36 切り傷
このような状態の男の姿をみるのはもう何回目なのだろう。毎回飽きないもんだと溜め息が零れていた。わたしが居ることにすぐ気付いた同期の彼はわざとらしく肩を竦めて見せた。
「お前はちっとも驚かないんだな」
腕の付け根から夥しい量の血が流れているのにも関わらず、平然とした顔で唇の端をつり上げた。
「驚くことに飽きちゃったよ」
「ははっ、成瀬らしい。僕の部下なんか慌てふためいていたってのに、お前はほんとに可愛いげがないな」
言葉のわりに愉しそうな声音で紡がれたのは、わたしの反応があまりに予想通りだったからなのか、それともこの一連の危機を無事に回避出来たことによる安堵からきているものなのかはわからない。そのことがなんとなく面白くなくて、可愛げなんてものはとうに棄てたよ、と唇を尖らせると彼は知ってるさ、と肩を揺らして笑う。その度に赤色が小さく床に散っていく様子を視界に入れてしまい思わず目を細めた。
その赤から目が離せなくなってしまうのは、この男が本当に生きているのだと実感できるもののひとつだからだ。
「さっさと見てもらいなよ。今の降谷くん血生臭くて近付けやしない」
「はいはい、わかった。心配してくれてるんだよな、成瀬は」
「してないってば」
「へえ。その割にはお前の方が痛そうな顔をしてるように見えるけど?」
「…都合の良いように受け取れるって素晴らしい能力だと思うよ」
「辛辣だな」
彼に診察室へ行けと顎で促す。大したことないんだけどな、とぼやく彼を見送り、その背中へ聞こえないくらいの小さな声でお疲れさま、と唇の上で呟いた。けれどその瞬間、彼は肩越しに振り返って右手をひらりと振った。