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 88 飛べない理由

 「あのさ、もしかして飛行機初めて?」長い沈黙のあと春は視線を窓の外から逸らさず「…………別に?」と小さな声で言った。わかりやすい。わかりやすすぎる嘘である。そんな春は両側のアームを血管が浮き出るほど強く握りしめ、唇も強く噛み締めていた。ちなみにまだ離陸はしていない。離陸に向けて滑走路の上を飛行機がゆっくりと動き出したところだ。今まで春が飛行機を移動手段とした遠出の旅行に難色を示す理由がわかって俺としてはスッキリしたが、こんなに怖がっていては可哀想に思えて、新婚旅行を楽しむどころではなくなってきた。だからといって、素直に怖いという彼女ではないことは重々承知なので「俺が怖いからさ、手、握っててくれない?」とこちらから提案すると、春はちらりとこちらを一瞥し、しょうがないなあと眉を下げて笑ってから遠慮がちにそろりと手を重ねた。そして聞こえるか聞こえないかのとても小さな声で「ありがと」と言った。なにこの可愛い生き物。ツンデレの彼女ではあるが、デレの割合がかなり低いのでこのような珍しい状況にどきまぎしてしまう。そして離陸中は勿論、飛んでる最中は、少しでも上下に揺れようもんなら、息を詰めて俺の手を強く握りしめた。ちょっと待って、こんな春が見れるなんて聞いてないんですけど。デレの供給過多で本日死んでしまうのではないだろうか、なんてバカなことを考えてしまうくらいには可愛い。可愛いの天元突破。春からのそんな前代未聞なサービスについつい彼女を抱き締めそうになったけれど、ここは公共の場だ。湧き上がる欲望を理性でなんとか捩伏せ、なんともない顔を装い「どういたしまして」と努めて冷静に返す。けれども頬がだらしなく緩んでしまうのは不可抗力だ。飛行機から降りてホテルに着いたら、春には覚悟しておいてほしい。着陸後、俺の心中など何も知らない春は「自分が鉄の塊に乗って空の上を飛んで移動したなんて未だに信じられない」と暢気に感動していた。