のどぼとけ
今日は暑い。猛暑だ。外出なんてしようもんなら、アイスクリームみたいにどろりとそのまま溶けてしまいそうな暑さだ。室内に引きこもって扇風機とエアコンの両方をフル稼働させているというのに、灼のこのお家は広すぎて未だに冷たい風が行き届いてなくてとにかく暑い。リモコンを手に取り温度を下げようとエアコンを見ると、お手入れランプがちかちかと点滅していた。そういえば、フィルター内部を清掃したのは去年、いや、一昨年の初夏だ。ずいぶん時間が経っている。でも今するのは面倒くさい。だからといって放っておくと、フィルター越しで通る風は埃に阻まれて効きが悪くなるだろう。となりで気怠げにテレビを眺めている灼を意図的にちらりと見る。ラフなTシャツに短パンという格好でソファにだらりと足を投げ出して横たわっている灼はとてもとても暇そうだ。
「あらたー、」
まだ呼び掛けただけだというのに、「まだ大丈夫だよ」と私の言う事を先読みして手元にあるポテトチップスをバリバリと頬張りながら答えた。
「まだなにも言ってないんだけど!」
むうと唇を尖らせると、灼も私を真似て唇を尖らせた。なにそれ、ちょっとかわいい。
「ええ〜、だって名前がなにを要求してるかわかっちゃったんだもん」
だもん、とかそんなかわいらしい語尾で絆される私ではない。断じてない。エアコンの真下まで来てもう一度確認してみる。ランプは相変わらずちかちかと点滅をし続けている。
「でもそろそろだと思うんだけどなあ」
と言ってたら、ぽつんと肩に水が滴った。上を見上げてよくよく見ると、エアコンの下から結露した水が漏れ出ていた。このまま放っておくと床が濡れてフローリングが水浸しになってしまう。慌てて風呂場から洗面器を持ち出して床に置いた。ぽたん、ぽたん、と一定の速度で雫が洗面器の中に滴り落ちる。私の行動にいち早く気付いた灼は「あちゃ〜名前の言う通りだったね」とソファから立ち上がってガレージから脚立を持ってくると同時に、私にマスクをするよう促した。「マスク?」首をひねると「埃がすごい落ちるから絶対して」灼にしては珍しく強い口調で言ったので、大人しくマスクを引っ張り出して装着する。その様子をしっかりと確認してから彼は実に手際良くフィルターの清掃を行った。昔の掃除機で表面の埃を吸い取り、外して水洗いしたあと、さらに中を開けて埃をかぎ針みたいなもので掻き出している。さっきまでソファでぐうたらしていた人とはまるで別人のようだ。下からぼんやりその様子を眺めていると、灼はもっと離れててと払い除けるような仕草をしたので、大人しくその場から離れて篤志さんの時代からあったであろう年代物の扇風機の前で寛ぐ。灼の言う通り、沢山の埃が落ちてきて自動掃除ロボットが忙しなくその埃を拾っている。
「ふう、終わった〜」
「お疲れ様!」
タオルで汗を拭う灼に氷をグラスいっぱいに入れたソーダを差し出す。ありがと、と笑って受け取った彼は喉を反らしておいしそうに飲んだ。男らしい喉仏が上下する。その様子を見ていたら、なんだか私も飲みたくなってきてソーダをグラスに入れた。まだフィルターが乾いていないのでエアコンをつけていないが、泡がパチパチしゅわしゅわと弾ける音は涼しげで、胃の中へと滑り落ちるソーダは体を程よく冷やしてくれた。
「たまには、こういう夏もいいかもね」
人工的に冷やされた空気じゃなくて、自然の暑い空気をほんの時々なら楽しんでいいのかもしれない。カラリ、と音を立てて氷が溶けていく。
「本当に、たまにならね」
と微笑んだ灼は続けて「おかわりちょーだい」とグラスを差し出した。それを受け取って、またソーダを入れる。透明なソーダの丸い泡の粒を眺めていたら、昔、灼のこの家で風鈴を飾り付けていたのをふと思い出した。あの頃、舞子ちゃんと私でキレイだねと囁き合って永遠と眺めていたのだ。灼と炯くんはそんな風鈴に目もくれずにゲームだのなんだのしていたからきっと覚えてないだろう。夏らしさを感じるために、今度新しい風鈴でも買いに行こうかな。ガラス細工の作りで、音も見た目も透明で涼やかなもの。それを今の灼がどう感じるのかわからないけれども、気に入ってくれたら嬉しいな。