×
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

灰になれ

 近所で隣の五つ年の離れた近所の一也くんは、憧れでもあり、わたしの初恋の人でもあり、大好きな人でもあり、また大好きな姉の彼氏だ。だからいつか、この日が来ることを、わたしはあらかじめ知っていた。
「俺たち結婚するんだ」
 彼ははにかみながらそう言った。いつものキリリとした眉は下げられており、メガネの奥に光る双眸は優しい灯火でゆらゆらと揺れていた。
「お姉ちゃんから聞いたよ」
 わたしはそれしか言えなかった。だって、まだ一也くんのことが好きだったから。ずっとずっと、彼の大きな背中を見ていたから。幼稚園の時には既に、彼に恋い焦がれていた。そんな彼は、これからわたしの姉と結婚をする。
「だよな。でも、俺からも伝えときたかったんだ」
 一也くんは本当に嬉しそうに笑った。わたしは彼のことをずっと見てたけれども、こんなに幸せに満ち溢れた表情は今まで見たことなかった。彼が大好きな野球をしている時の表情とも全く違っていた。そして女性に本来使うべき言葉だと思うけれど、このときの一也くんは一際輝いていてとても綺麗だった。そんな表情をさせる相手を少し羨ましく、そして妬ましく思った。

 わたしが小学校四年生の時の話。一也くんが高校生になったら、地元を離れて野球留学をすると聞いたわたしは、彼に告白をした。
「一也くんのことが好き」
 すると彼は一瞬だけ困ったような顔をしてからやんわりと微笑んで「ありがとな」とごつごつした大きな手でわたしの頭を無造作に撫でた。その時、わたしは幼いながら、恋愛対象としてではなく、妹という存在でしか見られていないのだと悟った。わたしの一世一代の告白はさらりとした一言で受け流され、まさに玉砕という言葉がぴったりと当て嵌まる失恋をしたのだ。けれど、それは今考えれば当たり前のことで、中学三年生の男の子が小学四年生の女の子を恋愛対象として見れるはずがなかった。その五年の差はあまりにも大きく、そしてとてつもなく無謀な告白だった。
 それから関係は変わらないまま彼は高校生に、わたしは小学五年生になり、会う機会はほとんどなくなってしまった。それでも、彼のことを諦められずに、燻り続けるこの想いを心の中に飼い続けていた。
 年末の十二月三十一日から元旦にかけて、一也くんが帰ってきていると母から聞き、わたしはすぐにジャンパーを一枚羽織って彼のお家へと駆けつけた。けれど留守だったようで、お仕事中のおじさんに彼の所在をわざわざ聞くのも憚れたから、彼を探すべくここら近辺を歩くことにした。冷たくびゅーびゅーと強く吹く風が肌に突き刺すように襲いかかってきてとても寒かったけれど、久々に会えると心は喜びで満ちていた。心も体もほかほか。だから、どんなに寒くても平気だった。足取りはスキップをしてしまいそうなほど軽く、鼻唄を歌ってしまうほどに上機嫌だった。
 そんな時、よく見知った二人がわたしの視界に映り込んだ。一人は夢にまで見て会いたいと願っていた彼で、もう一人はわたしの大好きな姉だ。なんとなく彼らに見つかるまいと咄嗟に身を隠し、こっそりと見つめた。
 彼らはまるで梅雨にみるカタツムリのようにゆっくりと土手を歩いていた。わたしはただ目を見張って呆然とその光景を眺めていた。お似合いのカップル、とはこういうことをいうのだろうか。一也くんが姉の歩調に合わせて歩いていて、触れそうな手に気づいた姉が彼の手をそっと握り込んだ。そして二人は照れたように微笑み合って、自然とお互いの顔と顔が近付いて、唇が、そっと、重なって、……。
 わたしは見ていられなくなって目を逸らした。遅れて全身がぶるぶると震えだす。そして鼻の奥がツーンと痛んで目の縁から涙がぼたぼたと垂れ落ちた。涙を拭うことすらできずに、そこから逃げるように立ち去った。それから、どの道を通って帰ってきたのか覚えていない。足取りがさっきとは比べられないほど重く、心はずぶずぶと底無し沼に嵌まりこんで、胸にはぽっかりと大きな穴が空いている。そこから更に駄目押しのごとく、凍えるような風が胸の穴を通り抜けていく。せめて、マフラーも巻いていたらよかった。
 わたしが一也くんの心の隙間に入る余地なんてこれっぽちもなかった。二人だけのあの空間では、わたしという存在は除け者以外の何者でもなかった。そんなことわかっていたはずなのに、諦めきれずにぐずぐずと涙を流している。少女漫画でよく見る哀れで可哀想な女の子はどうやって立ち直るのだろうか。
 こうしてわたしは二回、それはもう全身火だるまにされ塵と灰になってしまうような、そんな失恋をした。
 それでも愚かなことに、わたしは諦めきれずにずっと好きでいた。一目でも彼を見たくて野球の試合を姉と一緒に見に行き、フェンスに必死にしがみついてその姿を目に焼き付けたり、また年末に一也くんが帰ってきたときには家族ぐるみの仲というのもあって、顔を合わせて一緒に炬燵に入り込んでみかんの皮を剥いたりもした。けれど二人きりになることはなく、必ず彼と姉が一緒にいた。心のどこかで彼と二人きりになりたいと思いつつも、大好きな二人と一緒にいることもとても幸せなのに嘘はない。それでも彼が好きで好きで堪らなかった。
 そうやって年月を経て、わたしは二十歳、一也くんと姉は二十五歳になった。

 はい、これ。と一也くんから渡されたのは、結婚式の招待状だった。わたしは微笑んで、白のタキシード姿、楽しみにしてる、と言うと、彼は驚いたように目をぱちぱちとまたたいた。どうしたのだろうか。変なことは一切口にしてないはずなんだけれど。そんなわたしの胸中を察して、彼は静かに答えた。
「名前ちゃんとあいつって、やっぱ姉妹なんだな。笑い方がそっくり」
 一也くんは喉の奥でくつくつ笑って、わたしの頬を指で摘んだ。ちょっと痛い。よく延びるな、とバカにしたように彼は再び笑い出した。わたしも彼の頬を摘まんでやろうと手を動かすと、ちょうどその時、姉が彼の名前を呼んだ。すると頬を掴んでいたあたたかな手はあっさりと放されて、姉の元へと行ってしまった。
 中途半端にのばした手をなにもなかったかのように下ろして、もう片方の手の中にある紙をそっと握った。こんなもの、今すぐ消えてしまえばいいのにな。
 くしゃり
 紙が、小さく小さく潰れる音が響いた。
 暫くの間、その音が耳から離れなかった。