85 わがまま
廊下にいる女の子たちの囁かれる声が耳の中へするりと入ってくる。御幸くんが告白されてたらしいよ。すごく可愛い女の子だった。彼女いるってわかってるのに告白するのすごいよねえ。
うん、わたしもそう思うよ、彼女いる子に告白するってことは、よっぽど好きってことなんだと思うんだ。
彼女たちの会話に混ざってそう応じたいのだけれど、わざわざ言うことでもないなあ、と思い黙ったまま目の前を通る。彼女たちのその声は、わたしを視界に入れた瞬間にピタリと止んだ。気にしなくていいのにな、と思う。そういうのは中学生の頃から慣れっこだ。いくら幼馴染の恋人という肩書きがあったとしても、恋をした女の子の溢れ出る想いが止まるわけではない。一也と付き合うということは、これぐらい些細な事だと割り切らなければならない。
そうだとわかっているのにもかかわらず、わたしよりももっとふさわしくて素敵な人が一也の目の前に現れたら、また、一也がわたしよりも好きな人を見つけたら、とそんなことを思考の隙間で考えてしまうときがある。もしその時が訪れたとしたら、笑って一也の隣を去れるのだろうか。
今頃一也は返事をしているのだろう。告白現場に遭遇したら、すぐにその場から去るよう心懸けているから、今まで一也がどうやって答えてきたのかはわからない。
過去に「告白されてたね」と聞くと、一也はこちらの様子を伺うように見た。彼は答えない。その代わりに、わたしの手をぎゅっと握った。先を行こうとするわたしを制するような動作だった。
「気になる?」
口の端をゆるりと持ち上げて問うた。気になって聞いてしまったが、その声はすごく子供っぽい独占欲が滲んでいたことに気付いた。けれど訂正するにはもう遅い。今更、ごまかしても意味がないだろうから、小さく肯いた。彼は安心させるようにもう一度手を握りなおした。
「ずっと前から野球以外は、全部お前にやるって決めてるからな」
じくりと喜びで体の内側からあたたまる。わたしは何も言えずに、再び肯いた。
それから何度もこういうことがあっても、気にしないことにした。けれども、ときどき心の奥底に隠れている不安がひょっこりと顔を覗かせる。そして意地悪く問いかける。
君よりも彼の隣にいるのにふさわしい人が現れるかもしれないし、彼がその人のこと好きになることがあるかもしれないよ。
うん、そうかもしれないね。答える声はいつも自分から発せられたのか不思議なくらいに頼りない。
ふいに背中をとんと叩かれた。視線を上げるとそこには倉持がいた。やさしさが背中にじんわりと広がっていく。それは多分、気にすんな、と伝えていた。「倉持は優しいなあ」そう言って笑うと、倉持は「無理して笑うんじゃねえよ」と眉をひそめた。きっと、倉持もあの女の子たちの話を聞いたのだろう。
そうだね、そんな“もしも”の話はその時が来たらまた考えればいいんだよね。だけどね、本当にそんな日が来たとしても、一也の隣を譲れる気がしないんだよ。一也の隣に自分以外の女の子が笑ってる姿がうまいこと想像できないの。これってとってもわがままなことなのかもしれない。倉持はそんなわがままで自分勝手なわたしをきっと知らない。