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「#学園」のBL小説を読む
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アイルビーバック

 通勤中、休憩の合間、休日の間、また無理矢理同僚に連れていかれたどうでもいい合コンの間中、ずっと携帯に振り回されていた。暇があれば、着信をチェックしては溜め息をつく日々だ。何度も何度も眺めた過去のメールは未だに輝きを放っていて、その言葉を頭の中で繰り返し再生した。けれども、どんどん薄れてきていた。それくらいには五年という月日は長かった。
 最後に彼女は何と言って日本を発ったのだっけ。そんなことを酒がうっすらと回った頭でぼんやりと考えていたら、女が隣から腕をからめて、唇を耳に寄せ、ねっとりとした甘い媚びた声で「ねえ」と囁いてきた。その瞬間、全身に鳥肌がたった。けれども女はそんな 倉持の様子に気づかない。ああ、頭の中で響いていた彼女の澄んだ声がかき消されてしまった。
「倉持くん、話聞いてるう?」
 聞いてねーよ、と言うのが率直な感想であり事実である。しかし、その女の声にわざわざ答えるのも面倒でただ手のひらにある携帯の画面を見つめた。やはり、着信を知らせる光ない。けれども、あの頃の言葉が、ここにはあった。
「ねぇってば、私と喋ろうよ」
 香水の匂いが漂う。甘ったるく、妙に鼻について自然と眉間に皺が寄る。その女特有のねっとりとした声が耳に障って仕方がない。なので手っ取り早く直截に「テメーと喋りたくねえし、興味の欠片もねえから離れてくれ」と言い放って左腕に絡み付いた腕を無理矢理振り解いた。すると女の顔はみるみる紅潮していった。湯沸かし器が沸騰してピーピー叫び出す前のように、わなわなと全身震えだした。涙混じりのドスの効いた金切り声で「私だってアナタに興味なかったわよ!!」と叫んだ。
 先程作り出していた声は一体どこへいったのやら。
 その後、周りの人にあの人が悪いのよ、と捲し立てさめざめと泣き、周囲の連中の同情を買う。倉持が一気に孤立無援状態に陥るのが目に見える。行動と言動が相反していて被害妄想が激しい、まさしく嫌な女の典型的な例だと倉持は冷静に分析し、ああいう女は一生理解できないと一人で深くため息を吐く。
 女に皆の視線が向いている今のうちに、この場をそそくさと去った。これからは、この出来事のおかげで会社の同僚から合コンに誘われること今後一切ないだろうと思うと清々した。
 どれだけ綺麗な女が落とそうとしたって彼女には敵わない。女に選ばれるのではなく、自分が女を選びたいのだ。

 暫く歩いて行くとあの合コンの店から離れた場所まで来た。ほっと息をついてポケットに入れてあった携帯を取り出す。倉持は久々に電話帳で少しスクロールして彼女の名前に自然と目を止めた。随分前から、掛けようか掛けまいかと悶々と悩み続けていたが、今日こそはと思いきって通話ボタンを押した。あの女の鬱陶しい絡みが、通話ボタンを押すに至らせたのだろうか。そう思うと、少しだけ感謝をしないこともない。
 二回、三回、四回、とコールが鳴る。胸が高まる。喉の奥がぎゅっとしまる。出てほしいけれども、出ないでほしいという矛盾を抱えながら七回目のコールを聞くとぷつっと途切れ、只今留守でございます。ピーと言う発信音が鳴りましたらお名前と御用件をお話し下さい、と聞き慣れた無機質な女の声が淡々と流れ、留守録が入らない内に再び電源ボタンを押し通話を切る。少しほっとした気持ちのあとに、寂しさと悲しさが綯い交ぜとなった感情が波のように押し寄せてきた。
 どうしようもないな、と自嘲の笑みを浮かべて、ポケットに無造作に突っ込んであった煙草を一本取り出して火を着ける。なんとなく、名前が飛び立った日から、タバコが止められないでいた。心に住み着いた寂しさを紛らわすために、深く煙を吸ったり吐いたりを繰り返した。
 こんな姿を名前が見たらなんと言うだろうか。洋一はなんだかんだで女々しいなあと眉を下げて笑うのだろうか。
 カチッ、カチッと数回安い百円ライターをつけようとするが中々火は灯らない。やっとついたと思ったら、強い風が通り抜け火を消し去ってしまった。煙草は諦めて適当にここら辺を彷徨くことにする。最近では珍しく、ここらの閑静な住宅街には小さい公園や空き地が多く点在していた。子供たちは公園を自由に駆け回り、何もない空き地なのに楽しそうに遊んでいた。遠目でその姿を眺めた。自分達もそんな時代が確かにあったな、と少しセンチメンタルになっていると、ズボンのポケットから鈍い振動音がした。同僚からのメールかメアド変更かメルマガだろうと無視を決め込んだのだが、何回も繰返しバイブが鳴り、振動は止むことはない。電話か、とポケットから取り出して画面を見て驚いた。画面に表示された名前に目を見張る。先ほどかけた主からの折り返しの電話だった。鳴ってから十数回既に振動が続いていたので、倉持は慌てて携帯の受話器ボタンを押して耳に充てる。落ち着け、と自分に言い聞かせながら高鳴る胸を無理矢理押さえ付けて、恐る恐る口を開いた。
「…もしもし」
 答えはないが、微かに息の音が聞こえる。倉持の声は確かに届いているはずだ。今相手がどんな表情をしているのか、分からないのがとにかくもどかしく感じた。
「久しぶりだな、元気か?」
 電話をかけてみたものの、いざ話すとなると何から話したらいいのか分からない。紡いだ言葉はどこまでもありきたりで言い古された言葉だ。彼女との空白の時間はとても長くて話題なんてあげればきりがないはずなのに、口から出てくるのは思っていたことの一割にも満たないものだ。
『うん、お久し振りぶり、です』
 返ってきた声は落ち着いた声音だけど、どこか余所余所しい。敬語かよ、と思わず笑えば、久しぶりすぎてなに話せば言いかわからないの、と回線の向こうで困ったように笑う。どうやら同じことを思っていたようだ。
『珍しいね』
 主語はないが、電話をすることその行為を指しているのだと容易に判断できる。確かに今までお互い離れてから一度も連絡をとることはなかった。幾度も掛けようと思ったのだが、声を聞いたら顔がみたい、肌に触れたい、抱きしめたい、今すぐに会いたい、という欲望がどんどん膨れ上がって我慢がきかなくなるのが怖くて長らく避けていた。
「…ああ」
 ここで気の利いた台詞が全く出てこなくて無難な受け答えしかできない。もともとも名前は口数が多い方では無いので、こうなることは想定内だ。名前が相手だと無言が苦でない。暫く互いに沈黙になり携帯の向こうからはただひたすらに名前の静かな息だけが聞こえてくる。名前が住んでいる場所はとても静かな場所なのだろうか。倉持がいる場所から想像もできないくらいと遠い場所にいるのだろうか。
「今どこにいるんだ? そっちは静かだな」
 これを自分で言葉にしたとき、あぁやはり違うところに立っているのだな、と心の内に寂しさが込み上げる。相手に顔が見えないのをいいことに、眉間に皺がぐっと寄った。
『うん、誰もいない場所にいる』
 そう一言で終わると思いきや、洋一、とずっと待ち焦がれていた声で名前を呼ばれた。脳の中で再生していた声と何も変わってなどいなかった。
『だからさ、早く帰ってきてよ』
「は?」
 名前の意図がうまく掴めなくて間の抜けた声が出た。倉持の困惑する様子が手に取るようにわかったらしい名前が小さく笑った。
『早く帰ってきてよ』
 ――待ってるからさ、

 そう告げられて直ぐにぷつりと切れた。
 その瞬間に五年前の最後に渡した合鍵を思いだす。渡したとき、彼女は柔らか笑みを浮かべて「戻ってきたら使うね」と小さな手のひらでその鍵をにぎりこんで、搭乗口へと向かって行ったのだ。
 携帯をぎゅっと握りしめて、名前の言っていた言葉を頭の中で反芻する。そしたら居ても立ってもいられなくなって、すぐに手中にあった携帯をポケットに突っ込んだ。ポケットにあったタバコは公園にあったゴミ箱に放り投げる。もう、必要でなくなった。

 名前に会ったらまず何を言おうか。そうだな、まずは説教だ。戻ってくる日ぐらい伝えろよ、バカ。そのあとは、五年分の想いを込めて苦しいと文句を言われるくらい両腕いっぱいに抱きしめてやろう。それくらいは許されるはずだ。
 少し酒の入った怠かった身体は急に軽くなり、足はバイクのある駐輪場へと駆け出した。




Happy birthday