謡う夏
「ねえ、結んで」そう名前から言われると、ああ夏がやってきたのだなと思う。小さい頃からの、ふたりだけの習慣だった。
「はいはい」
名前はおれに背を向けて「ん」と茶色いゴムを手渡した。
彼女のやわらかな髪をゆっくりと下から掬い上げると、白くて無防備なうなじが晒される。その首を両手で掴んでぎゅっと力を込めたら、ぱきりと折れてしまいそうなほど頼りない首だ。
その首筋にはぽこぽこと浮き出た骨があって、そこにしゃぶりついたらどんな味がするのだろうか、なんて考えてみる。しょっぱいのか、甘いのか。普通に考えたらしょっぱいのだろうけど、名前だったら蝶を惹き付ける甘い蜜のような味がするんじゃないか、とそんなことを思いつつ、一つに束ねていく。
「なんだか首元にすごい視線を感じる」
「凝視してるからね」
「澄晴は首フェチなの?」
「あー、そうかもしんない」
「適当だねえ」
首の根本と髪の毛の生え際辺りに指を差し込む度にふふっとかすかに笑い声を立てる。頭が小さく揺れて指の間の髪の毛がゆるくたわむ。教室にある蛍光灯の光で透かして見ると細くて繊細な彼女の髪は薄茶色に見えた。太陽の下だともっと薄く見えるのかもしれない。そしたらお揃いの髪色だとは思うのだけれど、自分と同じ人間の髪の毛とは思えないほど綺麗な髪だと思う。手で梳いても梳いても指に絡むことを知らないのだ。
「わたしね、澄晴にこうやって結んでもらうの好きなの」
頭のてっぺんの盛り上がった髪も上からするりと手櫛で整えて下の髪と混ぜてやる。
「知ってるけど」
生え際から短い後れ毛が思い出したようにはらりと落ちる。白いうなじと彼女の茶色の髪の毛のコントラストが酷く美しい。
「澄晴だって、わたしの髪の毛を結ぶのが好きでしょ」
「おっしゃる通りで。ん、できた」
彼女が嬉しそうにこちらを振り向いた。束ねた髪の毛が目の前で大きくゆらりと波打った。その瞬間、自然と出てきた言葉があった。
「好き」
なんでこのタイミングだったのか自分でもよくわからないけれど、きっと、もうじきやってくる夏に唆されたのだ。
彼女は白い歯をこぼして「やっと言ってくれたね」と笑った。
ああ、夏がきた。
お互いの気持ちをなんとなく知りながらも、表面化だけを漂う季節の終わりがやってきて、新たな季節に変わっていく。
彼女のその白くて頼りないうなじに口づけを落とす日はすぐ近くまでやってきている。齧りつくのもいいかもしれない、なんてね。