兄への小さな反抗(後編)


ばれた。
何がって、バイトをやっていることが。
誰にって、ニールに。
やばい。非常に、やばい。






時刻は…何時かと思って携帯を見ようとしたらどこにもなかった。どうやらバイト先に忘れたらしい。だからわからない。
だけどもう辺りは真っ暗、空には星が煌めいている。そもそもバイトが終わったのが10時ごろだから、そうでなければおかしいのだが。
そしてバイトもとっくに終わっていて、家に帰って遅い晩御飯を食べるような時間だということはなんとなくわかる。
でも、俺はまだ星が煌々と輝いている空の下にいる。まあ簡単に言えば家には帰っていないということだ。
家に帰らない。
それが、俺がどうしようか考えて取った策。そう言ったら聞こえはいいけど、要するに逃げたのだ。俺は、兄弟達から。
でも、これからどうしようか。
ミハエルの家に行ってもヨハンさんから連絡が行くだろうし、そもそも携帯すらないから連絡も取れない。
生憎ホテルに泊まるだけの金も持っていないし、まさに八方塞り。
もう今日は適当にどこかで過ごすか…と思い近くの公園へ足を踏み入れた。






公園のベンチに腰かけ、もう今日はここで寝てしまおうかと考えを巡らせる。
だが、春とはいっても夜は冷える。制服は防寒具にはならないから、やはり少し寒い。ベストを着ていたのが幸いだった。
ここ最近学校にバイトに刹那の相手にと休む暇もなかったから、一息ついたことで一気に睡魔が襲ってきた。あ、これ、まずい、寝る。いやまずくはないか?
ああ、もう、だめだ。このまま寝てしまおう。
そう思ってベンチに座ったままうつらうつらと意識を手放そうとする、と。

「い、…っ!?」

頭に鈍い衝撃が走った。反射的に頭を上げると、そこには。

「ら、ライル…」

息を切らしてこちらを睨みつけている2番目の兄がいた。






「何してんだ、お前」

息を切らせつつもしっかりとした口調で尋ねられる。その声色はいつもよりずっと低くて、怒っていることを如実に表していた。

「何、って」
「こんな時間に、こんなところで、連絡もしないで、何をしてたのかって聞いてるんだ!」

怒っているのにどこか泣きそうな表情で怒鳴るライルを見て、帰らなかったことを少し後悔した。

「わ、悪い。携帯、忘れちまって」
「どこに」
「それ、は…」

バイト先に、なんて、言えない。もしかしたら、ライルはまだ俺がバイトをしていることを知らないかもしれない。
言葉を濁す俺を見てライルはひとつため息をついた。そして携帯を取り出してどこかへ電話をしだした。しばらくの沈黙。

「ん、ああ兄さん?ハレルヤ見つけたから。これから帰る」

電話の相手はニールだった。向こうの声は聞こえないけど、了承したという類の返事をしているのだろう。
通話を切って携帯をズボンのポケットに仕舞ったライルは、俺の腕を掴んで思い切り引っ張る。ただ座っていた俺は、それに抵抗もせずにそのまま立ち上がった。

「帰るぞ」

ライルはそれだけ言って踵を返した。腕は掴まれたままだから、自然に自分の足も動き出す。
結局それから家に帰るまでライルは無言で、当然俺も無言で、逃げ出したいぐらいの空気が満ちていた。腕掴まれてるから逃げられないけど。






「ただいま」

ライルがそう言って玄関へ入る。引っ張られるように(実際引っ張られて)俺も後へ続く。

「おかえり」

そう言うアレルヤの声が聞こえた。こんな言い方なのは、俺がアレルヤを見ていないからだ。詳しく言うと、俺が俯いているから見えない。
玄関のタイルと靴をじっと見ている俺に、アレルヤはいつも通りの柔らかな声で「おかえり、ハレルヤ」と言った。怒って、ないのだろうか。
恐る恐る顔を上げる。
アレルヤは怒ってはいなかった。怒っては、いなかった。
すごくほっとしたような、それでいて泣きそうな、そんな顔をしていた。ああ、また、後悔。

「あの、ニールがリビングにいるから」
「ああ、わかった」

答えたのはライルだ。靴を脱いでリビングへと足を進める。
その間もずっと腕は掴んだままで、危うく土足で廊下へ踏み込みそうになった。
靴を脱ぎ捨ててリビングへ向かう決して長くない廊下を歩く。すると、リビングへのドアの前にティエリアがいた。

「おかえりなさい」
「ただいま」

答えたのはライルだ。
ティエリアがドアから身を引く。ライルがドアを開けてリビングへ入る。
引っ張られるがままにリビングへ入る俺がティエリアとすれ違う瞬間、ティエリアは「何もなくて、よかった」と呟いた。
驚いてティエリアの方を向くと、心から安堵しているティエリアの表情があった。






リビングに入り、ソファにニールが座っているのが見えた瞬間、腹あたりにドンと衝撃が走った。
何だ?と思って下を見ると、そこには。

「刹那…?」

末の弟が思い切り抱きついていた。ぎゅうと顔を腹に埋めている。

「どうしたんだ?お前…」
「どうした、じゃないだろう」

そう言ったのはニールだ。刹那から視線を外して、ニールの方を向く。
ニールの顔は今までにないくらい険しかった。あの時でもこんな顔はしてなかったのに。あのときは、泣きそうな、自責しているような表情だった。
初めて見る兄の表情に、少なからず背筋が凍る。いつも怒らない奴が怒ると怖いということを身を持って理解した。

「刹那、離れてろ」

ニールにそう言われても刹那は離れなかった。それどころか、さらにぎゅうと頭を押し付けてきた。

「刹那」

ニールの声が厳しくなる。刹那が体を竦ませるが、それでも体は離さなかった。

「刹那…いいから離れてろ」

できるだけ柔らかい声でそう諭す。「な?」と言うと、渋々ながら離れていった。そのままいつの間にかリビングに入ってきていたアレルヤに抱きついた。

「さて」

ニールがこちらに向き直る。

「こんな時間まで、何してた」
「……」
「答えろ」

怒鳴ったりするわけではない、静かな、氷のような声に体が竦む。

「…バ、イトに…行ってた」

アレルヤが小さな声で「えっ」と言った。どうやらアレルヤは知らなかったらしい。ライルが何も言わないところをみると、ライルだけに知らせていたんだろう。

「それは10時ごろに終わってるはずだ。それから何してた」

終わる時間を知っていたことに目を見開くと、ニールは「ヨハンに連絡した」と言った。ああ、なるほど。

「それで、何をしてたんだ」
「えっと、その…ちょっと、散歩を」

「へえ」と全く納得していないような声で言われた。ひたすらにニールが怖い。

「何時間も歩いて、公園で寝ようとするのが散歩か?」

なんで知ってるんだこいつ。

「なんで帰ってこなかった」
「…黙って、バイトしてたから、…帰りにくかった」

自分でも驚くぐらいの小さな声だった。ニールがため息を吐く。そして徐にソファから立ち上がった。期せずに顔が下を向いてしまう。

「ハレルヤ、顔、上げろ」

顔が上げられない。怒っている兄の表情を見れない。
中々顔を上げない俺に苛ついたのか、はあとひとつため息を吐く。
ぐっと胸倉を掴まれる。予期せぬ行動に驚いて目を見開いた。
瞬間、乾いた音とじんわりと熱く痛む頬。平手で打たれたということを理解するのに時間はいらなかった。

「おい、兄さん!」

ライルの咎める声が聞こえる。それでもニールは胸倉を掴んだままで、俺を睨んでいる。睨んでいると、思っていた。
右頬を打たれたため左を向いていた俺は、ニールの表情が見えない。だから、まだ睨み続けているんだと、思っていた。
だから、次に見た光景に、俺はひどく動揺してしまった。

「…俺は、お前がバイトをしていたことを、怒ってるんじゃ、ない…!」

苦しそうに吐き出される言葉。どうしたのかと思ってニールを見てしまった。

「え、…」

ニールは、先ほどまでの怒りに満ちたような表情ではなく、苦しそうな泣きそうな、公園でのライルのような表情をしていた。

「俺が怒っているのは、お前が連絡もせずに、何時間も帰らなかったことだ」

てっきりバイトを隠してしていたことを怒っているのだと思っていた俺は、その言葉に驚いた。

「俺達がどれだけ、どれだけ心配したか…!」

いつの間にか掴まれていた胸倉は解放されていて、変わりに思い切り抱きしめられていた。ふわふわとした茶髪が顔をくすぐる。

「ずっと待っても帰ってこないし、連絡もないし、あの時みたいに何かあったのかと思って…不安で…しょうがなかった…」

震えた声で、少しずつ言葉が紡がれる。
俺は、今、今日1番後悔していた。
そうだ、あんなことがあったのに、また勝手に出歩いて。心配をかけて。不安にさせて。
もう日付だって変わっているのに、ニールも、ライルも、アレルヤも、とっくに寝ているはずのティエリアや刹那まで起きていて。
何をしているんだ俺は。自分で自分を、思い切り殴ってやりたい。

「ごめん…」

気がつくと、自分の腕をニールの背に回していた。

「ごめん、なさい」

久しぶりに、少しだけ、涙が出た。






「さて、ハレルヤも帰ってきたし!とりあえず刹那とティエリアは寝なさい」

さっきまでとは打って変わって、いつも通りのニールがそこにはいた。
刹那もティエリアも何も言わずに、自分の部屋へと向かった。「おやすみ」という挨拶は欠かさずに。

「ハレルヤも腹減ってるだろ?夕飯温めてやるからちょっと待ってろ」

そう言ってニールが台所へ引っ込む。俺は言われたとおりソファに身を沈める。
ライルとアレルヤはまだ自分の部屋へは向かわずに、かといって特に会話をするでもなくソファに座る。
気まずいわけではない、心地良い沈黙が支配した。
しばらくして、「できたぞー」と言いながらニールがお盆に夕飯を乗せてやってきた。
それを待っていたかのように、ライルとアレルヤが笑顔でこっちを見る。ニールも、全てわかっているというように笑顔で見る。
ニールが口を開く。

「ハレルヤ」
「ん?」
「おかえり」

少し面を食らったけれど、俺は笑顔で返した。

(ただいま)


end.







思ったより長くなってしまいました。
度々出てくる「あの時」のことは0話と1話の2つ長編を書かせていただく予定なので、その1話で書きます!
長編とはいっても比較的長い、くらいだと思いますが
あとニールとハレルヤがハグしてますがこれからくっつくとかそういうのではないですよ!兄弟愛的な感じです!
これからも家族パロはハレルヤと(なぜか)刹那中心でいかせてもらう予定です!
それにしてもなぜニールはビンタしたのか








人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -