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 97 塩と砂糖

 命の灯火が目の前で呆気なく消え失せた。そろそろ子どもが生まれるんだと嬉しそうに数分前にはにかんだ顔は、地面にひれ伏して潰れている。
 掴もうと伸ばした指先から命の欠片が砂のようにさらさらと零れ落ちていくようだった。

 「なぁに辛気臭ぇ顔晒してやがるんでィ」
 訥々としたお経を遠くから聞いていると、近くから今いるはずのない声が飛んできて、思わず肩が跳ね上がる。なんでここに居るんですか、と訊ねようとしたけれども、喉は震えるばかりで音にならなかった。

 いつも傍にあった命が何の前触れもなく目の前で消えたのは初めてのことだった。ぷつり、と魂と身体が離れていく瞬間、その彼に駆けつけるでもなく呼びかけるでもなく、わたしの中の大切な箍が外れて、その命を奪った浪士に向かって容赦無く刀を振りかざしていた。
「もうやめろ」
 ふいに後ろから肩を掴まれる。「止めないでください」と叫ぶように声を発すると同時にその手を振り解こうとした。けれどできなかった。骨と肉が裂けてしまうのではないかというくらい強く掴まれて痛みに顔が歪む。その痛みでふと我に返り、今の状況をようやっと把握する。その浪士はとっくに死んでいるのにもかかわらず、わたしは意味もなくただひたすらに刀を突き刺していたのだ。そう気付いた瞬間、体の力が抜けて地面に崩れ落ちた。そこからの記憶は殆どない。目が醒めたら、自室の布団の中にいた。一体どうやって屯所に帰って来たのか。一緒に同行していた隊士に訊ねると、沖田さんがわたしの意識を一瞬にして奪い、担いで帰ったらしい。その上、全身に飛び散った血を洗い流し、布で丁寧に全身を拭き上げたあと寝衣に着替えさせたのだそうだ。

 昨日は大変ご迷惑をおかけしました、とか幾らでも沖田さんに云うことは沢山あるはずなのに、仲間が亡くなった喪失感の方が遥かに大きく、喉になにかがつっかえたように言葉は出てこなかった。人が亡くなるということは、関係が完全に途切れるということだ。どんなに願ったって、会うことは叶わない。彼の最期の笑顔が、まぶたの裏に浮かび上がった。

「これでもしゃぶってろ」
 沈黙を破ったのは沖田さんだった。そう云って、口の中に突っ込まれたのは飴玉だった。からん。口の中で転がっていく。ざらりとした表面からじわじわと甘さが溶け出した。脳内がびりびりと痺れてしまうくらい甘い。それなのに、鼻奥がツンとなって、口にゆっくりと流れ込んでくるのはしょっぱい。甘いのとしょっぱいのが混じり合ってなんだかぐちゃぐちゃだ。
「あーあー、辛気臭ぇ顔からブサイク面に変わりましたねィ」
 からからと笑う沖田さんはあまりにもいつも通りで、つられて笑ってしまう。泣いているのか笑っているのか、舌だけではなく顔まで馬鹿になってしまった。けれど、今だけは、許してほしい。
「沖田さん」
「何でィ」
 きょとんとした顔。ふいに魅せるあどけない年相応の表情。鬼の子に違いないなんて世間では云われているけど、みんなは彼の一面でしか判断をしていないだけだ。本当は、こんなにも優しい。
「ありがとう、ございます」
「春のブサイク面を拝みにきただけでさァ」