Day 9 - 2
「どうしたの名字ちゃん。怖くなってチビっちゃった?」
「そ、それはない!」
あまりにも不名誉な言葉に思わず反応して上体を起こす。彼は冗談めかしているが、やはり何か知っているのではないだろうか。もし王馬が犯人なら、きっと自分は太刀打ちできないまま終わりを迎えるだろう。
明日に何が待っているのか想像もつかず、名前はゴクリと喉を鳴らす。
「かわいそうな名字ちゃん。怖くて夜も眠れないならオレが一緒に寝てあげるよ?」
「何言ってるの」
「オレは本気で名字ちゃんを心配してるのに! 無垢な気持ちを一蹴するなんてヒドイや……」
軽口を適当にあしらうと彼の顔がみるみる暗くなる。これも演技かもしれないと思いながらも一瞬言葉に詰まってしまった。もしかしたら、ほんの1ミクロンでも純粋に名前のことを心配してくれている気持ちがあるかもしれない。
でも、期待するだけ裏切られた時が辛い。
「どうせ全部嘘のくせに」
口から出たのはそんな言葉だった。
「名字ちゃん、酷いよ……」
しかし彼の悲痛な面持ちを見て、名前は頬を叩かれた気分だった。本当に名前を心配してくれていたかもしれないのに、自衛のために彼を傷つけるような発言をしてしまった。悲しそうに眉を下げる王馬の姿に胸が痛くなる。さすがに今の言い方はないだろと、自分を殴りたい。
「ごめん……せっかく心配してくれたのに……」
「じゃあ、一緒に寝る?」
「うん……」
……いや待て。彼を疑ったことと一緒に寝ることが同じベクトルで話されてるのはおかしくないか?
そう思って俯いていた顔を上げると、ニマァと口を吊り上げた王馬と目が合う。
「へえ、名字ちゃんオレと一緒に寝るんだ。好きでもないやつと一緒に寝るなんて痴女なの?」
「ち、痴女!? 言い出したのは王馬くんでしょ!?」
やはりこうなってしまうか。言ってからものの数秒で後悔した。せっかく王馬のことを見直したところだったのに!
「それに王馬くんだって好きでもない人と寝ようとしてるじゃん!」
「オレは名字ちゃんのこと大好きだよ?」
名前は顔に熱が集まってきたのが自分でもわかり、顔を手で覆い隠す。なんてことを言ってくれるんだ。嘘だとわかっているのに照れてしまっている自分が情けない。年頃の女の子にそういう冗談を言うのは良くないんだぞ!
「名字ちゃんがどうしてもって言うなら一緒に寝てあげる。オレ優しいからさ!」
王馬は名前の手首を掴み無理矢理顔から離すと、その紫色の瞳の中に名前の赤い顔を映しこんだ。恥ずかしいから今は顔を見ないでほしい。
図書室から自室に戻ろうとしていた最原は、芝生のど真ん中で王馬が誰かに詰め寄っている光景を目にした。相変わらずだなと思い眉を寄せる。触らぬ神に祟りなしだが助けた方がいいだろうか。最原は一瞬迷ったものの一応相手が誰か確認しようとよく見ると、それは顔を赤くしつつも困惑した様子の名前だった。
彼女の顔を見た瞬間、最原は一も二もなく彼女と王馬の元へ足を進めていた。
「何やってるの」
最原の声が頭上から聞こえ、王馬の視線に耐えられなかった名前は思わず彼に縋り付く。
「ひぅ、助けて……」
「だ、大丈夫? 名字さん……」
頬を染めて足元にしがみつく名前に最原の顔が熱くなる。助けを求めてくれていることに嬉しさを感じるし、もっと頼って欲しいと庇護欲が掻き立てられるが、明らかにおかしい様子に心配の気持ちが勝る。名前は小さく首を縦に振っているから大丈夫、ということなんだろうけど、目を合わせようとしないし明らかに何かされている。
「王馬くん何したの」
少しキツめに問うも、彼は全く意に介さない様子だ。むしろ心の底から楽しんでいると言わんばかりに目を細めている。
しかし次の瞬間には顔を歪め、校舎の裏側にまで聞こえそうな声量でわんわんと泣き始めた。
「最原ちゃんひどいよー! オレはただ名字ちゃんの力になろうとしてただけなのに!」
ここ数日での経験上、王馬の言葉を鵜呑みにする気はない最原は、未だ足に縋りついている名前の顔色を伺う。すると、今度こそ名前はしっかりと最原の目を見つめて深く頷いた。
「ほんとに、王馬くんは私の力になろうとしてくれただけなんだけど! 私が、私が……」
「……だ、大丈夫?」
最原は名前の顔を覗き込むも、顔を真っ赤にして動揺しており話を聞き出せそうな雰囲気ではない。
全く失礼だよねーと何も気にしていない様子で文句を言う王馬に名前は頬を膨らまして抗議する。言い合う2人を見ていることしかできない最原は、得も言われぬ不快感に眉を顰めた。
「名字ちゃんよかったね! オレの代わりに最原ちゃんが一緒に寝てくれるって!」
「最原くんはそんなこと一言も言ってないよ!」
「えっ、なんの話!?」
モヤモヤと考えているうちに突然話を振られて声が裏返ってしまった。僕がなんだって? 名字さんと一緒に寝る?
ぼっと顔が赤くなった最原は口を開くことができないまま王馬と名前の話に耳を傾けた。
どうやら王馬は不安がっている名前のために一晩側にいることを提案したらしい。名前は当然渋っているが彼女が本気で不安がっているなら力になりたいとは思う。大きな口を叩いておきながら、探偵として全く彼女の役に立てていないから。せめてこんな形でもいいから、彼女の役に立ちたい。
「僕で良ければ、名字さんの力になりたいと思ってるよ」
「ほら、最原ちゃんもこう言ってるよ? まあ最原ちゃんはムッツリだから不安かもしれないけど、人の善意は素直に受け取っておくべきだよね」
「人聞き悪いな!」
別に一緒に寝るとは言ってないだろ! 少し、考えてしまったけど……。
一瞬でも邪な考えが頭を過ぎった最原は、王馬に強く言い返すことができずに口を引き結ぶ。
「もういいよ王馬くん。みんなが優しい言葉をかけてくれただけで十分だよ。ありがとう」
見るからに疲れている名前はもう終わりにしようと王馬に礼を述べた。しかしそれで終わらせる王馬ではない。
「みんな名字ちゃんを心配してるからね。折角だし天海ちゃんにも声かけようよ! きっと力になってくれるよ!」
「は!?」
「お願いだから話をややこしくしないで! 天海くんは関係ないでしょ!」
「酷いよ名字ちゃん、天海ちゃんを仲間外れにするなんて……」
「別に仲間外れとかじゃなくって、変な迷惑をかけたくないだけなの」
「あ、噂をすれば影! 天海ちゃーん!」
「ああぁ……」
タイミング悪く校舎から出てきた天海に王馬が満面の笑みで手を振ると、不思議そうに名前たちを見た天海が近寄ってくる。
「どうしたんすか?」
名前は疲れたように項垂れ、最原は頬をほんのり染めて何やら困惑している。そして、天海を呼びつけた当の本人は楽しそうな笑顔を浮かべている。それぞれの表情から現状を読み取ることはできないが、とりあえず体調が悪そうな名前の背中をさすり、天海は王馬にもう一度問いかけた。
王馬の提案を聞き、天海は驚き半分呆れ半分といった表情を見せる。名前の不安を少しでも軽減するためというのなら、天海じゃなくてもよかったはずだ。女性同士の方が話しやすいことだってあるだろうから、他に声をかけるというのなら同性の方がいいだろうというのは誰だって思うはずだ。
しかし王馬はそこで敢えて天海に声をかけた。
彼が何を思って天海にしたのかは、彼にはわからない。しかし、天海はこの提案を退ける気にはならなかった。
天海は、名前の背中をさすりながらその顔を覗き込んでにこりと微笑む。
「王馬くんの提案に乗るかどうかは別として、俺は名字さんのためなら何でもするっすよ」
「天海くん……」
そう呟いて名前は天海のその整ったご尊顔をぼうっと見つめた。いの一番に名前の背中を撫でてくれて、王馬から突拍子もないことを言われても名前の気持ちを一番に考えてくれる。名前はその完璧な振る舞いに照れを通り越して感心していた。さすがイケメンはやることが違う。
「わあーさすが天海ちゃん」
「全然感情がこもってないんすけど……」
「さ、名字ちゃん! 選び放題だよ! 誰と寝るの!? ワクワクしちゃうね!」
「え、僕は一緒に寝るとは……! いやでも名字さんのためになるなら……」
何この乙女ゲーム的な展開は。誰か選ばないといけないの? 誰も選ばなかったらバッドエンド突入なの?
色々あったここ数日で一番理解不能な展開に名前の頭はオーバーヒートを起こしていた。
むしろ、一周回って頭は冴えていたのかもしれない。
ここで誰かの手を取ることによって、その人と一緒にここを出られるのではないかと。
そんな打算的な考えが頭をよぎったのだから。
目の前に並ぶ三人の男性と順番に目を合わせる。
顔を赤くしつつもしっかりと名前の目を見つめる最原。
頭の後ろで手を組んで楽しそうにヘラヘラと笑っている王馬。
柔和な笑みを浮かべ名前に優しげな目を向ける天海。
「……えっと、」
今日が、ここで過ごす最後の夜だ。
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