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「#寸止め」のBL小説を読む
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いろどり

 
 結婚式は順調に進み、讃美歌が流れ、指輪を交換し、誓いのキス。あとは、退場した姉がチャペルの外でブーケトスをするのみとなった。
 チャペル前で姉の同級生たちが色めきだつ声をあげながら群がっている様子を遠くから眺めました。わたしにとって、それは縁のない儀式なのですから。ブーケを受け取ったとしても、幸せな気分に到底なれるはずもない心境でした。
 二人を祝福する一方で、羨み妬む二律背反する気持ちが綯い交ぜになって、心の中にぐるぐると塒を巻いて居座っていました。それが暴れ出しやしないかと冷や汗を流しながらも、頭の片隅では暴れ出したらどうなるのだろう、とぼんやり考えながら披露宴を過ごした。が、特になにもなく、無事終わりを迎えようとしていた。暴れ出したら、わたしはこの結婚式をしっちゃかめっちゃかにでもするのだろうか。それとも気が狂ったように叫び出すのだろうか。そんな自分を想像して小さく笑ってしまった。
 披露宴の最中、一也くんの後輩である沢村くんが号泣していたり、隣で母がハンカチで目を覆っているのを見ても、わたしはちっとも涙は出てこない。この結婚式を壊したらどうなるだろう、などと考えているわたしは、この場所に居てはいけない存在なのだろうな、と内心で苦笑いをこぼした。

 チャペルの前に立った姉が真っ白のバラのブーケを、後ろ向きに放り投げた。風が木々の間を通り抜けるように皆が一斉にきゃあっと声を上げ、空気がざわめいた。放られたブーケはとても綺麗な弧を描いて群集に吸い込まれるように落ちていった。
 その瞬間、ふいにとんっと背中を押され、思わずあっと声を上げて前につんのめり、群衆の中に紛れていた。咄嗟に後ろを振り返っても、誰が押したのかわからなかった。それから一秒後にまるで狙ったかのように手元にそれは落ちてきた。それはわたしが絶対に手にすることはないだろうと思っていた白いブーケだ。驚いて顔を上げたのと同時に、姉が此方を顧みた。視線が交わって、姉の口が「よかった」と小さく動くのわたしは見逃さなかった。姉はきっと、わたしに狙って投げたに違いない。
 ただ、純粋に、わたしの幸せを願って。
 腕に抱えた白くて華やかなブーケをまじまじと見ました。純白のバラが施されたブーケは幸せそうに微笑んでいるように見えた。幸せになるという象徴のこのブーケが重く感じられて、胸の内の塒が不穏にゆらりと動いた。
 取ってしまったブーケを誰かに譲り渡そうと思ってきょろきょろ辺りを見回していると、後ろから肩を軽く叩かれた。先程背中を押された手のぬくもりと同じ感触がした。振り向くと昔見た顔があった。夏の暑い日差しの中にいたあの頃と、あまり変わらない。
 驚いて目を二度ほど瞬いて、少し遅れて名前を呼ぼうとしたけど、その人はわたしが言うより先に口を開いた。
「お前、苗字の妹だよな」
 とても懐かしい声だった。最後に会ったのは何年前なのだろうか。
「はい」
「やっぱりな」
「倉持さん、ですよね」
「おう。久しぶりだな」
 ダークスーツに身に纏った倉持さんは、薄い唇をニッと吊り上げて笑った。

 わたしがまだ小学生の頃。姉は一也くんと同じ高校に一般入試で入った。姉は部活に入らず帰宅部で、空いてる曜日に青道高校野球部の試合があれば必ず足を運び、わたしはそれについて行った。ときどき試合を観に行った帰りに、試合終わりの倉持さんが姉に会いに来て「御幸か?」と尋ねることがあった。姉が恥ずかしそうに肯くのを見て「すこし待ってろ」と言い捨てて、一也くんを呼びに行ってくれたのだ。
 最初は目つきが悪くて、言葉遣いがちょっとだけ乱暴な人だと思ったけれど、何回かこういうやり取りを重ねていくと最初の印象とはまるで違い、とても優しく情に熱い人だ。
 そして何より倉持さんを見てると、わたしは不思議な気分になった。まるで鏡ごしで自分を見ているような錯覚に陥ったのだ。倉持さんの姉を見る瞳が、愛しさと切なさを孕んでいることに、幼いながらにわたしは気付いていた。
 倉持さんは、わたしと一緒だった。
 叶わない恋をしていた。
「倉持さんは全然あの頃と変わってないですね」
 わたしは少し可笑しくなって肩を揺らして笑う。緊張していた頬が自然と弛み、今日初めて自然に笑えた気がした。すると「そうかあ?」と倉持さんは軽く眉を寄せた。逆に倉持さんはわたしの顔をまじまじと見て「そういうお前は、すごい変わったな」と感心したように言った。
「最後会ったのは中学一年生の時でしたもんね」
 わたしたちは教会から少し離れたところにあるベンチに腰掛ける。木々の間の木漏れ日がわたしたちの顔を照らし、心地の良い風がゆるりと頬を撫でていく。のんびりとした沈黙が落ちるが、特に気不味い雰囲気もなく、ただ何となく黙っている感じだ。ふいに脳内に昔の映像が閃いた。それは野球に没頭してた頃の倉持さんの鋭さと切なさを含んだ複雑な瞳だった。
 「姉のこと、好き、でしたよね?」
 わたしは唐突に尋ねた。あの頃から、ずっと訊いてみたかったことだった。わたしの無遠慮な質問に、倉持さんは嫌な顔ひとつせず、真面目な顔をして答えた。
「すっげえ好きだった」
 倉持さんはきっぱり言い切って続けた。
「で、高校三年生の終わりに告白したんだけどよ、見事に玉砕」
 吹っ切れたように軽やかに一笑した。「詳細聞くか?」と薄く笑いながら問うた倉持さんに、わたしは無言で首を横に振った。聞かなくても十分に気持ちがわかったからだ。倉持さんは俯く私にちらと視線を寄越して再び言葉を紡いだ。
「最初から負け戦だったんだけどよ、その時はどーしても諦めらんなくて言ったんだ。そしたら憑き物が取れたみてぇに心ん中が軽くなった」
 淡々とときおり考えるような間を挟みながら話した。
「わたしに、そんな話してもいいんですか?」
 わたしの当惑した声に倉持さんは肩を揺らして笑った。
「バカ。苗字の妹だから話してんだろーが。そんくらいわかれよ」
 見た目とは違って、静かに話す人だ。言葉遣いは少し荒いのに言葉が胸にすっと滲み込んでゆき、胸に渦巻いていたものが少しずほどけていく。
「お前、まだ好きなんだろ、御幸のこと」
「はい」
 わたしは隠すことなく、素直に答えていた。倉持さんにはわたしの作り笑いも嘘も全て通用しないのがなんとなくわかっていたからだ。どんなに親しくても打ち明けることのなかったわたしの醜く汚い内側を、これまでまともに口を利いたこともなかった倉持さんには、すんなりと晒け出すことができた。
「苗字の隣で必死にフェンスにしがみついて御幸のことばっか目で追いかけててよ、それ見てたら無性に俺が泣きそうになっちまったの、今でも覚えてる」
 倉持さんは空を仰いだ。わたしも彼に倣って空を仰ぎ見た。わたしのドス黒い心情とは裏腹に、青ガラスのように澄み切った空が広がっている。
「ああ、こいつは俺だって思った」
 倉持さんは眩しげに目を細めて呟いた。わたしは薄く笑みを浮かべてゆっくりと口を開いた。
「わたしもです。倉持さんはなんだかわたしみたいだなぁって」
「俺達は似た者同士だったんだな」
「はい。あの、わたしバレてたんですね。一也くんを好きなこと」
 肩をすくめてわざとらしくおちゃらけると「バレバレだっつの」と彼は呆れ顔で言った。
「でもね、お姉ちゃん気づいてないんですよ。むしろ応援してるとすら思ってるかもしれません」
「苗字らしーわ。アイツそういうの鈍いよなあ」
 倉持さんは再び目を細め、懐かしむように呟いた。
 姉は恋愛沙汰となるととても鈍かった。誰もが一也くんの気持ちを知っている中で、当の本人だけが知らなかった。ふと姉が「一也は誰が好きなんだろうねえ……」と悩みを打ち明けた時は、怒りを通り越し呆れて物が言えなくなった。けれど一也くんも目の前にいる倉持さんも、そんな純真無垢な姉がきっと好きだったのだろう。
 わたしは一つ息を吐き出して、再び倉持さんに尋ねた。
「倉持さんは今でもお姉ちゃんのこと好きですか?」
 倉持さんはちらりとわたしを一瞥してから、両手を頭の後ろで組んで、また空を目を向けた。
「今は好きじゃねーよ。もう過去の話だしな。でも、御幸と誓いのチューとやらをしたときはクソって思った。目の前でいちゃこらすんじゃねぇって」
 唇を尖らせて心底つまらなそうに言った倉持さんに、思わず声をあげて笑った。「結婚式なんだからするに決まってますよ」笑いながら言うと「うるせえ」とチョップを食らったけれど全く痛くない。痛くないですよ、そうからかうと、痛いほうがよかったか? なんて言い返してくるのでわたしはすぐにご遠慮しますと丁重にお断りした。
「苗字のウエディングドレス姿見ただけで、俺は満足なんだってわかった。お前と話してな」
 胸をつく言葉だった。倉持さんは確かに似た者同士だったのかもしれないけれど、今はわたしと違って過去と決着をつけて、きちんと前を向いている。わたしはいつになったら倉持さんと同じように前を向けるのだろうか。瘡蓋にならず傷口を弄り回し、ぐずぐずと同じ場所座り込んで、一向に前に進まないわたしは、一体何なのだろう。
「わたしは……、まだ、好き」
 空気を丸ごと吸い込んで出てきた言葉に自分で苦しくなった。
「おう」
「どうしたら一也くんのこと諦められるのか、もうわかんなくて、」
 自分の意思とは関係なく声が震える。これ以上言葉を続けられなくなって、口を噤み俯く。嫌でも視界に入るブーケが悲しげにこちらを伺い見ている。
 だったらよ、倉持さんは途中で言葉を区切ってからなに気なく言った。
「俺のこと好きになっちまえよ」
 驚きすぎて、瞬きするのも、息を吸うのも、一瞬忘れた。わたしは混乱する頭で言葉を途切れ途切れに吐き出した。
「あ、あの、一也お兄ちゃんのこと、好き、なんですよ」
「知ってるっつーの。何度も言わせんな」
「えと、あの...…五歳差、ですよ?」
「んなもん関係ねーって」
「五年の間に小学生が高校生になるんですよ?!」
「今はちげーだろ。俺が二十五で、お前が二十だろ。全然問題ねーよ」
「お姉ちゃんの、妹だから、とかじゃなくて?」
「ほんっとお前バカだな。寧ろ嫌だろ。将来俺が御幸の義弟になるとか考えただけで寒気するっつーの。けどよ、それでも、んなことどうでもいいって思えるんだよ」
 ずっとお前のこと気になってたんだ、あいつは大丈夫だろうかってな
 倉持さんは小さい声でぼそりと呟いた。それに、と彼はわたしの瞳をまっすぐ見つめて続けた。
「お前が可哀想だろ」
 そしてもう一度、「お前の恋が、可哀想だろ」とゆっくりと繰り返した。
 生まれて初めて、自分を肯定された気がした。叶わぬ恋に十数年も固執して、誰からどうみても滑稽で不毛な恋だ。そんな恋を諦められない自分は、ずっと頭がおかしいのだと思っていた。
「もう十分お前は苦しんだだろ。終わりにして、幸せになる番なんだよ」
 喉が熱くなって、うまく声が出せない。
「最後に言ってこい。二次会で俺も久々に苗字とも話してぇし、その間に御幸に言え」
 倉持さんはわたしの頭にそっと手を置いた。大きくて優しくてあたたかいてのひら。刹那、一也くんの大きな手を思い出した。けどその時とは全く違う男の人の無骨な手。目頭が溶けるように熱くなる。
「で、きっぱり振られて、俺んとこ来い」
 慰めてやっから、と付け足された言葉に息がひとつ洩れて、視界がじわりと滲み瞼を超えて涙が溢れ出す。涙が出たのは、あの小学校五年生以来だった。あのとき全てを出し切ったと思った涙は、まだわたしの中にあったのだ。
 化粧崩れてすげぇことなってんぞ、と言いながら笑った倉持さんは寄り添うような優しい声だった。
 手に持ったブーケをそっと胸に抱えて、人目を憚らず大声で泣いた。