て行ってしまった。どこか安心したように微笑みながら、だ。

「……月夜、久しぶりだな」

姜維は私に近づきそう言った。私は何も答えなかった。姜維とどう接すれば良いのか分からない。例えばあの時は伯約と呼んだが今は「敵」であるが故に姜維と呼ぶ事に決めている。そう。幾ら数年ぶりに会った、会いたいと思った幼馴染とはいえ敵なのだ。如何すれば良いというのだ。

「まさか月夜が魏の公主になっているとは思わなかった。公主が庶民であった事や名が曹月夜という名だとは知っていたが、お前の事だとは。否、考えはしたがそうであってほしくないと思っていた」
「…………私も、貴方が蜀の将になっているとは思わなかったわ。しかも、あの諸葛亮の弟子だったなんて」

だが何も答えぬわけにはいかぬだろうと思い、私は口を開く。姜維の事は夏侯覇から聞いた。魏を裏切り蜀へついた事や諸葛亮の弟子であった事。それ等を聞いて本当にあの私の幼馴染が、と思ったものだ。あの頃だったら想像も出来なかった。

「何故、今回の戦に? 月夜がわざわざ戦に出る必要はないだろう」
「必要があるかないかは私が決める事よ」

何だか私の魏への思いを否定された気がして思わず間髪を容れずに返答した。私が出る意味がない事も、むしろ足手まといにしかならぬ事だって分かっていた。足手まといではなかったのならば今此処には居ない。本陣の後ろに置かれ、名のある将が私の護衛をしていたというのに捕まるなど余程の足手まといだという事が証明されたわけだ。それでも魏の為に何かがしたかったのだから仕方がないではないか。しかし私は己の行為は浅はかであったと思う。私と共に捕まった者達の事を思い出す。彼等は私のせいで捕まったようなものだ。そして死んだ。やはり忠告通りにしておくべきだった。

私の態度に姜維は余計に困ったような顔をした。久々に再会した幼馴染の昔とは違うこの態度に戸惑っているようだった。

「そういえば、月夜は未だにそれを身につけていてくれたのだな」

姜維の視線が私の頭の方へと移る。否、正確にはあの髪飾りへとだ。私は捕虜となる前と同様、この髪飾りを身につけている。これを私に贈ってくれた少年が敵として再び私の前に現れたと分かっていても外せなかった。私にとってこれはそれほどまでに意味があるものだった。外すのは無理だ。一生外しはしないだろう。

「公主には似合わぬ物だろう。あまりにも幼稚で安物だ」
「そうね…過去に何度もそう言われたわ。そんな物は捨ててしまえと。公主に相応しいものではないと」

義父上にも義母上にも何度言われた事だろうか。それでも私は外さなかった。幾らこれをつけろと高価な髪飾りを与えられても拒否した。これ以外に私はつける気がない。これしか嫌だ。私には、これしか。

「それでも、月夜が捨てずに身につけていてくれたことが、私は嬉しい」

駄目。止めて。そんな顔しないで。私を見て姜維が優しく微笑んでいる。いけないと思っても胸が高鳴る。姜維は敵だ。私は魏の公主で、姜維は蜀の将なのに。それなのに胸が高鳴る。流石にこうなっては私は姜維が未だに好きなのだと自覚せねばならなかった。昔と変わらない。いつも優しくて、温かくて、私はそんな彼を愛しいと思ってしまう。

そんな私の思いを知ってか知らずか姜維は私の手と自分の手を重ねてきた。姜維の体温が伝わってきて振りほどかねばと慌てたが身体が言う事を聞かない。如何しようもなくて、体温を感じながら相変わらず微笑む姜維を見つめ、この場を脱する手段を考えねばならなかった。

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