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「#学園」のBL小説を読む
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ボーイフレンドはつとまらない

 なんだいなんだい。俺はモテねえよ、とかわたしに云っときながら結局おモテになるんじゃないか、倉持やい。ふいに倉持から薄い唇を尖らせて放たれたその言葉にゆったりと腰を下ろして、そうかそうかなんて鷹揚に肯いて安心しきって、まだこの想いは告げなくてもいいやと胸の奥の奥に鍵を何重にもかけてひっそりとしまいこんで、のうのうと隣のポジションに居座っていたら、いつの間にやらその隣の想い人は、わたしとは真逆の位置に属するであろうそれはそれは可愛い彼女ができていたのだった。そのことを告げられた日は、やったじゃんおめでとう! とか、かわいー彼女じゃん! とか、これっぽっちも心に思ってないことを次から次へと口に出し、いつものようにニヤニヤしてみせて、肩をばしりと叩きながらわたしの表情筋は壊れてしまったのかっていうくらい笑って、わたしの肩の上にどっかりと座ってるもう一人の自分からバカだなあと哀れみの目を向けられて、ホントにその通りですよ、なんて他人事のようにもう一人の自分に返事をして、再び笑うのだった。そんなわたしに対して、倉持はうっせ! とか、いてぇよ! とか云いながらチョップか蹴りか反撃が加えられるはずなのに、そういうことは無くって、その代わりにいつもよりうっすらと赤らめた頬で「ありがとな」とか柄にもないようなことを素直に云うもんだから、なんだか調子が狂ってしまって、わたしは泣きそうになる自分を誤魔化すためにますますテンションを上げてしまう始末。そんなわたしを苦笑して見つめる御幸の顔は見ないふり。見てしまったら、わたしの顔はみるみる歪んで映りこむ全ての境界線が曖昧になってしまうことがわかっているから。
 かわいいあの子よりも先に倉持に好きだと告げていたら何か変わったのだろうか。そんなことを何度も何度も飽きもせず考えてみた。けれど、告げてもフラれる可能性だってあるわけじゃないか。だったら考えるだけ無駄だ。でも考えられずにはいられなかった。そんなつまらない考えが脳ミソの真ん中をぐるぐると巡って一向に消える気配がなかった。そんな仮定の話は意味がないのだと知っているのに。バカだなあ。ほんと、わたしはバカだなあ。

 そんなことがあって、かれこれ二週間が経った。倉持は昼休みになると彼女とお昼ご飯を食べるようになったので、御幸と二人っきりの昼休みを過ごすことになった。どうってことない変化。三人が、二人になっただけ。けれども、御幸にはとても失礼だとは思うんだけれど、なんとなくぽっかりとその時間だけが寂しくて、何かが足りないなあとふと思ってしまう。そう思うと、その寂しさはどんどん募っていくばかりで自分ではどうしようもなくなって、御幸の顔も見れなくなって、お弁当を食べることにだけ集中しようと黙ってしまう。御幸とは時折思い出したように何か喋って、またすぐに黙り込んで、とそんなことを繰り返した。御幸もわたしと喋るのがつまらなくなったのかなんなのか、はっきりとはわからないのだけれども、無口になってスコアブックとやらをそれは舐めるようにと云ってもいいくらい真剣に見ている。でも前からそうだった気もする。わたしが倉持と二人で話している間、御幸はこうやって過ごしていたかもしれない。
 予鈴が鳴って少しすると倉持が戻ってきて、また三人で少し話す。やっぱり三人でお昼ご飯食べたいな、なんて言葉が出てきそうになったけれどもなんとか飲み込んで、いつものように笑い合った。倉持の彼女には申し訳ないのだけど、やっぱりわたしは倉持が好きなのだ。自分ではどうしようもないくらい、好きなのだ。
 
 放課後、誰もいない教室でわたしはここずっとむしゃくしゃしている心を少しでもすっきりさせて落ち着かせるために、ノートから一枚だけびりりと破いて、それをくしゃくしゃに丸めた。つよく、つよく。複雑にこんがらがってしまった感情を念というのだろうかそういうものをたくさん籠めてぎゅうぎゅうに丸めた。それから丸められたそれを今度は広げてみる。授業中に書いた文字や隅にこっそりと描いた落書きが、ぐにゃぐにゃと歪んでいて少しだけ愉快な気持ちになった。ははは、と洩れでた笑い声はとても乾いた声で、まるで自分の声じゃないみたいだ。最初よりくにゃりと柔らかくなったその紙を、今度は破った。ゆっくり破った。びり、びり、びり。それを繰り返して小さく破いていった。それを手のひらにのっけて、教室の真ん中に位置する机の上に立った。ここに座ってたのは、確か中村くんだっけか。心の中だけで中村くんにごめんよと謝りながら、椅子を踏み台にして机の上に立つ。そして机の上からぐるりと教室を見渡した。いつも見ている教室の景色とは違って、上から眺める教室は何もかもが小さく見えた。黒板も、教卓も、きちんと並べられた机と椅子も、ぜんぶ。その中でぐるぐると思い悩んでいるわたしはもっとちっぽけに思えた。そのちっぽけな世界で、わたしは両手にのっけられるほどに小さくなって重なりあってた紙を腕を大きく振り上げてぶわりと放り投げた。紙が一斉に宙に舞う。その瞬間に気づく。この紙、片付けるのすごく大変なのでは。時はすでに遅しとはよく云うけれど、教室に高く舞い上がった紙屑が一斉に四方八方に散らばって、目には見えない空気のベクトルに従って舞い落ちていく。同時に、教室のドアが思いきりよく開かれて、私は万歳のポーズをしたまま固まった。視線を音の方向へと転じると、そこにいたのは御幸だった。
 あらあら、タイミングの悪いこと。
 こんな奇妙な状況を見られたというのに、わたしの頭の中はやけに冷静だった。
 机の上に乗って両手を万歳にしているわたしと、散らばっている紙屑。キョトンとした顔でドアに手をかけたままの御幸。
 お互いに固まったまま動かないでいると、沈黙に堪えかねた御幸が「何してんの」と訊いてきた。わたしは「わかんない?」と訊き返した。わたしはまだ机の上に乗ったままだから、御幸の頭のてっぺんが見える。旋毛が左に巻いていて、あら珍しいと思って見ていると「わかんねえ」と短くいらえを返される。「そっか。ちょっとした憂さ晴らしだよ」と万歳のポーズをほどきながら答えた。
「御幸こそどしたの。部活中でしょ」
 よっこいせ、と机から降りて床の上に立つ。おっさんかよ、という声はあえて無視することにした。
「忘れ物とりにきた」 
 まだ地面についてない紙屑一つが、ひらりひらりと舞いながら御幸の足下に落ちる。御幸はその紙をひとつ拾って、ふうと長くて細い息を吐いた。再び舞い踊るちり紙は、窓から外へと飛び立った。
 わたしもあんなふうに次にいけたらいいのにな。
 ぽつりと口をついて声が出た。無意識だった。御幸はお腹を抱えてくつくつと愉しそうに笑っている。笑うところ? と眉を寄せれば、彼は目を細めてわたしに云った。
「最近の苗字は見てらんなかったからな。ちょっと安心したんだ」
 御幸は目を伏せてくっきりとした唇にゆるい弧を描いた。
「なんだ、わたしと二人きりが耐えられないのかなって思ってた」
「ちげえよ」
 御幸は箒を取り出して、ホコリとちり紙を掃いていく。わたしが散らかしたものなのに、御幸は丁寧にひとつひとつ紙を拾い集めるみたいに掃いていく。わたしもと塵取りを掃除箱から取り出して、床にしゃがんで御幸が掃く場所に塵取りを添える。ちり紙はホコリと絡まって、くるくる転がりながら塵取りにおさまった。そして、箒の動きがとまった。
「俺にすればいーじゃん」
 唐突に紡がれた言葉の意味が掴めなくて、咄嗟にわたしは御幸の顔を見上げた。けれども、御幸はわたしを見てはいなかった。
「どういう意味?」
「そのままの意味」
 御幸は箒を窓に立てかけて、床にしゃがみこんだ。わたしと同じ目線になった御幸は、わたしの瞳をじっと覗き込んだ。とても近くで見るその黒目がちの綺麗な瞳には嘘の色がひとつも混じってなくて、途惑って何も云えなくなっている間抜けなわたしだけがくっきりと映し出されていた。
 外から風が吹き込んだ。カーテンが揺れる。わたしと御幸の頭の上をカーテンがひらりと掠った。そして再び、ちり紙が舞い上がる。
「俺はずっと苗字のこと好きなんだけど」
 いつもよりずっと近くで聞く声が、空気を振動させて耳に届く。わたしは考えたこともなかった。御幸がわたしのことを好きだなんて。そんなこと、今までに一度も思わなかった。でも、御幸とそういう話は今まで一度もしたことがなかったことに今更気づいた。 
「ごめん、御幸。わたし、御幸に対して好きとかそういうの考えたことなかったよ。他の男はアウトオブ眼中ってくらい、倉持しか見てなかったんだよ。友達としてなら御幸のことまあまあ好きなんだけどさ」
「うわー、知ってたけど実際言われると傷つく」
「えっ、御幸に傷つくとかいう単語存在してるの?」
 そう云うとあからさまに御幸は顔を歪めた。あら、珍しい。今日はなんだか珍しい姿の御幸を見てばかりだ。新しい情報が次から次へと脳にインプットされる。旋毛はわたしとお揃いの左巻き、わたしのことが好き、いつものポーカーフェイスを崩して人前で顔をあからさまに歪める、それから、それから。
 今まで一緒にいた御幸は本当に今目の前にいる御幸だったのだろうか。結局のところ、わたしと御幸はある一定の線を越えないで今まで過ごしてきたのかもしれない。わたしは御幸について何も知らなかった。
「お前な……俺のことなんだと思ってるわけ?」
 ため息をひとつ洩らして御幸は床に落ちているちり紙を指で拾った。わたしもひとつ拾う。そこにはいくつか歪んだ文字が書いてあった。歪んでいるのは文字なのか、心なのか、もうわからない。
「イケメン変態眼鏡」
「褒めてんのか貶してんのかわかんねえな」
 御幸は曇りのない顔で微笑んだ。
「俺は苗字のことずっと見てたよ。苗字が倉持のこと見ている間」
 どうやらわたしが思っている以上に、御幸はわたしのことを知っているらしい。わたしは俯いて、床に散らばっている紙屑を見た。床には御幸とわたしの輪郭を持った影が伸びていて、ふいにその影がわたしに近づいた。その影はわたしの肩にそっと伸びて、ひと撫でしたかと思うと小さな紙がはらりと落ちた。わたしも御幸の裾にちょこんとお上品に乗っかっている小さな紙を払った。
「……俺、結構前から好きなんだけど」
「別にわたしじゃなくったって、御幸なら他にもうじゃうじゃいるでしょ、女の子。選びホーダイじゃん」
「それさ、逆に倉持に言われたらどういう気持ちになる?」 
 わたしは御幸に云われるがままに考えてみた。とても苦くて暗い気持ちが胸にむわりと立ち込めてきて、顔が自然と歪んでしまった。
「俺も、今苗字が思ってる気持ちと同じ」
 御幸は曖昧に笑ってわたしの頭をグシャグシャとかき混ぜた。乱暴な手つきなのに、落ちてくる声は静かで優しかった。御幸が今どういう顔をしているのか見たいのに、髪の毛で視界が覆われて何も見えないのがもどかしい。御幸の手を払いのけると、気配で御幸が立ったのがわかった。頭上から声が降る。
「……返事は?」
 御幸に倣ってわたしも立ち上がる。スカートの裾の埃を払った。
「ノー。けど、これからはもうちょっと意識して御幸のこと見る」
「前向きに受け取っていいんだな」
「そこは御幸に任せるよ。でも、もしさ、ずっと、ずっとずっと、わたしが倉持のこと好きだったらどうするの」
 教室を出ようとする御幸の背中に問うた。ぴたりと、彼は立ち止まった。お互いの微かな呼吸音が聞こえてしましそうなほどの静けさに包まれて、気まずい沈黙が落ちた。しばらくして、御幸が口を開いた。
「苗字と俺がずっと傷つくだけだろ、そんなの」
 御幸は振り向かないまま答えた。答える声が、微かに震えているように思えた。再び彼が一歩、足を踏み出した瞬間に「待って、」とわたしは咄嗟に御幸の腕を掴んで、言葉を続ける。
「忘れ物、とりにきたんじゃなかったの」
 御幸はこの教室に入ってきたときにそう云ったにもかかわらず、自分の席を見もしないで手ぶらでこの教室を去ろうとしていた。彼はわたしの手をやさしく振りほどいて、肩越しに振り向いた。
「そんなの方便。苗字が教室にいるのわかったから来たんだよ」
「じゃあ、全部見てたの」
「うん」
「最初から?」
「苗字が一人でぼうっと立ってたところから」
「そっか。わたしはいつも御幸に見守られてたんだねえ」
「今更?」
「だって、知らなかったから」
「お前はほんとに倉持のこと好きだもんな」
「まあねえ」
「ムカつくわー」
「じゃあ、わたしを振り向かせてみせてよね」
 御幸はわたしの言葉に一瞬息を止めたけど、すぐに「当然そうさせるけどな」と得意気ににやりと笑った。
 風が吹く。わたしと御幸の髪と頬を掠めて、下に散らばった紙屑も巻き上げた。