落ちて昇って沈んで浮いて
雪が溶け、芽吹く準備を終えた命が顔を出す季節。
高校生活もあと一年。
この季節になると、出会いや別れがあり、良くも悪くも心機一転を余儀なくされる。
放課後珍しく嵐山と並んで本部へと向かう中、新しいクラスメイトの話に会話を弾ませる。嵐山は生駒と同じクラスで、おれは苗字と同じクラスになった。
「おれ初めて苗字と同じクラスになったよ」
「そうか。俺も苗字とは一年生の時の一回しか同じクラスにならなかったな」
そう言って隣を歩く男は白く霞んだ花曇りの空を見上げる。その空の向こうに懐かしい日々を映し出しているのか、その目には少しの寂しさが滲んでいた。
どうやらこの男は悪い方で心機一転を余儀なくされたようだ。
「最近苗字と話してるところ見ないね?」
「ああ、最近はあまり……」
どうやら嵐山本人もそれは自覚していたようで、浮かない表情を見せる。まず一般市民には見せないであろうその表情に、相当堪えていることが察せられる。嵐山本人はおそらく、最近話せていなくて少し寂しいな、くらいに思っているのかもしれないが、いずれ苗字とおれが話しているのを見るだけで気分が悪くなる時がくるのだろう。いわゆる嫉妬というやつだ。
おれ自身としては嫉妬心をおれに向けられるのはいい気分ではないしできれば大切な仲間である二人の仲を保ってあげたいと思っているくらいなのだが、そんな機会もそうそうない。
いつの間に嵐山の中で苗字の存在がこれほど大きくなったのだろうと不思議に思うものの、今は嵐山の中で芽生えた小さな春を喜ぶべきだろう。
「今頃気づいたんだな」
遅いくらいだという気持ちも込めて彼の方に顔を向けると、首を傾げた嵐山がこちらを見ていた。
「気づいたって何にだ」
予想外な反応におれは天を仰ぎそうになった。
もしかしてまだ自分の気持ちに気づいていないのか。最近話せていないと落ち込んでおきながら。
想像以上の鈍感ぶりに少し残念な気持ちにすらなる。ようやく頭を出したと思っていた芽はどうやら幻想だったようだ。
もしただの友達なのであれば、最近話していないからという理由で落ち込むだろうか。昔を思い出してあんなに切なげな顔をするだろうか。自覚していないのであれば今すぐ鏡を見せてやりたい。
「自分から話しかけようとは思わないの?」
「うーん、そうだな。用もないのに話しかけるのはおかしいだろ?」
無理やりにでも口実をつくって接触しようとしないところが無意識である証拠で、嵐山らしいと妙に納得してしまった。
二人を見ているとついつい手を出したくなってしまう衝動に駆られるが、そこまで首を突っ込むつもりはない。手を出すまではいかなくても二人の未来を覗き見てうまくいっているのか確かめたくなるが、それは推理小説の犯人をネタバレするようなものだ。とはいえ別の未来を視ようとして意図せず視えてしまう未来があるのは確かで、その範囲であれば今のところ二人がイチャイチャしている場面は視えていない。この二人であれば付き合いだしたとしてもあからさまにカップルらしいことをするまでにまた時間がかかりそうだが。
翌朝苗字がクラスメイトに挨拶をしながら教室に入ってくるのを、おれは自席から見守っていた。彼女が一番後ろの窓際の席についたタイミングで、おもむろに席を立ち声をかける。
「おはよ、苗字」
「おはよう。どしたの?」
朝からわざわざ声をかけたことを珍しく思ったのか、苗字は大きな目をくりくりさせて不思議そうにおれを見上げる。単純に嵐山のことを聞こうと思ったのだが、最近嵐山とどう、なんて脈絡もなく聞くのは違うと思い言葉に詰まる。
「んーなんとなく」
「なにそれ?」
咄嗟に上手い話題が思い浮かばず余計に怪しくなってしまった。しかし幸いにも苗字に不審がる様子はなく、楽しそうに笑い返してくれる。
苗字の変に深入りしないところが心地いいしこういうところも嵐山に似ていると思う。
「今日本部行くんだけど一緒に行く?」
「そうなんだ。非番だけど身体動かしたいし行こうかな」
今日は確か嵐山が本部に行くと言っていたはずだと思いながら苗字を誘うと、あっさりと首を縦に振る。その快い返事に口角を上げた。
「んじゃ決まりだな」
そう言った瞬間に、苗字が太刀川と戦っている姿が視えた。そこに嵐山の姿はない。
「最近太刀川さんとやること多いの?」
「んーそう言われるとそうかも? 太刀川さんいつもいるから」
暇人かよと思いつつ苦笑を漏らす。苗字は全く気にしていないようだが、太刀川とばかりやっていると個人ポイントが減ってばかりなのではないかと思う。自分の隊の隊員からポイントを搾り取ってどうするんだと心の中で戦闘狂にツッコんだ。
「最近憧れの嵐山とは模擬戦してないの?」
戦闘狂のことは置いておいてそう問いかけると、苗字は暫し右上を見上げておもむろに口を開く。
「そうだねぇ。何ヶ月か前に模擬戦したいねって話してたんだけど結局してないなあ」
数ヶ月前の口約束はもう時効だろう。そのレベルでしか話せていないのなら昨日の嵐山の態度も頷けるものだが、逆に目の前の彼女はケロリとしたものである。
おれの目から見て苗字が嵐山のことをどう思っているのかはわからない。特別な存在であるのは確かだが、苗字の鈍感さは相当なのでそれが恋心かどうかの判断が難しい。もっと苗字のことを知れば彼女のいろいろな面が見られるのだろうと思うと、高校生活最後の一年が少し楽しみになる。
おれが嵐山の名前を出したことによって未来の選択肢が増えたらしい。今では、苗字が太刀川と戦っている未来に加えて嵐山と戦っている未来が視える。どちらの苗字も楽しそうだが、嵐山と戦っている時の方が心なしか活き活きとしているように思う。
「久々に嵐山と模擬戦でもしなよ。きっとそれが苗字の未来のためになるっておれのサイドエフェクトが言ってる」
苗字はおれの言葉に目を見開き、きゅっと表情を引き締める。
「やっぱりログ見てるだけじゃダメだよね」
おれを見ながら表情を引き締めて頷く苗字に、ああそうか、と一人納得する。
苗字は普段から嵐山のログを見ているから、あまり話していないという感覚がないのだ。
つまり苗字がやっているそれは、簡単に会いに行けないアイドルのライブ映像を見て満足しているようなものだ。
嵐山はアイドルみたいなものだが決して会えないわけではない。むしろ苗字が誘ったなら嵐山はいくらでも応じるだろう。折角なら戦ったほうが苗字の身にもなるし嵐山も喜ぶのにと思うものの、苗字には苗字の考えがあるのかもしれない。
何も悩む必要はないはずなのに何故か悩ましい表情を見せる苗字の頭をくしゃりと撫でる。
「その方が嵐山も喜ぶと思う」
「嵐山くんが?」
何もわかっていない苗字が頭を撫でられながら不思議そうに首を傾げた時、少し大きめの声がおれを呼んだ。
「迅」
教室の何人かが声の出どころを確かめるくらいの声量で発せられたそれに、おれは咄嗟に苗字の頭から手を離す。
「嵐山。どうした?」
顔を向ければ、微かに眉間にシワを寄せた嵐山が教室の後ろの扉から入ってきていた。隠す気もない怪訝な表情はおれをじっと見据えていて、さっきの手はなんだと訴えかけている。
ただそれも一瞬のことで、話す距離まで近づいた頃にはみんなが知るいつもの爽やかな嵐山に戻っていた。
読み逃したことを悔やんでもしょうがないが、結局嫉妬される羽目になったことに苦笑いを浮かべるしかない。
どうやら嵐山はおれが思っていたよりずっと苗字のことが好きらしい。
「今日本部に来ると思うんだが……」
嵐山自身に嫉妬したつもりはないらしく、爽やかな笑みさえ浮かべて淡々と要件を伝える。
ほんと世話が焼ける二人だよ。
要件が済んだ頃合いを見計らって苗字がおはようと嵐山に声をかける。それに対して嵐山が満面の笑みでおはようと返すやり取りを見て、新芽が顔を出す予感がした。
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