教室の隅でいつものように三人で昼食をとる。その中で逸早く食べ終えた御幸はスコアブックを眺めだした。毎度のことながらよく厭きないなと感心してしまうほど真剣に見る御幸は、こちらが話しかけるのを躊躇われるくらいだ。こうなってしまうとスコアブックに夢中になって口を動かさなくなるので、自然と苗字と話すことになる。
苗字は食堂で買ったパンを小さな口で咀嚼していた。女子という生き物はそれだけで何とも可愛らしく見えるようにできているらしい。
まあ、ぶっちゃけ苗字は他の女子に比べてもかわいい、というより美人の方ではある。鼻梁はすっと通っていて目元はぱっちりとしているし、きゅっと引き締まったあごに小さくて赤い唇がまた顔に華やかさを添えていた。性格も普段は溌剌としていているが、ふとした瞬間にみせる大人びた表情にやられる男も少なくはない。
……なんだか御幸にこんな彼女がいるのが少しだけ、ほんの少しだけ羨ましく思っている自分がいて胸の内だけで舌打ちをした。
「なあ、苗字って好きなタイプとかってあんのか?」
ふと湧いてきた疑問をそのまま訊ねると苗字は目をぱちくりと瞬かせてから、小首を傾げた。彼女は考え方や行動力はとても男勝りなのに、こういう何気ない仕草がいちいち可愛いやつである。男はこういうのに弱いってことを教えてやらなかったのかよ、御幸のやつ。
「うーん、好きなタイプ?」
すんなり答えが返ってくるかと思いきや、眉を寄せて真剣に考え込んだ。この反応は予想していなかった。
「女子同士でそういう話しねえのかよ」
「するけどさ、もう高校入学する前から一也と付き合ってたから、自然とそういう話から弾かれるんだよね。苗字さんは彼氏いるからもう関係ないよね、みたいな」
「そういうもんか」
「そういうもんだよ」
「イケメンが好きとかあんじゃねーの」
「うーん、イケメン、ねえ」
ぼんやりと言葉を繰り返して、イチゴがでかでかと描かれたパックにストローを挿した。
好きなタイプだとか話し始める年頃の前に付き合うとこういう話をしなくなるのも納得だ。だからこんなに新鮮な反応が返ってくるのか。男同士で話すと「胸が大きい」やら「顔がかわいい」やら自分の性格や容姿を棚にあげて好き勝手にいうのが定石だから、女子もそんなものなのかと思って訊いてみたのだが、どうやら訊く相手を間違えてしまったようだ。けれども苗字がどういう答えを導き出すのか気になったので、焼きそばパンを頬張りながら苗字の言葉をのんびりと待った。
「一也がイケメンって周りの女の子達が騒いでたり、実際に告白現場とか遭遇したときに、あ、一也ってそういえばイケメンだったんだ、って思うし」
「へえ」
「雑誌とかでも注目の“イケメン捕手”って書かれてたり、そこに写真とかのってたときに改めて感じるくらいかなあ」
美人とイケメンは三日であきるという世間の法則はあながち間違いではないのかもしれない。決して口には出さないし認めたくはないが、御幸は誰がどうみてもイケメンの部類に入る。そんな御幸が小さい頃からずっと側にいたのなら、イケメンに対して感覚が麻痺してても何らおかしくはない。
「じゃあ大抵のやつはイケメンじゃないってことか?」
「そういうわけじゃないよ」
ゆるりと否定して、イチゴミルクのパックを啜った。いかにも女子が飲みそうな代物である。啜るたびに白いストローからピンクの液体が苗字の口の中にするすると収まっていくのを黙って見ていた。なんだか妙な気分になってきたところで、苗字はふと思いついたのか「あ!」と弾けるように声をあげた。
「白州くんとかタイプかも」
何気なく爆弾を落とした苗字に、それまで全く動きのなかった御幸がものすごい勢いでこちらを見た。聞いてたのかよ、御幸のやつ。顔にはおくびにも出していないが、御幸を纏う空気があきらかに不穏なものに変わった。そんな御幸の様子に気づいていない苗字は思案しながらゆっくりと話しだした。
「だってさ、堅実だし、プレーにもムラがないし、マネージャーの仕事ときどき手伝ってくれるし、しっかり話聞いてくれるし、話しやすいし、やさしいし、……あれ? 白州くんってパーフェクトじゃない?」
「そう言われてみればそうかもな」
改めて考えてみると、白州の欠点ってなんだ? 敢えてあげるとするならば、几帳面すぎるところか。でも、それは短所の内に入らない。悪いところを探そうとすればするほどいいところしか思い浮かばなかった。まさかこんな近くに最強の男がいたとは。
「白州くんと付き合える子はきっと幸せになると思うなあ。あとAB型でしょ? 私、AB型の人とはうまくいくっていうのあるし」
実に的確な見立てに俺は感嘆の息を漏らす。確かに女だったらと考えたとき、男の俺ですら白州が一番妥当だと思ったのだ。
なるほどな、と肯きつつ隣にいる御幸を伺うと、いつものポーカーフェイスは影を潜めて、その代わりなんとも言えない情けない顔を晒していた。まるで捨てられた子犬のような顔をしているではないか。御幸は苗字のこととなると、冷静でいられなくなってしまうのはいつものこと。今は誰がどう見たってイケメンなんかではない。ただひたすら一人のことを想っている顔だった。
御幸が「そこかあ」とこれまた情けない声を出して机の上に突っ伏した。
「……白州には勝てる気がしねえ」
御幸は悔しそうに呻いた。それに比べて、当の苗字はその様子を見て可笑しそうに笑っている。少しばかり御幸に同情した。
「ああ、白州には負けるな…」
だよな、と互いに顔を見合わせて力なく肯いた。けどすぐに、まあ鳴とかカルロスとかよりはましか、とぼそりと付け足している御幸の声は聞かなかったことにした。深く言及すると面倒くさそうだ。何より御幸の中のその判断基準がよく分からない。
あ、あと、とまた苗字が新たな爆弾を投下した。
「川上くんもタイプかもしれない」
「「はああ?!」」
思いもよらない人物の登場により、思わず声をあげてしまう。御幸と全く同じ反応をしてしまった。
「え、二人とも何その反応」
「いやいやいやいや…え、ノリ? なんでノリ?」
御幸はとうとう前のめりになって苗字に聞いた。お前、もうちょっと落ち着け。
「何て言えばいいかな、川上くんも一緒にいてホッとするというか、落ち着くんだよね」
まじかよ、と御幸はとうとう頭を抱えだした。俺も驚きはしたものの、やっぱりあいつもいいやつだってことには変わりなくて、苗字が言いたいこともなんとなくわかった。
「お前って顔とかじゃなくて、雰囲気とか性格重視なんだな」
「うん、そうかもしれない」
俺の言葉に苗字はこくりと肯いた。
「でもやっぱりね、付き合うとかってなると一也以外考えられないや」
まるで今日の天気は晴れだねとでも言うようにさらりと言った。唐突な甘い甘い惚気に思わず俺と御幸は何も言えなくなってしまって、呆然としていた。
苗字はそんな俺たちを余所に残りのイチゴミルクをズルズルと最後まで飲み干して、パックをくしゃりと潰してから、教室の前のゴミ箱へと放り投げた。距離があるにもかかわらずきれいな放物線を描いて吸い込まれるようにしてゴミ箱に入った。さすがコントロール抜群と噂された元投手の苗字である。あ、入った! と無邪気にはしゃぐ苗字に俺は苦笑するしかなかった。天然とは恐ろしい。苗字がこれを計算して言ったとはとても思えなかった。一方御幸は、先程まで剣呑な空気を撒き散らしていたのが嘘のように、やわらかく穏やかな空気に変わっていた。
御幸に少し同情するという言葉は撤回だ。
こいつらもう爆発しちまえ。野球しかねえとか思ってたのに彼女欲しいとか思っちまったじゃねえか。でも確かに自分が蒔いた種なのだと、浅はかな質問を苗字にしてしまった自分を責めるしかなかった。