あなたの存在


名前は隔週で亜川の家へ行っている。いちいちお泊りグッズを持って行くのが面倒だと歯ブラシやパジャマなども荷解きの時に置いて行った。

5月初旬、王城復帰後のGW、『明日泊まりに行くからね』と名前から連絡があった。名前の提案はいつも唐突だ。別に名前相手なら準備することもないのでいつ来られても構わないのだが。

自分の歯を磨きながらふと名前の歯ブラシが視界に入る。まだ数回しか使われていないそれはピンと新品同様の毛先を保っている。自分の歯ブラシの水を切り、カランと音を立ててその隣に置くと、2つの歯ブラシが交差した。
この洗面台だけではない。
名前のパジャマを入れているクローゼットの一角、名前用に置いているクシ。二人分の食器類。部屋の至る部分に名前の形跡があり、それが生活の一部になっている。名前が一人で亜川の家に来るようになって2年と少し経つが、未だに二人で暮らしているような錯覚を起こしそうになる。

変態じみている。
固く目を閉じ己を恥じる。
慕ってくれている名前のためにも"良き兄であり良き理解者"を演じる。そうすることで名前との関係を保っていられるのだ。


名前は19時頃に家に着くとのことだった。亜川も部活の指導を終え帰宅すると18時半だった。ちょうどいい時間だと車を出す。
駅まで迎えに行くとメッセージを送りスマホを閉じる。ふうと長い息を吐き瞼を閉じた。指導者として張り詰めていた身体から一気に力が抜ける。努めて何も考えないようにしながら車内で待っていると、制服のスカートを翻しながら駆け寄ってくる名前の姿がバックミラー越しに見えた。名前はそのまま助手席側の窓から笑顔で手を振り扉を開ける。
「お待たせ〜。 迎えに来てくれてありがとう」
「時間がちょうどよかったので」
大した意味はないというように名前がシートベルトをつけたのを見て車を発進させる。名前も特に気にした様子もなく背もたれに背中を預ける。
「スーパー寄って帰ろ。今日は私が作ってあげる」
新作考えたから味見してほしくてと言う名前の目は優しげに細められる。
先日部員たちとパーティをした時に手料理を作ったら好評だったと嬉しそうに語っていたのを思い出す。
名前の料理は確かに美味しい。名前が料理を作り始めた時も必ず亜川が味見役だった。亜川のために腕を磨き、亜川のために料理を作ってくれていた。それがどれほど幸せなことか、料理を作る相手が変わったことでようやく気がついた。

たまにこうして作ってくれる料理が相変わらず栄養までしっかり考えられているのを見ると、ほっとする。まるで名前が亜川だけを見ていた頃に戻ったかのように。味が久納と同じなのは気に食わないが、名前の方が100倍美味しく感じるので良しとしよう。


あれやこれやとスーパーのカゴに入れられていた食材は見事に姿形を変え食卓に並べられる。普段一人のときには見ることの出来ない光景に、机や食器さえ喜んでいるように感じてしまう。

「「いただきます」」

二人の声が重なり、いつもより明るい食事が始まった。名前のない創作料理でも名前が作ったものとなれば安心して口に入れられる。
「……美味しいです」
「よかったあ〜」
料理を口に運ぶ様子を不安そうに見ていた名前はほっと胸を撫で下ろす。
「今回はレバー使ってみたんだよね。苦手な人も多いけどミネラルが豊富で栄養バッチリだからどうにか食べやすいように味付けして――……」
正直名前の解説は半分くらい聞いていなかった。解説を聞かなくてもあの食べにくいレバーが格段に美味しくなっていることはわかる。この手作り感があって名前の優しさを感じられる味は、30代半ば独身男の身体には毒なほど美味しい。

「ごちそうさまでした」
たっぷり堪能して手を合わせれば、名前が満足そうに頷く。今回も上出来上出来、とノートに何やら書き込んでいく様子を横目に、亜川はすっかり空になった皿を流しに持って行く。
「お風呂のお湯、ためてきます」
「はーい」
名前がお皿を洗っている間に亜川が湯船を洗ってお湯をためる。いつの間にかこれが二人の分担になっていた。そして名前が先に入り、亜川が後に入る。おっさんのあとの風呂なんて嫌だろうと思い名前を先に入れたのが始まりだった。そして風呂から上がれば特に決まったことをすることもなく、テレビを見たり、勉強をしたり、各々好きなことをして眠くなるまで時間を過ごす。この自由気ままで気を使わない空気感が好きだ。

風呂で濡れた髪を放置したままリビングで参考書を広げていると名前が隣にちょこんと座る。
「髪ごわごわになるよ」
半分ほど乾いた髪に名前のしなやかな指が通る。
「いつものことです」
「だからいつもぼさぼさなんじゃん」
「ぼさぼさ……」
そう思われていたのかと眉をひそめるが事実なので仕方がない。
「几帳面に見えて大雑把なところあるよね」
そう言って笑いながら名前がドライヤーを手に取る。ソファに座ったまま脚を少し広げ、その間をぽんぽんと叩く。
つまり、亜川の髪を乾かすという意思表示だ。しかし名前の股の間に座って髪を乾かしてもらうというのは流石に抵抗がある。提案したのは向こうなので名前の方は全く気にしていないという証拠でもあり、安堵と同時に自分だけ気にしているようで複雑な気分だ。
「自分でやります」
名前の手からドライヤーを取ると、名前は眉を下げて笑った。
もしかして、名前の甘えだったのだろうか。
一瞬の表情が頭にこびりついて離れない。
手にドライヤーを持ったまま固まる亜川に名前が首を傾げると、亜川はちらりと視線を寄こしてドライヤーを再び名前の手に戻す。
「へへ」
一度目を丸くした名前は亜川の意図を汲み取りへにゃりと気の抜けた笑みを溢す。

さすがに女子高生の足の間に座るのは憚られたので、代わりに亜川がソファに座った。名字は座る亜川に向かい合うように立ち、少しゴワついた亜川の髪を乾かす。

髪を触られていると眠たくなるのは、頭にある無数のツボが刺激されるからだそうだ。
監督業の疲労が溜まっていたのか、名前の柔らかい手の動きに合わせて頭が揺れ、次第に瞼が重くなってくる。
「根の詰め過ぎはよくないよー。すっごいブーメランだけど」
くすりと笑った名前が仕上げに髪を梳かしてくれたところで、亜川は一度頭を垂れた。
すぐに顔を上げるが、目の前には名前の腹部。
頭を抱え込むように抱き寄せられ、先程まで感じていた眠気はどこかへ吹っ飛んだ。

よしよし、と言いながら抱え込んだ頭を撫でられる。名前の温もりも、優しい手付きも、柔らかい腹も、全てが心地よくてこのまま身を委ねたくなる。この、17歳も歳下の少女に。


「ちょっと、」
亜川の頑丈な理性が手を払い名前を引き剥がす。
見上げた名前の顔は、よく作られた下手くそな笑顔だった。




[list]
×
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -