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「#年下攻め」のBL小説を読む
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わたりどり

 ※カメラマンの彼女設定

 彼女のことを最初は猫のようだと思っていた。自分がしたいことを本能のままにして、それに飽きたらふっとやめて何も言わずに去っていってしまう、そういう危うさを頭のてっぺんから足の爪先まで常にまとっている。けれども、長年付き合っているとその印象は徐々に変わっていき、今では春の終わり頃にやってくるツバメや、冬になったらあちこちの川や海に見られるカモメだとかそういう渡り鳥みたいな人だと思うようになった。必ず決まった期間に俺の側へやってきて、旅で色褪せてボロボロになってしまった羽をしばらく休ませる。そして艶やかな色に戻ってきたら、その綺麗な羽を大きく広げ、手の届かない遠くへと旅立ってしまう。

「一年半ぶりだな」
「うん、そうだね。けれどこの体勢はどうなんだろう」
「まあまあ、そう言わずに」
「ちょ、っと」
「ほんと、久しぶり」
 手首をシーツに縫い付けて首筋をそろりと舐めると、名前は下唇をきゅっと噛み締めて声を押し殺し俺を鋭く睨み付ける。その姿がなんともいじらしい。その仕草が、その姿が、よりいっそう俺を煽ってるだなんて、彼女はてんで思っていないのだろう。
 一年半の間、赤道直下の国にいたからか彼女の肌はこんがりと焼けていて、以前は肌の色は真っ白でもっと肉付きがよくふかふかしていたのに、今じゃ程よく焼けており、体はうっすらと骨が浮き出ていた。こんな体でどうしたらあんな大きなカメラや機材を運ぶことができるのか謎だ。
「すっごい痩せたな」
「ほんと?」
「うれしそうな顔するなよ」
「え、褒めたんじゃないの?」
「褒めてねーから。むしろ痩せすぎ」
「そう? 私にはわからないや」
 ふふっとやわらかに笑う名前の声が鼓膜を大きく揺さぶった。ああ、この声を、ずっとずっと待っていたんだ。俺は名前の体を覆っている分厚いニットのセーターを脱がしにかかる。すると名前はハッとしたような顔になって、焦った声で「ダメ、一也」と抵抗した。こういうことするのは別に初めてではないのだけれど、恥じらいとはまた違った緊迫した声で、名前が本当に嫌がっているように見えたから、本能のままよと自由にしていた理性を全力でねじ伏せ、手を止めた。そして名前の顔をじいっと見つめる。名前は俺の視線から逃れるようにそっぽを向いた。
 あ。これは何か隠している。
「なあ、ダメなの?」
 俺は名前の鼻に自分の鼻をそっと擦り寄せて一年半ぶりなのに? と唇の上で囁いた。名前はとうとう逃れられないほど近づいた俺から最後の手段という感じで顔を真っ赤にしながらぎゅっと目を閉じた。俺はその固く閉じられた瞼に唇を宛がってそのままゆるゆると唇へと落とした。すると、体の力ふっと抜ける名前の隙を見計らって、服を勢いよく脱がせた。名前はわっと声をあげたのだけれどもう遅い。脱がせた服は重い音を立てて床へと落ちた。
「これは、」
 露わになった肌に絶句する。名前は職業柄仕方ないとはいえ、名前の体は生傷だらけなのだけれど、他の傷とは明らかに違うものがあった。左の脇腹に切り傷、いや穴が空いたのを塞いだような傷跡があった。痛々しいほどに皮膚が赤黒く変色していて、その傷跡はまるで銃創のような…、銃創…、まさか。でも名前が嫌がっていた理由はわかった。俺にこの傷を見られたくなかったのだろう。
「なあ、名前。この傷、何?」
 胸の中の動揺を出さぬよう、なるべく平静を装って訊く。けれど、名前は困ったように眉尻を下げて、答えあぐねている。名前が口を開くまでじっと待った。暫く経ってから、重苦しい空気の中で名前が言葉を選ぶようにゆっくりと話し出した。
「ちょっとね、撃たれちゃって…」
 詳しく聞くと、自宅に戻る際に抗争が勃発し、そこにたまたま居合わせた名前に流れ弾が当たってしまった。そのとき、現地の人が巻き込まれた名前にすぐ気付いた。その人が止血対応をし、病院に連れて行ってくれて、なんとか一命を取り留めた名前はしばらくそこの病院で入院をしたらしい。撃たれて倒れたとき、激痛と薄れていく視界の中で頭に過ぎったのは俺との想い出だったのだと、はにかみながらに語った。
「そのとき、無性に一也にあいたいって思った」
 あまりの壮絶な出来事に唖然として何も言えなくなる。名前がそんな事件に巻き込まれている間、俺はいつものように野球に没頭していたのだろう。
「…もっと早く言えよ」
 やっとの思いで出した声は、少し震えていた。語尾が情けなく縒れる。
「言ったら心配すると思って」
「当たり前だろ、そんなの」
「うん、ごめんね。傷物になっちゃったね」
 そうじゃねえだろ、と深く息を吐き出してから、名前をそっと抱きしめて、肩に顔を埋めた。やわらかな胸から心臓の鼓動音が聞こえることをしっかりと確認して、吐き出した分だけ深く息を吸い込んだ。
「…本当、心臓に悪ィ。無事…とは言えねえけど、命があって、良かった」
 撃たれたとき、痛かっただろう。助けてと叫びたかっただろう。そう思うと、名前が辛いときにその場にいなかった自分がただただ悔しくてやりきれない。自分がその傷跡を、痛みを、少しでも貰うことができたらいいのに。
「一也、泣かないで」
「泣いてねえけど」
「うん。けど、心が泣いてるでしょ?」
「…誰のせいだと思ってんだよ」
「わたしのせいだ」
「まだ、痛い?」
 痛々しい傷跡の上に指先を置く。名前は息を短く呑んで、微かに顔を顰める。
「ちょっとだけ。だけど、もう平気だよ」
 まるで全てをゆるすみたいにへにゃりと微笑んだ。
 本当は、彼女の両翼の骨をへし折って、それから 羽を全て毟り取って飛び立てないようにしてやりたい。けれども、羽を広げて飛び立つ姿に惚れたのだから、仕方ない。俺はただ黙って名前が飛んでいくのを眺めることしかできない。
 もう、どこにも行くなよ。
 心の中でしか叫ぶことができない本音を抱えたままに、名前の体を強く強く抱きしめた。少しでも名前にこの想いが伝わるといい。