- もう、ておくれ -
「うっわーすっごい痣! 引くくらい見応えあんねー」朝練を終えて席についたら、横から無遠慮な声が飛んで来る。
隣の席に座っている苗字だ。御幸はそれを受け流して「はよ」と挨拶する。苗字も「おっはよー御幸君。あ、あと倉持君」と元気よく返す。御幸の後ろにいた倉持が「俺はついでかよ!」と苛立った口調で突っ込んだ。
席替えで隣の席になった苗字は、他の女子のようにグループを作らず、一人で過ごすことが多い。だからといって嫌われているという訳でもなく、自分から好んで一人でいるらしい。最近はなぜかこうやって朝や昼、倉持も交えて三人で話すようになったのだ。
「ねぇ、これどうしたの」
苗字が御幸の腕に大きくできた痣を指差した。
「昨日練習試合で球当たって。まあ骨とかに異常ないから問題ねーけど」
「大きいねぇ」
「こいつ、デッドボール避けきれなかったんだよ。あれは避けれただろーが」
「でっどぼーる…?」
倉持が苗字に説明したのだが、苗字は何を言っているのかさっぱりわからないらしく小首を傾げている。
「出塁して点取れたんだから結果オーライだろ」
「まあそうだけどよ」
「へ、へえ」
「苗字何もわかってねーな」
呆れてため息を吐く倉持に、苗字は「あ、あれでしょ。デッド…死んでる、感じのボールに当たった、てことだよね!」なんて適当なこと言う。御幸は「まあそんな感じ」と流しながら応じた。
こんなにひどくなるもんなんだねー、と苗字はその青痣を食い入るように見つめた。そこまで熱心に見られると少し恥ずかしくなり、御幸は困ったように目を彷徨わせていると、突然、苗字の手が御幸の腕の痣に伸びて、指の腹でぎゅっと青みがかった皮膚を押した。
「っい…」
反射的に声が出て、顔を歪める。その様子を苗字がもの珍しそうに見る。いや、前言撤回をする。凄く嬉しそうな顔をして見ていた。故意的に痛めつけたとしてもその反応はおかしいだろう。
「……なんで苗字嬉しそうなの」
「いやあ、痛いんだなあと思って」
当たり前だろ、と顔を顰めると苗字はそうかそうかと納得したように頷いている。何がしたいのかさっぱりわからない御幸は、倉持に同意を求めようと目配せするが、倉持は我関せずといった風で、傍観を決め込んでいる。倉持のやついつか覚えてろよ、と唇の裏で毒づけば、黙ったままの御幸の胸中を察して苗字は続けて言う。
「なんかさー、他人の痣って押したくならない? つい出来心で押したくなっちゃって」
ごめんごめん、ぐへへ。と笑って誤魔化そうとするが、痛いものは痛い。あとその笑い方は、なんだか変態くさかった。
「痛がってる顔見てえってこと?」
「それ!」
即答する苗字に、倉持はドSかよ!と面白そうにケラケラ笑っている。
「特に御幸君って痛がるところ想像できないからなんか新鮮で。見てて面白いっていうか、興味湧いちゃって」
「いくらこいつでも痛ぇだろそれは」
「何、観察対象とか、実験動物とかそういう分類なの? 俺って」
「ちがうよ」
苗字はきっぱりと否定した。急に真面目な顔をして御幸をつと見る。そして黙り込んだ。倉持が「おい、どうした急に黙り込んで」と苗字に話しかけるが、聞こえているはずなのに返事がない。御幸もその真剣な瞳の奥に何を言いたいのか探ろうとするがさっぱりわからなかった。苗字は短い沈黙を経て、開きかけていた唇を引き結んだ。そして意を決したように再び口を開いた。
「御幸君」
ごほん、とわざとらしく一つ咳払いをして、改まって苗字が御幸の名前を呼ぶ。
「あのですね、一年の時からずっと御幸くんのことが好きでお付き合いしたいと考えておりまして」
唐突にとんでもない告白をさらりとする苗字に、倉持がオイオイいきなり過ぎんだろ、と突っ込んでいる。御幸は胸の内ですごく驚いていた。今まで他の女子と違って、そういう素振りは一切なかったからだ。女子と男子で態度が変わるわけでもなかったし、まあちょっと言動が変態くさいところはあったが、全く気づかなかったのだ。
「それを踏まえた上で、いや、下心ありありで友達になりませんか、いや、なりましょう」
「あ、そこは俺に決定権ねーんだ」
「うん、ないけど、あります」
「お前言ってることメチャクチャだぞ」
倉持が呆れたように呟くと「倉持君ちょっと黙って私まじ真剣今現在」とお経のように唱えて、「御幸君、どうでしょう?お返事今ほしいです!」と、机をばんっと両手で叩いて御幸の返答を待った。
決定権も何もないらしいが、その答をたっぷりと間を空けて言うことにした。その間、苗字の反応を見る。
堂々と言っていたのに、あとから恥ずかしくなったのか、ああ言っちゃった、うああ、などと一人で悶々と小さな独り言をぶつくさ呟いては呻いている。と思ったら急に元気を取り戻し、言えてスッキリした!と晴れ晴れした顔をしたり、表情がコロコロ変わる。苗字が一人百面相をしているのをじっくりと堪能してから、御幸は口を開いた。
「まぁ、別にいいけど」
面白そうだし、と付け足すと調子に乗りそうだったのでそれは言わない。
苗字はきらきらと瞳を輝かせて、
「よし、じゃあ全力で御幸一也を落とすから、覚悟しといてよ」
ぐっと力瘤を見せた。なんかイケメンな決めセリフを吐かれた。男のセリフだよなそれ。とか、普通もっと恥じらいながら言うとかあんだろ。と突っ込みたいことがいっぱいだったが「はあ」とため息混じりの返事しか出てこない。前に立っている倉持が爆笑している声が聞こえる。「見てて飽きねーわホント。これから俺の観察対象としてよろしく頼む」とか言っているがそれは黙殺した。
「じゃあ、よろしく」
なんとなく手を苗字の前に差し出すと、苗字は満面の笑みで「うんっ!」と力強く頷いて御幸の手を握った。
そのすぐ後、苗字が御幸一也の手に触れた手!と興奮気味に言って、握った手をくんくん嗅いでたところを見て、御幸は少し後悔した。すかさず倉持が「きめぇ」と苗字にタイキックを食らわせても苗字はえへへーと締まりのない顔はなおらなかった。
その表情を見て、可愛いかもと思ってしまった自分は、もう手遅れなのだろう。