70 おもちゃ
わたしは中学生の頃から宮くんと付き合っている。成り行きというか、そうなったきっかけは、多分ささやかなやりとりの積み重ねだ。
中学一年生のとき、たまたま席がとなりになって、そこから少しずつ話すようになり、お互いの部活が終わる時間も一緒ぐらいで家も近所だからと一緒に帰るようになって、そこから「付きおうてや」と宮くんに言われるまでそんなに時間はかからなかったように思う。冗談か、もしくはからかわれているのか、はたまた罰ゲームで言わされているのかわからなかったけれど、別に嫌いでもなかったし、軽いノリで「ええよ」と答えれば、宮くんが瞳をきらきらと輝かせて「ほんまに?! よっしゃ!」とガッツポーズをしたので、冗談でもからかいでも罰ゲームでもなかったのだと驚いたことをよく覚えている。
それから四年の月日が経つ。いつの日か、子供の使い捨てのおもちゃのように簡単に捨てられる日が来るものだと思っていたが、喧嘩も殆どすることなく彼との関係は続いている。けれど未だになんでこんな平々凡々のわたしと付き合っているのだろうかとふと疑問に思うことがある。性格はちょっとあれだけど(治くんから「クソ豚ー!」と叫ばれていたことを知っている)、顔は整っているし、バレーではユースに選ばれるくらいの実力が備わっているし、女の子なんて選びたい放題だろう。もっとかわいい子や美人な子と付き合えばいいのにと提案したいくらいだ。でもそれはさすがにお節介が過ぎるかなと思い、実行に移せないまま今に至る。
宮くんはわたしより記念日とか覚えているし、かなりマメに連絡もくれる。それに比べてわたしは記念日とかあまり気にしたことないし、ファンの子たちみたいに差し入れとかそういうのもしたことなければ、彼が出場している試合も自分の部活があるために観に行って応援をしたことは一度もない。恋人らしいことも、帰り道一緒になった時に周りに人がいないことを確認してからそっと手を繋ぐくらいで、それ以上のことはまだなにもしていない。
……そもそも宮くんはどうしてこんなわたしなんかと付き合っているのだろうか?
今思い返せば、好きと言われたことも好きと言ったことも一度もなく、たった一言「付きおうてや」と言われただけでこの関係性は成り立っている訳で。いつ宮くんから愛想を尽かされ別れを切り出されてもおかしくない状況というのは間違い無いだろう。
同じクラスの治くんと角名くんに首を捻りつつこのことをそのまま話せば「それ、侑にそのまま言うたらブチギレんで」と呆れたように言って大きなため息を吐く治くん。「まさかの無自覚で四年って」と鼻先で軽く笑う角名くん。その二人の反応は、宮くんが可哀想というニュアンスをたっぷりと含んでいた。ずっと抱き続けているこの疑問に二人とも真面目に答えてはくれなかったので、結局わたしとどうして付き合っているのかという疑問は解決せずに終わった。
そんな話をしてから数日後、宮くんとの一緒の帰り道に、「なんで宮くんはわたしと付きおうてるん?」と飴玉がころんと口から出るような唐突さで口に出していた。すると隣を歩いていた宮くんは足をピタリと止めた。そしてもともと大きな目をさらにまるくして、たっぷりと間を空けたあと「はあ?」と怒ったように片眉を釣り上げた。
なんだか一気に空気が不穏なものになった。治くんが「ブチギレんで」と言っていたが、まさか本当にそうなるとは。双子恐るべし。その空気に慄いて「えっと、ほら。宮くんは、中学の時からめっちゃモテるやん? わたしよりかわいい女の子とか美人な女の子と付きおうた方がええんとちゃうかなと思って……その、」しどろもどろになりながら口を動かすが、話ぜば話すほど宮くんの眉間のシワがどんどん深くなっていく。
「思っとること、今ここで全部言え」
今まで聞いたことないような低い声を出した。怖い、怖過ぎる。こんな宮くんは初めて見る。試合中になにか気に食わないことや、彼の哲学をねじ曲げるようなことがあると物凄く怖いと噂では聞いたことはあったが、今までそれをわたしに向けたことはなかった。
「……好きやって、言われたことも言ったことないし、……わたし部活で精一杯でそんなデートとかも出来んし、別にかわいくも美人でもちゃうし、愛想もようないし、いつ振られてもおかしないなあって。それに、」
続けようとしたら、「ちょっと黙っとれ」とあっという間に宮くんの顔が近づいて、唇を塞がれてしまった。言おうとしていた言葉達が宮くんとわたしの間で溶けていく。顔を逸らそうとすると、逃すまいと彼の大きな手が後頭部に回る。うまく息ができなくて苦しい。宮くんの胸板を叩いて抵抗するとようやっと唇が離れた。路端で何してんねん、今ここで全部言えと言ったのは宮くんやん、ファーストキス奪われた、とか沢山の文句をぶつけたかったのに、彼が有無を言わさない空気を纏っているせいで何も言えなくなる。
言われた通り黙っていると、宮くんは自分で作ったその空気を和ませるようにわざとらしく深いため息を吐き出して「あんなあ、」と不満げに下唇を突き出した。まるで拗ねた子どものようだ。
「好きやない女と四年も付き合うほど、俺暇ちゃうねん」
「……うん」
「それにな、別に春に見返りを求めてへん」
たしかに今まで宮くんから見返りを求められたことも、なにかを強要されたこともない。宮くんに苗字ではなく名前で呼ばれるようになってから「わたしも宮くんのこと名前で呼んだ方がええ?」と訊ねたら「別に呼びやすい方でええやん」と実にあっさりとしたものであった。だから今でも宮くんと呼ばせてもらっている。ちなみに治くんには、あいつと同じやとややこしいから治て呼んでと言われたから治くんと呼ばせてもらっているけれど。
わたしの右手に彼の指先がするりと絡む。わたしより長くて、太くて、手入れの行き届いた、美しい手だ。
「春が思っとる以上に、俺はバレーしか見えとらん。そんな俺が、バレー以外やったら春の顔見たいなあとか、今何してるんやろとか思うねん」
指と指の間に彼の指が潜り込んで、ぎゅっと力が込められる。まるで離さないと言われているようでじわじわと顔に熱が集まる。見られたくなくて顔を背けると「んー? 照れとるん?」とわかっているくせに揶揄うように覗き込む。意地悪だ。多分、すごく、悪い顔をしているに違いない。
言われっぱなしは性に合わない。わたしもこんな時ぐらいは素直になろうと口を開いた。
「わたしやって、あんまり彼女らしいことは全然できんけど、ずっと好きやなって、ちゃんと思っとるもん」
ちらりと彼の様子を窺い見る。今まで見たことないくらい呆けた顔をしてこちらを見ている。
「これからは思っとることは口にしていくわ」
「へ?」
「今から春ん家行ってええ? もう可愛すぎて我慢できんねんけど」
「親いるから絶対あかん」
「えぇー?! 今のは完全にそういう流れやったやん?!」
がっくりと項垂れる彼に肩を震わせて笑っていると、隙だらけやなと再び口に唇を押し当てられる。普段なら怒るところだが、今日はこの甘い雰囲気に流されて許すことした。
それからというものの、宮くんは宣言通りに、どこかしらすれ違う度に「今日もかわええ」「好きやわ」となにかしら言われるようになり、治くんと角名くんからご愁傷サマ、と憐みの目を向けられるようになった。
たしかにわたしは宮くんから好かれてるんやな、付き合ってるんやな、と思うのは悪い気分ではないけれど、周りからの視線が色んな意味で痛くて恥ずかしいので、やめてほしいというのが本音である。