眠れぬ夜さえ幸福の時




「三輪くん行きましょう」

加古の一言に俺は頷き、模擬戦へ向かう加古の後ろに素直について行く。もう東隊ではない俺たちだが、この人はふらりと現れては戯れに俺に絡みに来る。といっても東隊を解体してから話しかけられるのはまだ数えられるほどだが。
放っといてくれと思わなくもないがどうも元東隊の面々には逆らえない。「行きましょう」という彼女の言葉に従って模擬戦をするのかしないのかもわからずに訓練室までついて行く。

加古の背中を見ながら歩いていると、今日は人が多いのか訓練室に近づくにつれガヤガヤと重なり合う人の声が聞こえてきた。
想像どおりそこではいつもより多くの人が訓練に励んでいた。何故こんなに多いのかと軽く辺りを見渡していると、珍しいものが目に入り思わず目を留める。

「あら」

加古もそれを目撃したようで、足を止めたかと思えばそちらに向かって歩き出す。なんとなく気になった俺も加古の後について行った。いつも爽やかな笑みを顔に貼り付けながら市民を守る立派なヒーローのあくびが見られるなんて。

「お疲れさま嵐山くん」
「お疲れさまです加古さん。三輪もお疲れさま」
声をかけられた嵐山は少し眠たげな目を残したまま、それでも爽やかな笑顔で挨拶を返してくる。
「大あくびなんかしちゃって珍しいわね」
加古の率直な問いに嵐山はバツが悪そうに苦笑いを浮かべる。
「お恥ずかしいところを見られてしまいました」
「広報は大変ね。最近忙しいの?」
「いえ、仕事はいつも通りなのですが、昨日なかなか寝付けなくて」
表に立つことが多い嵐山でも油断することがあるのだと少し驚きはしたが、誰でもあくびくらいはするだろうと思いなおす。彼の返答を聞くまでもなく自己解決した俺は二人の話を一応耳には入れながら当てもなく訓練室内を見渡す。どうやら今日はC級隊員が多いようだ。嵐山もいるということは今日は新人研修か何かだろうか。頭の中でボーダーの行事カレンダーを出すが、そこに答えは書いていなかった。


「いや……」
俺の意識が再び話し込む二人に戻ったところで、嵐山が珍しく言葉を濁す。今日はいつも快活なこの男の知らない一面ばかり見るなと思っていると、嵐山は頭の中を整理するようにぽつりと言葉を溢す。
「昨日苗字が……」
そこで出た名前に反応したのは俺だけではなかった。加古の眉がピクリと動くのを目の端にとらえる。


苗字は俺の二つ歳上で、鈍臭そうに見えて意外と戦えるヤツだ。ふわふわ漂うようでいて、予想を超えた奇襲をする。戦闘においては意外と頭が回ると感じさせられるのに、普段は歳下ながらバカなのかと思うことも多々ある。
そんな苗字が嵐山を尊敬していることは俺でも知っている。彼女から嵐山の名を聞くことは多々あれどその逆はあまりなかったように思う。単純に接触回数の差かもしれないが。


「名前ちゃんがどうしたの?」
加古に問いただされた嵐山は頬を掻きながら苦笑いを浮かべる。
「苗字が転びかけたところを受け止めたんですが、その時のことが頭から離れなくて」
「あらあら」
その苦笑いが照れ笑いだったのだと気づき、苗字の想いが単なる一方通行ではなさそうなことを少しだけ嬉しく思った。二人がどういう関係であろうと俺には関係ないことだが、あれだけ一生懸命嵐山について語る姿を見ていたらさすがに同情心が生まれなくもない。


完全に面白がっている加古はニヤニヤと口角を上げながら嵐山への問答を始める。
「どうして頭から離れなかったのかしら?」
そんなもの彼女を意識しているからだろう。誘導尋問でしかないその問いに嵐山の唇が綺麗に弧を描く。

「どうしてなんでしょう?」

俺は思わずため息を吐きそうになった。こいつらに同じ匂いは感じていたが、この男の方はまだマシだと思っていた。しかしどうやら天然は天然でしかないらしい。
苗字も苗字だ。どうせまた不注意に転びそうになったのだろうと容易に想像できる。


加古は嵐山への追求の手を緩める気はないようで、加古の問いに嵐山は全て律儀に答えている。

「自分の腕の中から見上げるあの大きな目と視線が絡んだ時、吸い込まれそうだと感じたんです。なんというか、その時のことを思い出すとこの辺がぎゅっと苦しくなって、その繰り返しです」

嵐山はそう言って胸元を握りしめ、また苗字のことを思い出しているのか優しげに目を細める。彼のそんな様子に俺はついにため息を吐き出した。わかってて言っているのだろうか。もし理解していないままに言っているのだとしたら鈍感にも程がある。


そもそも俺はこんなくだらない話をしに来たのではない。模擬戦をしに来たのだ。戦えればいいのでもはや相手は加古でなくてもいい。
もう行っていいだろうかと訴えるように加古を見るが、加古はこちらを一瞥しただけで判断がつかない。ならば勝手にさせてもらおうと訓練室を見渡していると、ある人物を見つけ目を留めた。

噂をすれば影とはよく言ったものだ。
誰かを探しているのかキョロキョロと辺りを見回しながら歩いているのは今まさに話題に上がっている苗字だ。

C級隊員たちの中をふらふらと歩いているその姿は少し浮いていて、それ以上見ていられず思わず彼女に向かって歩き出していた。
「少し行ってきます」
数歩歩いたところで振り返りながら加古に言い捨てるも、加古も嵐山も笑みをたたえたまま特に何も言わなかった。


「あ、三輪くん!」
首を巡らせていた苗字は俺を見つけるやいなや、ぱあっと顔を綻ばせ駆け寄ってくる。また転ぶぞと彼女の不注意さに内心呆れたが、今回は転ばなかった。

「誰か探してるんですか」
「うん。さっきまで太刀川さんとやってたんだけど今は京介くんとやってるから、誰かいないかなーって探してた」
そう言った苗字の視線の先を辿れば、本気でぶつかり合っている太刀川と烏丸の姿がモニターに映し出されていた。
苗字に視線を戻すと、苗字の大きな目が俺をじっと見ていた。期待が込められたその眼差しに押されなくとも俺は模擬戦をするつもりだ。その相手が苗字であることには何の異論もない。

一応確認のためにちらりと加古たちを見ると、向こうも何やら話しながらこちらを見ていた。俺の視線につられたのか苗字も加古たちの方に視線を向ける。
「あ、加古さーん! 嵐山くーん!」
大きく手を振る苗字は俺に見せたのと同じ笑顔を二人に向ける。今にも駆け出しそうなその気配に、俺は思わず苗字の手を引いていた。
「やりますか」
「え、ああ、うんやる!」
苗字は歩き出した俺に素直についてきたのでその手を離した。
こいつがあのまま駆け出していたらまた長い立ち話に付き合わされることになっていただろう。咄嗟の行動とは言え我ながら正しい判断だったと思う。


加古と嵐山の視線を背中に受けながらブースに入る。
こいつは普段ぼけっとしていて鈍感でマイペースなやつだが、意外と容赦のない攻撃をしてくる。
太刀川曰く、独特の空気があって定石が通じないところが面白いらしい。

気を抜けば彼女のペースに飲み込まれてしまいそうなほど、苗字は周りを虜にさせるのがうまい。


転送され、息つく暇もなくトリオンキューブを出す苗字を見て、ほら来たとこちらも身構える。
今回は初っ端から俺を潰す気らしい。

きっとこいつは相手が嵐山でも関係なく、自分のペースを崩さずにいつもどおり戦うのだろう。彼女の場合、勝つよりもペースを崩すほうが難しい。あの嵐山でもきっと、彼女を意のままに操ったことなどないはずだ。

俺が苗字のペースを崩してやる。

きっとこいつを俺のペースに持ってこさせて勝つことができれば、生態がよくわからない近界民にも対応できるだろう。
一応言っておくが苗字を近界民扱いしているわけではない。

今頃俺たちの戦いをモニター越しに見ているであろう二人に見せつけるように、銃を構えた。




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