17
3階の廊下で鍵を使用すると、4階へ続く階段が現れた。
後から来たアンジーさんがうさぎのようにぴょんぴょんと上っていく。私もそれに続くようにして階段に足をかけたが、そこで足が止まってしまった。
「どうしたの?」
数段上がったところで私が来ていないことに気づいた最原くんが振り返る。彼の背後の暗闇が彼を飲み込んでしまいそうだ。
私はゴクリと喉を鳴らした。
「何か……嫌な予感がします……」
「嫌な予感……?」
背筋に冷たいものが走る。
ルーちゃんに触れて自分を安心させようとしたのだが、私の恐怖が伝染したのかルーちゃんは身を守るように丸まっていた。
一段一段踏みしめるように階段を上る。
私の嫌な予感は的中し、4階にはおどろおどろしい雰囲気が広がっていた。
私の予感は嫌になるほど当たるのだ!
「なななななんですか、ここは!」
日本風のお化け屋敷と変わらないではないか!
動揺を隠す配慮も忘れて怯えていると、不意に背後に気配を感じた。
「かつて、ここでは惨殺事件があったらしいよ……」
耳元で囁かれると同時に背筋をツツツとなぞられる。
「きゃああああ!!」
私は絶叫し、前にいた白銀さんにしがみついた。
「えっ名字さん大丈夫!?」
最原くんの前で浅ましい姿を晒してしまっている。彼は驚いたように目を見開いて私の哀れな姿を見ている。……見ないでほしい。
「もう、王馬くんやめてよ……とは言っても美少女にしがみつかれるこの展開は願ったり叶ったりなのかな?茶柱さんに地味に怒られそうだなあ」
白銀さんが自然と私の頭を撫でながら苦笑する。
「にししっこんな嘘を信じちゃうなんてねー!」
「も、もう無理です!」
耐えられなくなった私は下の階に降りようとした。
……しかし、一人で歩くこともできず、白銀さんを掴んだまま目を瞑っていることしかできない。
なおも白銀さんは私を落ち着かせるように頭を撫でてくれていた。おかげで深呼吸をして息を整えることができる。
「…………」
「名字さん、行こうか」
横から最原くんが手を出してくれた。私はその手をそっと掴む。
「へえ……地味にそういうカップリングなんだ? あ、私のことは気にしないでね。末永く爆発しろ……なんてね」
白銀さんは困ったように眉を下げながら私を離した。
最原くんは私の手を引いてエスコートしてくれる。
「す、すみません……」
私は下を向いてついていくしかなかった。我ながら情けない。
「すみません最原くん……」
「大丈夫だよ。誰にだって苦手なものはあるからね。それにしても名字さんからあんな声が聞けるなんて」
クスクスと笑う最原くんは楽しそうだ。
「笑うなんてひどいです……! お恥ずかしい」
「ごめんね。でもそういうところも可愛いなって思う……」
声がしぼんでいくにつれて頬が染まっていく最原くんにつられて、私の頬も赤く染まっていく。
「えっと……ありがとうございます……?」
お礼を言うのはおかしい気がしたが、熱くて頭が回らない。
私達二人は黙り込んで歩く。繋がれた手も汗ばんできた。
指を数ミリでも動かせばそれだけですべてが筒抜けになってしまうような緊張感に包まれている。
「あの……最原くんは4階に戻ってください。ここまで来れば大丈夫ですから。私は……また今度挑戦してみます」
「う、うん。じゃあそろそろ戻るね。もし不安ならその時は僕も一緒に行くよ」
「それは心強いです。ありがとうございます」
最原くんと手を離し別れた私は自分を落ち着かせるように中庭へ移動した。
まだ自分の手に最原くんの手の感触が残っている。
中庭をあてもなく歩いていると見覚えのない大きな建物を見つけた。見た目からして茶柱さんの研究教室のようだ。
超高校級の合気道家の研究教室は外に作られているためか、縦にも横にも広い。私の研究教室も広く作ってくれたら良かったのに……と少し考えてしまう。
「ようこそおいでくださいました!」
茶柱さんが笑顔で迎え入れてくれる。夢野さんもいるみたいだ。
「お邪魔します……。茶柱さんはやはりこういう道場にいると落ち着くのですか?」
「ええ! 師匠との実践を思い出します!」
茶柱さんはそう言って合気道の型をとる。正確にはネオ合気道らしいが。
「ふむ……名字か。おぬし今朝は様子がおかしかったが……大丈夫なのか?」
夢野さんの一言に一瞬ドキリとする。普段はぼーっとしているように見えて意外と周りを見ているとは驚いた。確かに今朝は昨日の裁判のことを引きずっていていつもより様子がおかしかったかもしれない。
心配してくれているのかもしれない。自惚れかもしれないけど嬉しい。
「転子も心配していました! それに……少し元気がないような気がしました。まさか男死に何かされたのですか!?」
「い、いやいや! 男子は関係ないですよ……!」
なぜいきなり男子が出てきたのか戸惑うが、茶柱さんにとって不調な原因になり得るものはもっぱら男子なのかもしれない。
「名字さんには心の迷いがあるのではないですか? よろしければ転子がお力添えいたします!」
「えっえっ?」
ふんっと茶柱さんが力を入れた瞬間、私の身体は宙に浮いていた。
「きゃああああ!?」
本日二度目の悲鳴である。
「……名字さんは何かを隠されているようですね。そして、隠し事と関連しているかはわかりませんが自分の気持ちに整理がつかずに困惑している……。
……どうです?当たりでしょう!」
「そう……ですね……」
隠し事、困惑。
茶柱さんの言うことはあまりにも的確だった。
「夢野さんもどうですか!?」
「……んあ?」
夢野さんが答えるまでもなく、茶柱さんは夢野さんを放り投げた。
「んああああああ〜〜」
軽い夢野さんがふわりと宙を舞う。
「夢野さんは感情を押し殺しているのですね。本当は感情豊かな可愛らしい女の子です! もっと転子にも感情をさらけ出してくださってもいいのですよ!」
「こ、腰が動かん……。それにウチにはイケメンな神様がついておるからいいんじゃ!」
「どうしてですか! 夢野さんには転子という者がいますよ!?」
これ以上ここにいるとまたネオ合気道の餌食なるかもしれない……。二人には悪いが夢野さんの言葉に茶柱さんが食いついている間にお暇しよう。
私は苦笑いを浮かべて道場を後にした。
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