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BLコンテスト・グランプリ作品
「見えない臓器の名前は」
- ナノ -


  75 波打ち際

 「やっぱ寒いねー」
 冷たい水が、足首の周りをくすぐる。歩く度に跳ねる水しぶきは日本のよりも幾分か透明にみえた。下の白い砂が砕けて落ちていく様子が鮮明にわかる。
「冬に浸かるバカがいるかよ」
 呆れながらも、そのバカと同じように足首は水に晒されている。水の中を自由に動かすためのしなやかなふくらはぎは、まるで魚の尾ひれを連想させた。手の届かない遠くへ、どこまでも遠くへひとりで進んでいく彼にはぴったりだ。
「一度浸かっちゃうとさ、逆に足元のほうが温かく感じちゃうね」
「それわかる」
 パシャリ、冷たいのかあたたかいのか曖昧になった水が水面の上を飛び回る。
「ハルでもさすがに入らなかったぞ」
「そっかー、わたしよりも遙の方が凛と一緒に来てるのか…なんか妬けちゃう」
「それは、仕方ねーだろ」
 ばつが悪そうに笑う。
「わかってる。遙にとって必要なことだったってちゃんとわかってるんだけど、どうしても言いたくなっちゃうんだよ」
 足を止めて、まじまじと自分のふくらはぎをみる。ミミズを張ったような大きな筋が縦に入っていて、とても人に見せられるものではない。思わず口元を歪めてしまう。
「なあ、」
 ふと足を止めた。わたしと彼の間にはいつの間にか距離が出来ていた。
「夢が叶うまで、待てるか?」
 うん、とすぐに言いたかったけれども、本音は違った。わたしも、遙や凛と同じように自由な足があれば良かったのにな、そんな叶わぬ願いを抱きながら水の中を蹴る。罪のない水が逃げるように跳ね上がる。
「何言ってるの。待ってなくても、待っていても、凛はひとりでちゃんと叶えるでしょ」
「…それもそうだな。でもどうしても言いたくなるんだよ」
 そう返されると、肯くしかないじゃない。
「仕方ないなあ」
 笑いながら彼の後ろをついていく。歩みの遅いわたしに気をつかって、何度も振り返り確認するやさしい彼に、視界が水を張ったようにたわんだ。