「ふふっ、また脱走。したんですって?」

髪を後ろで一本に結わき、全身を黒で統一された如何にも冗談などが通じなさそうな男に、長くふわふわとしたウェーブが眼を引く綺麗な髪の女性は、楽しそうに尋ねる。




「そうです。“また”です。」


その男は見た目よりも若いらしく、身に纏う黒いスーツは、まだ少し新しい。スーツにない皺を眉間に刻み、丁寧な言い回しの言葉は、まるで文章を読んでいるかのように淡々と発せられる。


「それで“また”貴方が見つけてくれたんでしょ?」



「…まぁ、そうですね。」


「いつも貴方ね?」

「彼女の考えそうなことぐらい分かっていますからね。隠れる場所も」


「そうね。ありがとう」


「貴女も分かっているのなら注意してほしい。」


「でも、私ココから自由に出れないから」


「それは彼女も同じ筈なのですがね」


「クスクス。」


「笑い事じゃありません。」

「ごめんなさい。嬉しくってつい、ね?」


「…言ってる意味がわかりませんね。」


「貴方はあの子の事、“彼女”って言ってくれるでしょ?」


「当然です。女の子に対して“彼”ではおかしいでしょう。」



「違うわ。私達は新羅にとっては“物”なのよ?」

「‥‥。」


「ちゃーんと、人として見てくれてる証拠ね?」



「貴方のそういうところ好きよ?ツォン。」


ツォンと呼ばれた若い男は目を瞑り、腕を組み、そのまま指で自身の二の腕をトントンと叩くと、眉間に皺が一本追加された。



「ほら、また怖い顔になってるわよ?」


「…元からです。」


「ツォンの笑顔、見てみたいなー。」


「私と貴女の関係にそんなもの必要ない。」






「…ねぇ、ツォン?」



「何ですか。」


「“インプレツェオ”って言ってみて?」


「何故です?」

「言って。」


「…断ります。」


「じゃあ、もう協力。しない」


(初めからそんな気ないくせに、この人は…。)


「はぁ…。分かりました。何でしたっけ?」


「“インプレツェオ”」








「…“インプレツェオ”」


「良くできました。」


まるで子供に言うように言われ、眉間に皺が増えそうになったが、ため息と一緒に不満を吐き出し、なんとか皺は二本で収まった。


(どうせ、ろくでもない事なのだろうな…)

あまり──‥
いや、全然期待できないものの、気になった答えを一応聞いてみる。



「で?どういう意味なんです?」



「セトラの言葉で“貴女が大切です。”」


「──っ!?そんな恥ずかしい事を言わせたのか!?」

「あら!良いじゃない。その表情!さっきの怖い顔より全然、素敵よ?」


「素敵じゃなくて結構!まったく貴女は何を考えてるんだ!?」




「…さっきの言葉はエアリスも知らないわ。誰も知らない言葉なら、ツォンも恥ずかしい事なく、想い。伝えられるでしょ?」


「生憎。そんな予定はない。」


皺が増える。


「きっと、出来るわよ。」



「‥‥‥。」


「だから、その時まで覚えていて?大切に。」


「覚えている気は、ない。」


そのまま言い捨てる













…つもりだった。




彼女の少し残念そうな顔を見るまでは。



「…でも、記憶力は良い方です。」


「ありがとう。あの子の事、よろしくね?」



それが、彼女──イファルナと話した最後の言葉だった。




彼女は数日後、一人娘を連れて新羅ビルから脱走した。



(母子揃って、まったく…。しかし、さすが母親か、娘よりも規模が大きいな。)


「何、ぼーっとしてるの!?ツォン!早く探しに行くわよ!?」


「あぁ。」





その少し後だった。




彼女の死を知ったのは───‥。








彼女の大切だった娘も、十代半ばを過ぎ、あと数年もすれば二十歳だ。



(随分と長い付き合いになったものだな。)



その間、彼女も一人の女性らしく恋をした。
しかも、驚くことに相手は彼女の大っ嫌いな新羅の誇るソルジャー1st。





「ツォンって暇なの?」




「そう見えるか?」

「うん。すっごく!」

「‥‥‥。」


「だってね?ザックスが、きっと暇だから毎日毎日私が承諾するハズのない誘いをしに来るんだ!って」


「‥なるほど」


因みにこの“なるほど”は“確かに”という意味ではなく、事の発信原が分かり、奴なら言いそうだ。という意味で、決して“その通りだ”という気持ちは一切ない。


「俺だったらそんな無駄な時間使うぐらいなら、好きな子の所に走ってくね。って言ってた。」


(つまり、その言い分で奴はこの前の“任務審査及び、報告会”に欠席したと…)



“任務審査及び、報告会”とはソルジャーや一般兵など新羅の社員が定期的に集まりその名の通り日頃の任務や仕事などを報告し、審査される場である。



この会合は、任意ではあるものの、今後の任務内容や仕事内容に大きく影響し、各々の給料に多大な影響があるため、実にその9割が出席をする。


そして、その残りの僅か1割の方にザックスが存在する。


(まったく、風邪や急な任務が入ったわけでもないのに、そんな理由で欠席とはな。確かに最近、あの会合で奴の姿を見ないとは思っていたが、)


「‥アイツらしいと言えばアイツらしい、か」




「何が?」


「いや、こちらの話だ。」



「…うーん。」


目の前の彼女が小さく唸りながら難しい顔で私の顔を覗き込む。


「なんだ?」


「ツォン、怖い顔ばかりしてるからかな?」


「…元からだ。」


そんなんじゃモテないよ?と彼女が続ける。





「モテなくて結構。」


「ふふっ、言うと思った。ザックスがね?ツォンに、“早く好きな子作れ!”って」


(余計なお世話だ。)

「いないの?好きな子。」

恋愛話だからか、珍しくエアリスも積極的に会話を続けるな。と感じつつ、昔、言った覚えのある言葉を口にした。



「生憎。もう、そんな予定はない。」


少し変えられたその言葉をイファルナが聞いたら、瞳をキラキラさせながらツォンを問い詰めたかもしれない。


(…いや、イファルナには最初っからそんな風には答えないな。)


「えー?そんな事ないと思うなぁ。」



「…何故そう思う?」

「クスクス。だってね?私にだって好きな人。出来たんだよ?ツォンだって、いつかきっと好きな子。出きると思うな!」


そう言った彼女は、先程、想像した頭の中の母親そっくりの笑顔で綺麗な碧の瞳をキラキラさせていた。




あの日の記憶が静かに、それでいて強くハッキリと甦る。







──‥大切に、大切に自分の中に閉まっていた言葉。



あの日、聞きもしていないのに彼女に教えられたセトラの言葉。




一度、鼻先で、ふっと笑いエアリスを見る。


「好きな人がいるのは良いことか?エアリス」

「うん。すっごくね?楽しいの!」


「そうか」


「だから、ザックスじゃないけど、ツォンも好きな子が出来ると良いなって」


「私にはもう、縁のない話だな。」

「あら?わからないじゃない?ツォンって意外と好きな子出来たら、尽くすタイプだったりするかもよ?」


「そう見えるか?」


「クスクス。少なくとも、怖い顔じゃなくなるかもね?」


(私はそんなに怖い顔か…?)


「そうね、うん。ツォン顔、怖いから、ちゃーんと言葉にしないと伝わらないよ?」



(───‥言葉、か)


「好きだ!とか、一緒にいてほしい!とか、あとねー…」


例のソルジャーから言われたことのある言葉なのか、思い出すようにエアリスは言う。





その様子に少し、顔には出さずにムッとした。










───それならば…




「いや、…それならもう決められている。」

「え!?本当!?なになに!?」



もう、誰も使っていない言葉。







目の前の彼女すら通じる事なく。


誰の記憶にも残らず、語り継がれることもない。







大切な言葉。






(いや、らしくない…)


でも、今言わなくてはきっともう二度と機会はないと思い、揺らいだ決意をもう一度固める。


(この一度きりだ。その後はきっと…)


今日、今を最後に───




「“インプレツェオ。”」


「いん…?」






永遠に使われることはなくなる。


「どういう意味?」


「さぁな、忘れた。」


「ふ〜ん…」


どうやら、本当にエアリスも知らないみたいだった。


(無理もない、彼女は物心をつく頃には既に新羅に囚われのみとなっていたのだ。)




通じなかった言葉に少し安心し、どこか残念にも感じた。






「意味はわからないけども…」


ふわりと笑う、君。





「…なんだ?」






「今のツォン。良い表情してたな。すごく、優しそうだった!」


「‥‥。」


確かに、恋愛話など自分が最も苦手とする話なのに、珍しく眉間に皺がないと気づいた。



「ふふっ、良くできました。」


「‥‥‥。」

ハッとした。思わず眼を見開く。




───‥いつかの彼女を思い出させる優しくあたたかい笑顔がそこにあった。



やはり、また子供に言うように言われ少しの不満は感じたが、あの時と同じで──






悪い気はしなかった。





「さて、私はそろそろ戻らせてもらおう」


「あれ?良いの?いつもみたいに“協力しろ”って言わないで」



「言えばしてくれるのか?」

「しない。」


「ならば、言っても仕方ない。」


不思議そうに、今にも教会から出て行こうとするツォンの背中を見つめながらエアリスは小さく首を捻る。


「安心しろ。頼まれたからには最後まで面倒見てやるさ。」


「それ、全然安心、出来ないんだけど?」



ツォンは一度振り返ったが、結局何も言わず教会から出て行った。





消えていく言葉と


秘めた想い。



虚ろな存在の二つだが
互いに、口にした分だけ




少し、救われた気がした。




「フッ。年上の話しは聞いておくものだな。」








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なんじゃこりゃ!?

2011 04 21


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