39 寝顔
彼と同棲し始めてしばらく経った頃だろうか。仕事で疲れ果てたわたしは、家に帰るなりすぐ眠りについた。そして朝、目が醒めると上からじっとみつめる彼の二つの目と目が合った。いつもならすでに起きてロードワークをこなしているか、もしくは朝ごはんを作って先に食べているはずなのに、上体を起こして寝ているわたしをみているなんてことは初めてだ。どうしたのだろうか。寝顔がよっぽど変だったのだろうか。
「……おはよ」
「はよ」
「……昨日帰ってきて、そのまま寝ちゃったや」
「相当疲れてたんだな」
「…………あの、わたしの寝顔、変?」
「え? なに急に。そんなことねえけど」
「いや、なんか見てるみたいだったから」
彼はようやっとわたしの言っている意味がわかったようで、ああ、と肯いた。
「寝顔じゃなくて、春のイビキ、なんかショベルカーみてえだなって」
「…ショベルカー」
「そ、ショベルカー」
とりあえず褒められていないことはわかるし、ショベルカーが一体全体どういうものなのかもおおよそ見当がつく。工事現場でものすごい音を立てながら廃棄物やら砂やらを掘り起こしたり移動させたりする働く車。ショベルカーと言われたことよりも、そんな騒音をとなりで聞かされていた御幸くんのことを思うと申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「うるさくてごめんなさい…」
起き上がって頭を下げれば「おもしろくてずっと聞いちゃうんだよな」そんなよくわからない感想をいただいた。
「……? そこは、不快になるところでは?」
「はっはっはっ、疲れてたみたいだし、別に気にする必要ねえって」
「そう?」
「うん」
この言葉をそのままに受け取ったわたしはそれから気にすることもなく、自覚はないがときどきショベルカーのようなイビキをかいて眠っているのだと思う。
友人曰く、この出来事はふつうなら別れを告げられるレベルだそうな。ならいまだに続いているこの関係は奇跡と言えるのかもしれない。彼は寝てるときどうなの、と聞かれて思い返す。わたしより遅く眠って、早く起きるのであまりみたことないが、身動きせず、やすらかな眠りについている印象だ。むりやり文字に当てはめるとしたら「すよよ」という感じ。
御幸くんの眠っている姿はものすごくかわいいんである。わたしと同い年のはずなのに、ぐんと若くみえるからうらやましくなる。わたしも彼みたいにかわいい寝顔だったらいいなあと思うのだけれど、なんせショベルカーの異名を持つわたしのことだ。白目を剥いていたり、口を大きく開けてよだれを垂らしていても、なんら不思議ではない。御幸くんはわたしのイビキを面白いのたった一言で済ませたけれど、本当はとても苦痛を強いられているのでは? とその頃から思い始めたのである。けれども、そんなことをわざわざ尋ねることもなく、御幸くんから一也くんと呼ぶような間柄になった。いまさら聞くのはおかしいだろうかと思いつつも、「わたしが寝てるとき、苦痛じゃない?」とおそるおそる聞いてみた。
「へ?」
小首を傾げた彼は考える間を置いて、「もしかしていびき気にしてんの? 前にショベルカーって言ったこと」と核心に触れた。おずおずと肯くと、あまりにも深刻な顔をしていたらしいわたしの頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜて「気にしてたら結婚なんかしてねーって」彼にしてはめずらしく素直でまっすぐな言葉を言って、眉を下げて笑った。言った後に恥ずかしくなったのか、まるで急かすように「ほら、寝ようぜ」と枕元のランプを消そうとする。そのときの彼の頬は、少し赤色に染まっていた。
「さっきの、もっかい言って!」
シャツを掴んでせがめば「もう絶対言わねえ」とそっぽを向いてしまった。彼は寝てても起きててもかわいいんである。