72 萌え
萌えを感じる部分というのは、人それぞれでまったく異なるんやろうな、などと考えながら、成瀬さんの横顔を眺める。成瀬さんはお弁当のおかずを食べていて、その横顔がえらい幸せそうやなと思うと同時に、咀嚼してるときにこめかみが小さく動くのがめっちゃかわいらしいな、ええな、と思いながら自分も弁当に手をつけた。
そんなことを頭の中で思い出していたからか、部室でどういうときに萌えを感じるかという話題を振られたときに「こめかみ」と口走ってしまった。自分の発言にしんと静まり返って、妙な空気に包まれたのがわかる。まあたしかに、上目遣いとか照れた顔とか袖から出た指先だとか冬服から夏服に変わった時とかそういう話があがってる中で「こめかみ」は異質だったろう。みんなすごい引いた目で俺のことを見ている。「治おまえ…そんな趣味あったんか」いや侑には言われたないわと反論しかけたところで、北さんからはよ練習始めるでと声がかかったので、この話はお開きとなった。
翌日、角名と一緒に昼ご飯を食べてる時、こっそりと成瀬さんを盗み見た。齧歯類がひまわりの種とかどんぐりとかそういうものを頬に詰め込むような可愛らしさが彼女にはある。そして食べ物を噛むのと連動してこめかみが小さく動く様は、やはり胸の内を擽るような甘さがわいた。試しに角名のこめかみを観察してみる。動いてるのは当たり前だが、そこに魅力を見出すことはできなかった。「治、視線が気持ち悪い」と言ってるが無視して見続けた。やはり、なにも感じない。どうやら成瀬さんだけらしい。「なんか成瀬さん、治のこと少し気になってるらしいよ」角名が何気ない声で唐突に告げた。角名は少し前の俺の視線の先に気づいていたようだ。「は? どうせウソやろ?」「いや、本当」「なんでそんなん知ってるん?」「たまたま女子同士の会話で聞こえてきた」思わず成瀬さんを見る。その瞬間、彼女もこちらを見ていたようで目と目が合った。「あ」とお互い口が開く。彼女は弾かれたように視線をすぐ逸らしたけれど、その横顔はじわじわと紅潮しているように見えた。角名の言ったことを信じてないわけじゃないけれど、今の彼女の反応を見てそれは確信に変わりつつある。さて、ここからどうやって彼女を攻略して行けばええやろか。なんや獲物を捕らえる狐みたいな心境やなと一人笑ってると角名が「気持ち悪…」と再び呟いて眉をひそめた。