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 83 見ない云わない聞かない

 喉がひりつくほどの渇きで目をあける。ぼんやりと視界に映ったのは見慣れた天井で、自室だということはわかった。だが、なんだこの尋常じゃない飢えと身体の重さは。口に何か入れようと手を動かそうとしても全く動かず、立とうとしても足も動かない。八方塞がりのようなので、黙って天井を睨み続けることにした。
 ふいに、忍んだ笑い声が聞こえた。どうやら、目を覚ましてからの自分をじっと観察してたらしい。悪趣味にもほどがあるってもんだ。
「アンタ、また死に損なったのかい」
 とりあえず呑みな、と口元に水をたっぷり含んだタオルを置かれてたので、そこから水分を吸い取る。カラカラだった口の中が少し潤った。
「…ババァ、奇跡的に生き延びた人間に対して云うセリフじゃねえよな、それ」
 久々に出したであろう声はしゃがれていた。
「アンタにゃあ死に損ない、ってのがお似合いだよ。懲りない野郎だねェ。何回そうなったら気がすむのさ」
「オイオイそりゃあねーだろ。俺はもっと気を利かせたセリフ待ってんだよ」
「じゃあ、生きててよかった、っていやぁいいのかい?」
「…………気味悪ィな」
「そうだろうよ」
「てかよォ、起きた瞬間かわいいナースがお出ましする展開じゃねぇの。起きたら目の前に老いぼれたババァの顔とかほんと興醒めもいいとこなんですけどぉ」
「アンタ、ほんとに目ェ覚めてるのかい? まあ四日も滾々と眠り続けてたら仕方のないことなのかねぇ。アンタのためだけの最高にかわいいナースならすぐ側にいるじゃあないのさ」
 ババアが顎で促した方向に目をやれば、濡れたタオルを握ったまま春が体を小さく丸めて眠っていた。
「本人は云わないだろうから、代わりにあたしが云っとくよ」
「アンタがぶっ倒れてから、何も食べないでずっとここで看病してたんだよ、アンタのためだけに。あたしが目が覚めたら連絡するから帰んなって何度云っても聞く耳持たなくって、全く頑固な子だねェ…。一体誰に似たんだか。きっととんでもない祿でなしがずっと側にいたんだろうさ」
「健気なこった…。てっきりババアが看病したのかと思った」 
「あたしゃ家賃も払わない碌でなし家主にそこまで時間割きゃあしないよ」
 じゃあ邪魔者は退散するとしますか、と煙草を燻らせながら襖を閉めた。それを見届けたあと、時間をかけてなんとか上半身だけを起こし、布団もなにもかけずに傍で体を丸めて眠っている彼女の頭に手を置いた。昔からずっと変わらず傍に居続ける彼女は、俺がどんなにひどい状態で帰ってきてもなにも云わず、そしてなにも聞かずに看病してくれる。そんな彼女に俺は甘えている。
「春、ごめんな」
 目の下に浮かんでいる隈を指でそっとなぞる。こんな姿を見るのはもう何度目だろうか。数えることをやめたのは、春の髪の毛がまだ短かった頃で、随分昔の話になってしまう。あの頃から考えると、お互いに歳を食ったなあと苦笑が洩れ出た。
「そこは、ありがとう、でしょ」
 てっきり眠っていると思っていた春が体制をそのままに小さく呟くようにして云った。
「……ありがとう」
 うん、それでいいの。彼女はへらりととろけるような笑みを浮かべて、再びまどろみの中へと沈んだ。
 ああ、今の俺の顔を見られなくて、声を聞かれてなくて、よかった。きっと笑っちまうくらい、情けないだろうから。
「ただいま、春」