Day 6 - 2


「ん………」
まだ身体が熱い。しかし先程よりは意識がはっきりしているのがわかる。近くに人の気配を感じた私は目を開けた。

「あ、起きた?」
そこにいたのは王馬だった。彼一人だ。

「王馬くん……? 東条さんは……?」
「他のみんなは寝てるよ。全く酷いよね。こんな状態の名字ちゃんを置いて寝るなんてさ。ま、オレが追い出したんだけど」
王馬の話はほとんど聞き流していた。
どれくらい寝ていたのだろうか。時間の感覚が全くない。あれから何時間経っているのだろう。

「今何時……?」
「今は夜の10時すぎだよ」
結構寝ていたようだ。そうか、東条さんが言っていたとおり王馬くんが戻ってきたのか。現状を理解すると今度は自分の状態が気になってきた。汗をかいて身体が気持ち悪い。
名前はゆっくりと身体を起こして立ち上がろうとしたが、王馬に押さえられる。
「ちょっとちょっと、何するつもり?」
「お風呂入りたい」
「はあ? その状態で入れると思う? お風呂でぶっ倒れるのがオチだろ。そうなったらオレが助け出すだけだけどね。にしし」
それは避けたい……。でも身体を洗いたい。どうしようか。

「優しいオレが身体拭いてあげるよ」
ここで初めて名前は王馬を見た。王馬は満面の笑みだ。この人の言うことは嘘か本当かわからないから怖い。
「病人相手に疲れること言わないでよ……」
名前は信じたくない一心で王馬の言葉を嘘だと決めつける。今回ばかりは嘘であってほしい。

「嘘じゃないよ!」

しかし、名前の望みも虚しく、彼はそう言ってのけた。そういえば自分は今、いつも寝るときに着ている部屋着を身に着けている。ビッグTシャツにショートパンツ。外に出るときに着替えているブラウスとスカートはローテーブルの上に丁寧にたたまれている。東条がそうして置いて行ったときと同じように。
ああそういうことか。東条が寝間着に着替えさせてくれたのだ。彼女ならそれくらい面倒見のいいことをしていても不思議ではない。同級生の女の子に着替えさせてもらうなんてちょっと恥ずかしいけれど、ありがたいことだ。
そんな名前の思考を見透かしているのか、王馬がニコニコと笑みを浮かべて名前を見つめている。その笑顔になんだか嫌な予感がして、ゴクリと唾を嚥下した。

名前は元々の熱に加えてさらに体温が上昇するのを感じて、頭がくらくらしてきた。

「み……見たの……」
掛け布団を手繰り寄せて身体を守る。今更こんなことをしても意味がないことは分かっているが、そうせずにはいられなかった。

「人の好意をそんな風に受け止めるなんて酷いや!」
確かに、王馬が名前を着替えさせてくれたのは、他の誰でもない名前の為だ。しかし、だからといって……!
「そう、だけど……!とりあえずはありがとう、だけど! 女の子を呼ぶとか他に方法があったんじゃないの!? 現に東条さん呼んでたじゃん……」
「名字ちゃんの身体を拭いてくれるような優しい人はオレくらいしかいないよ」
そんなことはないと信じたいのだが……。もうこれ以上言い合っても体力の無駄だと思った名前は、溢れてきた言葉や羞恥心をぐっと飲み込む。同級生の女の子に着替えさせてもらって恥ずかしいな、じゃない。男の子に着替えさせてもらってたなんて。もう合わせる顔もない。このことに東条は当然気づいているだろうが彼女はどう思ったのだろう。この事実に言及しなかったのは彼女の優しさなのだろうか。
また熱が上がってきそうになった名前はとにかく今やるべきことを考えることにした。

「とにかく身体拭きたいから、その……もう出て行って大丈夫だよ。看ててくれてありかとう」
そう言い放った名前はタオルを濡らすためにフラフラと立ち上がる。あ……思ったよりキツイ……。

倒れる。そう思った時、王馬が頼もしくも身体を受け止めてくれた。

「無理しちゃダメだって。大人しく言うこと聞けよ。ほら、まだこんなに熱いじゃん」

苦渋の決断だったが、名前は素直に王馬に従うことにした。立ち上がってみてわかった。まだ無理はできない。大人しくベッドに横になって待っていると、王馬が濡らしたタオルを持って来てくれる。

「じゃ、上の服脱いでー」
「そんな簡単に言わないでよ! 身体を拭くくらい自分でできるから……!」
名前は王馬からタオルを奪い取ろうとするが、王馬はひょいっとタオルを遠ざけた。

「昨日見ちゃったし今更だよ?」
そうなんだけどさ、そんな減るもんじゃないしみたいなノリで言わないでほしい。すり減るんだよ、私の心が!
名前はぐっと顔を顰めたまま王馬の持つタオルに視線を落とす。自分から脱ぐほど恥ずかしいものはない。
「………じゃあ、背中だけお願い……。それまではあっち向いてて」
どうしてこんなことになってしまったのだろう。なんだか無駄に体力を消耗している気がする。

王馬は名前にタオルを渡して、ベッドから少し離れたところでこちらに背を向けて座った。
名前も彼に背を向けてTシャツを恐る恐る脱ぎ始める。自分の胸やお腹の肌が見え、昨日王馬に見られたんだとまた顔に熱が集まる。
こんな状況ありえない。王馬は恥ずかしくないのだろうか。
一度振り返ると、彼はちゃんと他所を向いたままだった。それでも名前は落ち着かない気持ちで、タオルを手に取る。腕や首の辺りを拭くだけで、幾分か身体がスッキリしてきた。
名前はもう一度後ろを振り返った。彼はちゃんと先程と同じように他所を向いていた。
もしかして女の子の身体なんて見慣れているのだろか。
ふと浮かんだそんな思考に名前の胸がズキリと痛む。いやいや、どうして心臓が痛むんだ。王馬が女の子の身体を見慣れていようが名前には関係のないことだ。頭でしっかりと否定しても、名前の胸のざわつきが消えることはない。きっと、よく構ってきていた人が急に別の人と仲良くし始めてモヤモヤするあれだ。承認欲求ってやつだ。名前はばさりとTシャツを頭からかぶり、袖を通した。
ただでさえクラクラしている頭にさらに血が上るのを感じながら、名前は小さく王馬を呼んだ。

「あの……背中お願いします……」
「はーいって、あれ、名字ちゃんTシャツ着てるじゃん」
「背中だけだったら脱ぐ必要ないでしょ……!」
自分から頼むことが恥ずかしくて、いっそのこと王馬が拭くと言っていた時に了承しておけばよかったとさえ思う。
後ろから伸びてきた彼の手にタオルを置く。名前は後ろを振り向かなかった。まともに彼の顔を見られない。

王馬の掌が背中に触れ、ビクリと肩を震わした。少し冷たくなったタオルがゆっくりと名前の脇腹をなぞる。
あ、やばい、これ、想像以上に……。
「っ……んっ……」
「んー、ここ?」
「あっ……!」
口を抑えてプルプルと小刻みに震えていた名前だったが、とうとう堪えきれなくなり指の隙間からふっと息が漏れる。
もう、ダメ……。
「くすぐったい……! あはは!」
大きく笑い出し身を捩った名前の肩を王馬が押さえる。
「あー、ここか。ごめんごめん、ここが気持ちいいんだね」
「ひぅっ! や、めて!」
わざと脇腹をくすぐるようになぞった王馬の手を押さえて名前はごろりと横に倒れた。くすぐったすぎて耐えられない。抵抗する体力もなく、されるがまま目に涙を浮かべるも、王馬の手が止まることはない。


名前がわりと本気で怒り出したところで王馬はようやく攻撃の手を止めてくれた。まじで許さん。
気を取り直した名前はベッドに座り込み王馬に背中を向ける。背中を拭いてくれてるのだから文句は言えない立場だけど、先程のあれは病人にする行動ではなかったと思う。
今度こそ彼は優しく背中を拭いてくれる。黙られるとそれはそれで落ち着かない。うるさいのも嫌だけど黙ってるのも嫌だなんてわがままなのかもしれないと思ったが、彼が極端すぎるだけだと気を取り直す。

名前は居心地の悪い空気にたまらなくなって今の気持ちを呟いていた。
「彼氏でもない同年代の男の子にこんな姿を見られるなんて……もうお嫁に行けない……」
演技じみた態度で胸の前で握りしめていた掌を開いて顔を埋めた。
「じゃあさ、オレがもらったら問題ないんでしょ?」
あまりにも自然な口調だったから、今の働かない頭では、そうですねーなんて聞き流してしまいそうだった。
まさか王馬が名前を好きだなんてありえない。けれど今のセリフはそういうことじゃないのか。いやでも王馬のことだ。嘘に決まっている。嘘に決まっているのだから動揺する必要はない。
彼の言葉の真意を考えてぐるぐると目が回りそうなほど頭の中で反芻していると、彼はいつもの調子で声を上げる。

「あれ、真に受けちゃった? ごめんね、優しい優しいオレは名字ちゃんがそう言ってほしいのかなって思ったんだけど!」
は……? いろいろと、言葉の意味を理解しきれていないけど、つまり、やっぱり、からかわれたってことか?
激しく脈打っていた心臓が、ぎゅっと痛くなった。同時に、たちの悪い嘘をついた彼に無性に腹が立った。
「最低!!」
結局よくわからないまま名前はばさりと布団をかぶる。身体はスッキリしたが、頭はスッキリしない。彼が嘘をつくなんていつものことなのになぜこんなにイライラしているのだろう。まだぼーっとしていて、いつものように色々考えることができなくなっているみたいだ。


横になると多少は楽になったが、依然熱は高いと自覚する。こんなに身体が熱くてダルいのは初めてだ。このまま死んでしまうのではないか……そんなことすら考えてしまう。

「大好きな名字ちゃんのためを思ったんだけどなあ」
王馬はそう言って布団をかぶった名前の頭をぽんぽんと叩く。王馬相手に拗ねているのが恥ずかしくなって、名前は素直に顔を出した。もうコイツの言うことは信じないと心に決めて。
名前が軽く睨むと、王馬は何が楽しいのかニッコリと心から楽しそうな笑顔を見せる。

「じゃ、また来てあげるね」
笑顔のまま王馬は立ち上がる。
その瞬間、名前はなぜか動揺した。
咄嗟にベッドから離れようとした彼の手を掴む。ただ、側から離れないでほしかった。悔しいけど、離れて行く彼の背中を黙って見送ることができそうになかった。きっと王馬じゃなくてもいいのだ。一人になるのが寂しいだけで、王馬が離れていくのが寂しいわけではないと、自分に言い聞かせて。
王馬を見つめる名前の瞳から何かを汲み取ったのか、彼は再びベッドの横に座り直す。

「オレがいないと寂しいの? 名字ちゃんは寂しがり屋のうさぎちゃんだもんねー。寂しくて死んじゃうよー」
王馬はケラケラと名前をイジる。
いつもなら反論していたことだろう。でも今の名前は普段通りではない。小さい子どもが一人は怖いと怯えるように、名前は王馬を見る。
「そう……離れちゃ寂しいうさぎなの。だから王馬くん……」
そこまで言って名前は目を瞑った。
ただ安心したかった。王馬の手がゆっくりと頭を撫でるのを感じて、名前の身体からふっと力が抜ける。薄っすらと目を開けてもぞもぞと布団から手を出し、ベッドサイドに腰掛ける王馬の手に自らの手を重ねる。
彼は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに名前の手にすらりと伸びた指を絡めた。
「あれれ? 名字ちゃん熱あるんじゃない? あ、熱あるのか。仕方ないなー。スペシャルサービスで利息はトイチで勘弁してやるよ」
闇金じゃねーかと心の中でツッコミを入れながら、頭をなでてくれる彼の手を享受していた。王馬の心地良い手を感じながら、名前は次第に眠りの世界に落ちていった。





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