Day 10
「俺を選んでくれて嬉しいっす」
名前を抱え込むようにしてベッドに寝転んだ天海は蕩けそうなほど優しい手つきで名前の頭を撫でる。天海の大きな身体に包まれ、甘い吐息をかけられる。一種の拷問だと思った。このまま、彼の腕の中で生きていきたいと思ってしまうほど優しくて甘いこの行為は、名前から思考を奪っていきそうになる。満足げに微笑む天海に抵抗するように、名前はきつく目を閉じる。
名前は彼の行為に戸惑いを隠せなかった。交際していない男女が同じベッドの上でいちゃつくなんておかしい。天海は距離感がバグっているのか。
けれどそんなこと本人に言えるわけもなく、名前は頬を赤くしてその行為を受け入れていた。
このまま絆されてしまいそうになる自分に怯えながら。
もし天海が誰にでもこういうことができてしまうなら、彼はきっと結婚詐欺師に向いている。
「名字さん、何考えてるっすか」
「え、何って……」
不意に投げかけられた問いに、名前は咄嗟に答えられない。
「こっち向いて」
命令のようなそれに、名前は従った。寝転んだまま顔を上げると、不安げに眉尻を下げた天海と視線が合う。
「名字さんは俺を選んでくれたんすよね?」
「……うん」
名前は首を縦に振るが、背筋に冷たいものが走るのを感じていた。天海と名前の視線が絡み合う。甘い時間が嘘だったかのように静かな時が流れ、指先を動かすことすら阻まれる。心の内を探られているような感覚にソワソワと落ち着かない。名前もまた彼の思考を探るように、じっとその目を見つめる。緊張で喉がカラカラになり、飲み込むツバすらない。
そしてふいに彼の目がスッと細められた。
「嬉しいっす」
ふわりと微笑んだのも束の間、天海は甘い声音のまま言葉を紡ぐ。
「じゃあやっぱりこれは名字さんをどうにかしようと企んだ誰かが仕組んだものだったんすね」
そう言って彼がポケットから取り出したのは指先ほどの黒い機械だった。よく見るとそれは、どこかで見たことがあるような気がする。つい最近のことのように思うが、いつどこで見たのかが思い出せない。
「これ、監視カメラっすよ」
「え……!?」
名前は起き上がり、もう一度よくその物体を見つめた。こんな小さな機械が監視カメラ。なぜこれを天海が持っているのか。そしてなぜ今名前に見せたのか。そう問うまでもなく天海が口を開く。
「これ、あの照明の裏から見つけたんす」
そう言って天海が指差したのは部屋の隅に置いている間接照明だった。なぜ天海がそんなところから監視カメラを見つけられたのかも疑問であるが、誰が名前の部屋にこんなものを仕込んだかの方が重要な気がした。
そして、頭の中に一人の人物が浮かび上がる。
「いくら名字さんのことが好きでも、盗撮なんて最低っす。もしかしてまだ他にもあるかも……」
驚きすぎて声も出せずにいたが、一番恐ろしいのは天海なのではないかと、今更ながらジワジワと肌が粟立つ。
ポケットからカメラを出したということは、カメラが仕掛けられていたことを知っていて名前とベッドに入ったということだ。部屋の主に知らせることなく。それにカメラがまだ他にもあるかもしれないとわかっていながら動揺も見せず平然と黙っていたこと。そして、誰が犯人かもわからないのに、疑いの余地もなくこれがストーカーの行為であると判断したこと。すべてが名前の思考とはかけ離れていて、急に天海が得体の知れないもののように感じた。
「名字さん……?」
名前の怯えた心を見透かしたのか、天海は名前の顔を覗き込みながら優しく頭を撫でる。優しかったその手も、今はただ恐ろしい。
「あ、の……私は大丈夫だから……」
カメラのことよりも目の前にいる天海に触れてほしくて、ゆっくりとその手を払いのける。すると天海は、人が変わったようにその顔からすっと表情を無くした。
「どうしてまた俺を拒むんすか」
天海の態度も、言っている意味もわからなくて名前はもう彼から逃げることしか考えていなかった。
「おうまくっ……!」
咄嗟に彼の名を叫んだ瞬間、天海の大きな手が名前の口を覆い、その勢いでベッドに押し倒された。もう片方の手で左手首をベッドに縫い付けられる。
「また王馬くんすか。あんなやつのどこがいいんすか」
「ん゛ー!!」
天海はもう名前の見てきた天海ではなかった。こちらが本性なのかと頭の片隅で考えながら、数時間前に王馬から言われたことを思い出していた。
名前は誰を選ぶかで迷っていた。考えさせてほしいといったものの、その考えがまとまることはない。誰もいない空き教室の椅子に一人座りながらぼんやりと頭を巡らせていたら、ふいに教室の扉が開いた。
「こんなジメジメしたところで一人黄昏れてるなんて、名字ちゃんキノコにでもなったの?」
「王馬くん……」
名前が頭を悩ませている元凶の一人である王馬はいつも通りニコニコと形のいい笑みを浮かべて名前の前まで歩いてきた。
「はあ」
「人の顔見てため息つくなんて名字ちゃんも相当失礼だね。どうしたの? オレ優しいから、悩みくらいなら聞いてあげるよ?」
「優しい人は自分で優しいなんて言わないよ。それに、なんで私が悩んでるのか王馬くんは知ってるでしょ」
じとりと睨むように彼を見る。
またいつものように冗談を言い返されるのかと思っていたのだが、予想に反して彼はいつもより低く落ち着いた声音で名前に問いかけた。
「名字ちゃんは真実が知りたい? それとも、真実よりもここから出ることを優先したい?」
「なに、それ……」
王馬の考えていることがわからなかった。彼の問いに答えれば真実がわかるとでも言うのだろうか。しかし、今の王馬を邪険に扱う気にはなれなかった。名前と王馬は声も出さずに視線を絡ませ合う。そして、名前は深く息を吸った。
「真実が、知りたい」
そうして名前は天海を選んだ。王馬に指示された通りに。
「ん゛んっ! んー!」
やはり天海が犯人なのだろうか。
何かされそうになる前にオレの名前を呼んで。ヒーローみたいに駆けつけるからさ。
あの時王馬に言われたセリフを思い出して、咄嗟に彼の名前を呼んだ。しかしここには天海と自分しかいないのだから、王馬が現れるはずがない。玄関の鍵だって閉まっているのだから。
天海は身動ぐ名前を押さえつけながら、口を覆っていた手を離した。はあ、と大きく息を吸い込んだのも束の間、今度は天海の唇が名前の口を覆う。
「っ!?」
咄嗟に名前が天海の身体を押し返すと、意外にもあっさりと彼の身体は離れていく。
しかし名前は彼の顔を見て息を飲む。
離された距離を保ったままこちらを見る天海顔は、突き飛ばしたことを後悔しそうになるくらい悲しげに歪められていた。
天海は優しい人だと思っていた。
優しい天海を信じたかった。
その優しさの裏にこんな激情を潜めていたなんて信じたくなかった。
彼の本心を知ってなお、まだ彼を信じようとしているのはなぜだろう。
「あちゃー。天海ちゃん我慢できなかったんだー?」
突然聞こえた第三者の声にビクリと肩を震わせる。天海も予想してなかったのか、弾かれたようにそちらを見やる。
「王馬……小吉……」
「名字ちゃんごめんね。遅くなっちゃった」
天海の地を這うような低い声と、王馬のからりとした軽い声が混ざり合う。
名前はすぐにでも飛び起きて天海から逃げたかったが、ここにきて遂に体力が底をつき、身体が思うように動かなかった。
「どうやって、部屋に……?」
辛うじて出した声は王馬に届いたようで、彼はニコリと笑顔を見せる。
「悪の総統ならピッキングくらいできないとね」
犯罪だと思いながらも、今は彼の手グセの悪さに感謝するしかない。
「天海ちゃんの名字ちゃんへの執着の深さはさすがのオレでも引いちゃうなー。名字ちゃんが美味しそうなの認めるけどさ!」
「王馬くんに名字さんの何がわかるんすか。散々彼女を振り回してただけの癖に」
「じゃあ天海ちゃんは名字ちゃんの何を知ってるの? スリーサイズ? 性癖? あ、好きなタイプなら知ってるか」
ニヤリと王馬の口角が上がる。
「オレ、だもんね」
天海の頭にカッと血が上った。怒りで手が震え、王馬への殺意が身体を満たす。
王馬さえ、王馬さえいなければ。
目の前が真っ赤になるが、天海には冷静さも残っていた。今ここで王馬を殺すことはできない。真正面から殺り合って彼に勝てるかは五分五分だと考えるくらいには、王馬のことを高く評価している。もし相手が非力な人間であったならば、自分がどういう行動に出たかはわからないが。
天海は王馬を睨みつけながら、低い声を出す。
「カメラも王馬くんすよね」
「そうだよ。折角入間ちゃんに作ってもらったのにおじゃんにしちゃうんだもんなあ」
入間、という単語を聞いた瞬間、名前はカメラの既視感の正体に気がついた。最初の頃に入間の研究室に行ったときに、机の上に置いてあったバラバラの部品だ。確かあの中にはこのカメラと同じサイズのレンズもあったはずだ。
「最初はモノクマを監視するために作らせたんだけどさ、名字ちゃんの様子がおかしいからターゲットを変更したんだよね。モノクマの秘密を暴くよりも名字ちゃんを見張ってるほうが100倍面白そうだったからさ!」
「…………」
天海は黙って王馬の話を聞いていた。
「あのクマは本当に何も企んでる様子じゃなかったしね。でも夜中に忍び込んでくるわけでもないしあんまり意味なかったなあ」
「えっ! っていうことは私の生活は王馬くんに筒抜けだったの!?」
名前はそういう雰囲気ではないとわかっていながらも、聞き捨てならない言葉に声を上げずにはいられなかった。
「オレも暇じゃないから四六時中は監視してないよ。でも名字ちゃんがどんな格好で寝てるかとどんな下着を履いてるかは知ってるかな」
「し、信じられない!」
悪びれもせず笑う王馬をキッと睨みつける。いくら犯人を見つけるためとはいえ、同年代の女の子の生活を盗み見るなんて最低な行為だ。しかし王馬は名前のためにしてくれたのだから、怒るに怒れないのがまた腹立たしい。
うぅ、と小さく唸りながら黙る名前を見て、もう反論はないと判断した王馬は天海に向き直る。
最初は単純に名前のことを好きなのだと思っていた。名前を見る天海の目、名前に話しかける天海の態度。彼から彼女へ向けられるすべてが彼女を好きだと言っていた。それが徐々に狂気を帯び始めたのはいつからだろう。徐々にではなく最初からなのかもしれない。
そして昨晩、王馬は天海を夜中に部屋へ呼び出した。この時にはもう名前を追い詰めているのが天海だということを王馬は確信していた。どうしてこんなに名前を追い詰めるのか、不思議でならなかった。しかしその晩天海からは大したことは引き出せなかった。想像していたよりも自分が彼から恨まれていることを知っただけだ。
せめて今夜だけはゆっくり眠れているといいけど。隣室で眠っているであろう名前のことを思いながら、薄っすらと明るくなる空を無視して王馬はベッドの上で瞳を閉じた。
「どうして名字ちゃんにこんなことしたの?」
王馬は昨晩聞けなかった質問を投げた。
天海はふうと浅く息を吐き出し、目を細めて名前に目を向ける。そこにはもう獰猛な彼はいない。
「もう最後だから、教えてあげるっす」
そう切り出した天海から語られた事実は、そう簡単には信じられないものだった。
天海はまず、この恋愛観察バラエティのルールについて説明を始めた。
名前が誰でもいいから結ばれなければならないと思っていた理由である『残り者への特別なこと』とは、『記憶を保持したままもう一度恋愛観察バラエティに出演する特別枠を手に入れること』だった。
結ばれなかった人が複数いた場合はその中から立候補を募り、それでも決まらなかったら何らかの勝負をして特別枠を手に入れる。その際もう一度出演する相手を一人選べる。その相手が誰かと結ばれていた場合、そのペアも次回に参加する。その際、選ばれた人たちの記憶は消去されるらしい。
モノクマ曰く、「選ばれた方は大迷惑だよね。せっかく結ばれたのにまた番組に参加しないといけないんだからさ。でもね、結婚なんて面倒だと言って冷めた若者が増えている昨今、何がなんでも相手を射止めたいというガッツ溢れる者を応援したくなるもんなんだよね。プププ。」ということらしい。
そして初めてこれに参加した時、天海は最後に残った五人のうちの一人だった。立候補はおらず勝負により天海が特別枠になってしまった。恋愛バラエティなんてどうでもよかったので、次回も参加しなくてはならないことを面倒だとしか思わなかった。しかし折角なので一番気になっていた名前を次回の出演枠に選んだ。幸い彼女も五人のうちの一人だった。
2回目が始まった時、名前は天海のことを全く覚えていなかった。天海は軽い絶望感を味わった。記憶が消されるとは聞いていたが、自分は覚えていて相手は覚えていないことが、胸が裂かれるほど苦しいとは想像していなかった。その回は、天海は彼女とほとんど交流をしなかった。しかし他の子と仲良くなる気にもなれず、天海は誰とも結ばれず、再び特別枠になった。
そして3回目、天海はまた名前とともに恋愛バラエティに参加していた。純粋に名前と仲良くなりたいと思って。しかしなぜか距離を縮めようとすればするほど指から零れ落ちる砂のように名前は逃れてしまう。1回目と同じように行動しようとすればするほど彼女との距離感が分からなくなっていった。
7回目を終えた時、名前は王馬と結ばれていた。この頃にはもう完全に名前のことが好きだった。彼女のことを思えばこのまま王馬と卒業するのが一番だろう。しかし好きな人の幸せが一番などという殊勝な考えには至らなかった。彼女の幸せが何なのかはわかっていたが、自分はもう名前以外の人間では駄目な気がした。名前を手に入れられるまで一生追い続けてしまいそうだ。愛と呼ぶにも浅すぎる感情だった。
そして今、天海は9回目を終えようとしている。
にわかには信じられない話だが、彼の目が真実だと訴えていた。天海の執念にも似た強い想いが名前に流れ込んでくる。
「ふーん。それで愛の鍵を使い続けてたってことか。高確率で名字ちゃんを相手にしてたのは強運のボタンを併用してたからってところかな」
「そこまでわかってたんすね。そうっす。もともと運もいい方なんすよ」
自嘲気味に笑った天海の横顔が、すべての終わりを悟ったように見えて、名前は胸が締め付けられる思いだった。非道い事をされたことはわかっている。ただ、歪んでしまったかもしれないけど、天海は名前のことを強く想っている。何回自分のことを忘れられても、名前と結ばれたいと願うほどに。
「名字ちゃんは、天海ちゃんをどうしたい?」
だから、王馬の問いに名前は口を閉ざしてしまった。
辛い思いをさせたことに対して報いを受けてほしいとは思わない。ただ簡単に許してしまうのも違うような気がした。それでも天海の気持ちを受け入れたいと思うこの気持ちは、間違っているのだろうか。名前に向けられる天海の微笑みには、確かに愛情があったと思うから。
「私はずっと、どうして天海くんは私に優しくしてくれるんだろうって思ってた」
どうしたいか自分でもわからない。けれど、今の気持ちを伝えれば何か分かる気がする。
「天海くんは誰にでも優しい人なのかなって思ったけど、少しだけ、私は特別なのかなって自惚れてたりもしたんだよね」
「結果的に自惚れじゃなかったけどね」
王馬の言葉に名前は苦笑気味に笑う。
「そうだね。でも、何をしたわけでもないのに好かれても素直に喜べるわけじゃないって気づいた。理由がわからないって怖いんだね。それでも私は、天海くんを遠ざけようとは思わなかった」
「どうして……」
天海が悲痛な面持ちを上げる。名前はそんな彼に微笑んだ。今まで天海にそうされてきたように。
「天海くんが悪い人には見えなかったから」
我ながらあまりにもざっくりとした理由に呆れるしかない。
「はは……名字さん詐欺に引っかかりそうで心配っすよ……。現にこうやって悪い男に目をつけられてる」
「天海くんが言うならそうなのかも」
ふっと笑った名前の目は少し潤んでいる。純粋に天海の気持ちを受け入れられないことが、とても悲しい。
「こんなこと言っても往生際が悪いだけっすけど、もう俺、名字さんしか考えられないんす。本当に、好きなんだ」
名前は天海の告白を聞きながら、彼が今まで自分にしてきたことを思い返す。客観的に見れば、勝手に夢の中で名前の身体を好き勝手していた気持ち悪い奴、という評価でもおかしくないのだろうが、やはり名前はそこまで彼のことを蔑んではいない。
「私ね、1回だけ、天海くんの夢の中の記憶があると思う」
そう口にすると、天海は目を丸くして名前を見る。
「薄暗いピンク色の部屋で私の身体触ってた?」
うわあ、と王馬が大袈裟なほどに軽蔑の声を上げる。
天海は自分がした行いが本人にバレていたことにいたたまれなくなり、カッと顔が熱くなる。名前から目を逸らし頷くのが精一杯だった。
「やっぱりあれは天海くんだったんだね。私の意思とは関係なくああいうことをしていたっていうのは、やっぱり、ショックだよ」
天海は俯いたまま名前の声に耳を傾ける。
「でもね、無理矢理なはずなのに、天海くんは私の身体を気遣ってるみたいにすごく優しかった。まるで宝物を触るみたいだって思ったの。それがすごくチグハグだったんだよね。無理矢理こんなことをしておいてただ私の身体を大事そうに撫でるだけなんだって」
軽蔑の声を上げていた王馬も今は名前の言葉を静かに聞いていた。
名前は天海との距離を詰め、真っ直ぐに彼を見つめる。
「ねえ天海くん。天海くんはこれまで私にさっきのキス以上のことしてないよね」
それは問いかけではなく確認だった。
天海はハッと顔を上げる。目の前にいる名前の顔は、穏やかだ。
「私の体調が悪くなったのは確かに天海くんのせいだけど、嫌なことはしてない。夢の中で私の"設定"に従ってなかったから、愛の鍵のルールに則って私の身体はダルくなってしまったんだよね」
天海の頬に一筋の涙が伝った。勝手に溢れてくるそれのせいで、目の前にいる名前の顔がぼやけて見える。ずるい、と思った。こんなにも人を溺れさせて、狂わせて、それでもまだ足りないというように天海に優しい言葉をかけるのだから。
天海はやはり名前を苦しめたことに変わりはない。しかし無理矢理名前を組み敷くほど天海は腐っていなかった。
そこにあるのは純粋な愛だと、名前は信じたかった。
なぜなら……ーー。
名前と天海を見て、王馬は盛大なため息をつく。
「はーあ。名字ちゃんはほんと甘いね。DV男を許しちゃう典型的なタイプだ」
「そんなことはないと思うけど」
「でも、天海ちゃんのことは信じたいんでしょ? このまま天海ちゃんと卒業できるほど親密度は高くないけどね」
「……うん」
王馬の言うとおりだった。
苦しめられたとしても、名前は天海を嫌いにはなれない。王馬の言うとおり甘いのかもしれないけど、このまま関係が終わるのは嫌だった。
複雑な心境を胸に抱え俯く名前を見て、天海はぎりっと歯を食いしばる。
今まで名前にしてきたことを思えばこんなことを言う権利はない。けど、もう天海は名前以外の人をこれほど強く想える気がしていなかった。
「もう一度、チャンスがほしいっす」
絞り出した声はちゃんと名前の耳に届く。
「真っ直ぐ名字さんと向き合いたい。こんな情けないこと言うの、恥ずかしいんすよ」
眉を下げた天海は、しっかりと名前を見据えている。その目にはもう、名前しか写っていない。
「ほんとよく言えるよね。心臓に毛が生えてるんじゃない」
王馬の言葉に思わず名前は笑った。本当に、人は見かけによらないらしい。天海がこんなにも一人の女性に執着して、こんなにも諦めが悪いなんて知らなかった。
天海の真摯な目を見て、名前は眉を下げて笑う。
「もう一度リセットして、天海くんに惹かれたい。なくなった記憶を全部取り戻しても、やっぱり天海くんが好きだって言えるように」
天海は目を見開いた。名前の苦笑にも似た笑みを見て、また視界が滲んでくる。
目の前の愛しい人に触れたくなって、そっと手を上げる。しかし、その手は名前に届く前に元の位置に戻る。
今触れてはいけない。
またもう一度名前に出会って、そして、彼女と笑い合えるようになるまで、まだ。
「10回目の正直にします」
大好きな彼女に10回目の恋をするために。
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