なんでもない振りをして笑うのがこんなに難しい事なんだって、今まで知らなかった。知りたくなかった。
ねえ、私上手く笑えてるかな?


眠り姫


すう、と一度大きく息を吐いてから、私は意識して笑顔を作る。
もう幾度となく繰り返してきた事だけれど、何度やっても慣れることはなかった。
むしろやればやるほどボロが出そう。いつだって不安で、自信がない。

「こんにちは」
私はいつも通り、病院内と言う事を考慮した控えめな声を出した。
入口付近のベッドの患者さんに軽く会釈をして部屋の奥まで進む。
窓際の明るく日差しの差しこむベッドが、私の恋人の居場所だった。
「太陽?」
珍しく、彼は眠っていた。いつもは快活そうに笑うその顔が見られないのは残念だったけど、少しほっとした。
…まつ毛、長い。
こうして静かに眠る太陽は彫刻みたいだった。綺麗だった。生きているのが信じられないくらい、綺麗だった。
上下する胸は目をこらさなければ分からないほどで、無性に悲しくなった。
ベッドわきの椅子に座り、無理していた笑顔を消した。
悲しくって、笑ってなんかいられないや。
昨日お見舞いに持ってきた花束がきちんと活けられていたいた。太陽のお母さんがやったんだろうか。
お花屋さんで適当に頼んで見つくろってきただけだし、私もお花には詳しくない。
けど、このオレンジの花は私のしぼんだ心も明るくしてくれるようで、少し心が和らいだ。
太陽みたいな花だ。

私はしばらく、その寝顔を見つめ続けていた。
そろそろ日差しが斜めに差しこんで来そうだったので、太陽の顔に当たらないようにとカーテンを引いた。
「んん…」
私はなるべく気を付けたつもりだったけど、シャッというその音で起こしてしまったらしい。
太陽に背を向けているこの一瞬で、私はさっきまでの仮面を張り付けて振り向いた。
薄く眼を開いてぼんやり私を見つめる太陽に近づいて、また椅子に腰かけた。
「ごめんね、起こしちゃったね。すぐ帰ろうかとも思ったんだけど」
「…帰っちゃ、やだ」
「え」
太陽はすねたような顔で言うと、布団から出した手で私の手をぎゅっと握ってきた。
心なしか、体も近付けている。こんなことされるのは初めてで、私の心臓は早鐘を打つ。
「え、た、太陽?」
「…まだ、帰っちゃだめ。…………あれ?」
「な、なに?」
ドギマギする胸を覚られたくなかったけど、顔がどんどん熱くなるのはどうしても止められない。
どうしよう、絶対赤い。恥ずかしい。
「なまえ、何でここにいるの?」
…?えーと。

「太陽…まさか寝ぼけてる?」

「あー……おはよう?」
くりん、と首を傾げてばつが悪そうな顔をする太陽に私はつい「くすっ」と声を漏らしてしまった。
「ふふっ…しかたないなぁ、太陽は。…うん、おはよう。もう夕方だけどね」
「あ。やっと笑ってくれたね。やっぱ君は笑ってる方がずっといいよ」
…やっぱり気付かれてたか。私、下手だね、笑うの。
でも気付かない振りくらいしてくれてもいいのに。
私の今までの努力、水の泡だよ。
太陽の苦しみに比べたらそんな努力、ちっぽけだとは思うけれど。

どうしたらいいか分からなくて、俯いて握られたままの手をぎゅっと握り返した。
ごめんね、って言葉に出せなくて、ごめん。
「泣かないで」
「…泣いてないし。馬鹿にしないで」
ああ、こんな可愛くない事言いたくないのに。馬鹿は私だよ。

「僕さ、渡したいものがあるんだ!」
ぱっと掴んでいた手を離されて私はきょとんとする。ムードとかそういう概念は無いのかと問いたい。
その握られた手に、何か期待していた自分がちょっと惨めじゃない。

ベッド脇に備え付けられた棚に向かってなにやらゴソゴソしている太陽の背中をちょっと睨んで声をかける。
「…なーに?指輪でもくれるの?」
「それはまだだよ!あと10年くらい待ってて」
想像もしていなかった言葉を言われて一瞬思考が止まる。
10年後どころか明日があるかすら分からない体のくせに。簡単に約束をくれるその人が憎くて、でも、大好き。
待ってるよ、言われなくたって。

「あった!」
そうこうするうちに太陽の探し物は終わったのか、顔を上げてきらきらした目で見つめられる。
太陽の顔から目線を下ろすと、その両の掌で大事そうに抱えているものが眼に映る。
「…砂?」
透明なビニール袋に、黄土色っぽい砂が入っているみたいだった。
サラサラしていて太陽の掌からこぼれそうに形を変える。
「うん!デザートスタジアムの砂だよ!二年の佐田分かる?」
「あ…うん、あの変な髪の毛の先輩ね」
「試合後にみんなで集めてくれて、佐田が持ってきてくれたんだ!記念にって!」
記念に砂を持ちかえるって。確かにあのフィールドは砂だらけだったけど。
「甲子園じゃないんだから…」
あのサッカー部のやる事はいまいちよく理解できないけれど、太陽が楽しそうならそれでいいかな。
私は喜んで手を差し出した。
「ありがとう、太陽」
太陽は見るからにはにかんで嬉しそうに袋の口を開けた。
「え、ちょっと待って」
制止の声も空しく、私の手には冷たい砂がその重みを主張するように居すわった。
「……その袋ごとくれるんじゃないの?」
「え、やだよ、これは僕のだもん。欲張りさんだなぁ」
「いや、そういう意味でなく。このまま渡されても私どうしたらいいの。持って帰れない」
せめて入れ物を用意するくらいの気遣いは欲しかった。
図らずも両手を塞がれてしまった私は太陽にジト目を送る。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・てへ?」
殴りたいけど今は無理だなぁ。

結局太陽に私の鞄を開けさせてハンカチを出させて、それに包むことで事なきを得た。
「はあ、さっきまでは彫刻みたいだったのが嘘みたい…」
なんてそそっかしいの。こうしてればそこらの子供と全く変わりないのに。
「え、今なんて?」
え?あれ、私今声に出した?
「ううん、なんにも!?」
首をブンブン振って否定する。私は何も言って無い。
「彫刻みたいって、俺の事でしょ?」
しっかり聞こえてたのね!ああもう、恥ずかしい埋まりたい。
今更否定するのもみっともないので、素直に頷く事にする。
太陽は苦笑。
「彫刻は酷いなぁ」
一応は褒め言葉だけど、太陽は気に入らなかったみたい。
「…じゃあ、眠り姫?」
茨の棘は病の比喩。その棘がなければ、太陽は眠ってなんかいないのに。
「僕がお姫様?じゃあ、君は王子様だ」
「あはは、そうだね」
「……」
「……」
なぜだか、二人してしんみりしてしまう。

「…君が王子様ならさ、キスして僕を目覚めさせてよ」
何を言うのだろうと顔を上げるけど、その瞳に冗談の色は無くて、私は困惑した。
「お願い」
真剣に見つめられて、目を逸らせなくて、私は気付いたらいいよ、と口にしていた。
ゆっくり瞼を閉じる太陽に顔を近づける。不思議と照れは感じなかった。
その代わり、幸せも感じなかったけれど。

暖かな唇はどちらのものか分からない涙の味がした。
「…次に目が覚めたら、僕はサッカーが出来るかな?」
「…うん、必ず」

嘘つきな王子で、ごめん。





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -