One life is all we have




はあーーーー、と大きな溜息をついて最後の角を曲がる。本部の入り口から作戦室に来るまでにこんなに疲れることがあるか?

皆名前の話を知っていた。一昨日のことなのに。それほどボーダーの人間は距離が近いということでもある。近界民からこっち側の人間を守るという共通意思を持って、己から望んでその組織に属しているのだ。

トリオン兵さえ倒せればいい。

そんな考えでは絶対にいつか壁にぶち当たるのはわかっていた。向こうの世界にだって、"人型"はいる。

だからこそこの話を引き受けたのだから。


よし、と名前は自分に活を入れる。
エナジードリンクはばっちりですよ。
効いているのかもわからないエナジードリンクに頼る典型的不健全大学生っぷりを隠しもせず手にコンビニの袋をぶら下げたまま名前は扉を開く。

「お、みんな早いね〜」
起きてすぐ本部に向かったつもりだけど、もうみんなは集まっていたようだ。三人の顔が一斉に名前の方に向けられる。
「名前さん! お疲れ様です!」
「お疲れ様です!」
「お疲れ様です」
「うん。おつかれ〜。なに何? 記録見てるの?」
「あ……!」
コンビニの袋をガサリと机の上に置く。挨拶代わりに茶野と藤沢の頭を撫でながら二人の間に顔を出して机の上を覗き込んだ。
彼らが一生懸命見ていたのは名前の予想通り試合の記録を映し出しているタブレットだったが、その中身は全く予想していないものだった。

「え、これ私?」
「あー……はい。お互いのことを知ろうってなったのはいいんですけど、オレたち名前さんがどういう戦い方をするのか全然知らないんで」
「記録見ようと思ったんですけど資料が想像以上に少なくて。やっと見つけたと思ったら1年以上前のものだったりして……」
「でも考えてみれば当然ですよね。ランク戦に全くと言っていいほど出ていないんですから。だからこそ私たちにとっては伝説なんですし」
オペレーター席から顔を覗かせる十倉は苦笑を漏らす。

こうして名前のことを知ろうとしてくれていたが資料がなくて困っていたのだろう。確かにお互いのことを知ろうと言い出したのは自分なのに、何も方法を与えていなかったと気づく。早めに自分のことを教えて、本来やるべきランク戦の相手の研究に時間を費やしてほしい。正直、名前自身も茶野たちの能力のことや次の対戦相手のことを調べていて、彼らの指導にまで手が回らなかった。しかしこれは言い訳にならない。これからは自分一人じゃないのだ。

「ごめんね放ったらかしてて。そりゃ私の資料なんてないよね。だからさ、茶野くん藤沢くん。今から私と一戦やろうよ」

資料はないが、本人はここにいる。
ならば身をもって相手のことを知ればいい。それはお互いにとって大きなプラスでしかないはずだ。というか今日はそのつもりもあってここに来たのだが、どう誘おうかと考えていたところだったのでまさに渡りに船だ。

名前の提案に、三人は目を丸くしてその瞳をキラキラと輝かせる。
「いいんですか!?」
茶野と藤沢は勢い良く立ち上がり今すぐにでも始めようという構えである。想像以上の食いつきぶりに一瞬たじろぐも、肝心なことを言っていないと、名前は三人を制止するように片手を上げた。
「あーちょっと待って、その前にルールを設けよう」
「ルール、ですか?」
オペレーター席に座り直そうとしていた十倉が小首を傾げる。
「うん。相手を緊急脱出させなくても、戦闘不能にまで持ち込んだら勝ちっていうルール。例えば、傷を負わせていなくても身動きを封じたら勝ち、とかね」
「わかりました。名前さんが望むならそれで大丈夫です」
「オレも了解です」
「ありがとう。じゃあ始めよっか」
なんてことない、これは自分のためのルールだ。
2人を前にしたら絶対に刃を向けられないことは目に見えている。

まだ、名前にはその覚悟がない。



『戦闘開始です』

十倉の声と同時に、茶野と藤沢が銃を構える。
なるほどなるほど。どうやら二人は好戦的なようだ。

真っ直ぐに向けられた銃口を見て、名前は笑みをこぼす。
別に名前は太刀川のような戦闘種族ではないから、戦いが楽しくて笑っているわけではない。ただあまりにも真っ直ぐで、歪みがないその姿勢に好感を持っただけだ。
来る、と思ったと同時に茶野たちの銃が火を吹く。
シールドを張り、くるりと身を翻して茶野の懐に飛び込んだ名前はその腕に弾を正確に撃ち込む。流れるような動きで藤沢の腕にも弾を撃ち込んだ。
スコーピオンによる攻撃だと思っていた茶野と藤沢は、それが弾による攻撃だと認識した時にはもう腕が上がらなくなっていた。
「ぐっ……」
「鉛弾っ……!」
ゴンと鈍い音を立てて落ちた腕を上げることはままならない。
「ごめんね」
続けて胴と脚に撃ち込まれた追撃で二人は完全に地に伏せてしまった。ピクリとも動かせない。

「う〜〜ん、やっぱりやりにくいなあ」

一瞬のことだった。名前は納得がいっていないのか首をひねる。

「っ! 茶野、藤沢ダウン」
はっと我に返った十倉が慌てて名前の勝利を宣言した。それと同時に茶野と藤沢の鉛弾が消える。

「大丈夫? 怖くなかった?」
「いえ……全然」
「それより鉛弾使うんですね」
茶野と藤沢には敗北を悔しがる素振りはなく、むしろ名前の攻撃に感動し羨望の眼差しを向ける。どうやら攻撃されることに恐怖は抱いていないようだ。二人の様子に安堵した名前は笑みを零す。
「いつもは使わないよ。今回はルールがあったし人間相手だから使ったけど。記録で見たかもしれないけど、普段はスコーピオンだよ」
「俺たち相手じゃまだまだ本気で戦う気にもならないってことか……」
「やっぱり名前さんはすごいな」
「いやいやいや。茶野くんたち相手だから本気を出してないとかそういうんじゃなくて……」
慌てて弁明するもうまい言葉が出てこない。今はまだちゃんと説明できる気がしない。首を傾げる二人を前に、名前はふうと息を吐き出す。

「それよりも、さっきの戦いで私にどんな印象を抱いたか教えてほしいな。どういう戦い方をする人なのかを素早くキャッチするのも大事だよ」
少々強引に話題を変えたが、二人は特に気にしていない様子だ。キラキラと眩しいくらいに凛々しい顔を名前に向ける。
「はい! 記録を見た時も感じましたが、やっぱり名前さんは機動力があります」
「あと、オレたちの初動からすぐに対応していたので状況判断能力も流石だなと思いました」
「なんかこう、真正面から印象を聞くっていうのも思ってたより気恥ずかしいけど、二人ともよく見てるね! それが正解かどうかは別として、そこから次の動きの予想を立てながら動けるのがベストだよ。最初は難しいけどね」
ただ一方的にやられたように見えたが、二人ともちゃんと名前の動きを見ていた。名前から学ぼうとしていた。二人は十分に伸び代がある。
名前が満足げに笑うと、茶野と藤沢も笑顔を見せる。

それから名前たちは4戦ほど戦い、ブースを出た。
茶野と藤沢は負け続けたが、あの伝説の名前の動きを身をもって知ることができて喜んでいるようだ。一方名前は久々の対人戦闘、しかもその相手が年下とあってかなり精神をすり減らした。ぐだっと床に突っ伏したい気分である。それでも茶野と藤沢の動きをよく観察できたので満足だ。


ブースを出ると、十倉が柔和な笑みをたたえてお疲れ様でしたと出迎えてくれる。
茶野と藤沢は記録でも研究したうえで、実際に戦ってみてより多くの癖を知ることができた。しかし彼女のことはまだよくわかっていない。チームでの戦闘においてオペレーターとの連携が大切なのは想像でもわかる。戦士だけじゃなくて、オペレーターも技術の向上は必要だ。
十倉の頭を優しく撫でると、彼女は猫のように目を細めた。





三人がランク戦の相手について話し合っている会話を聞きつつ、名前も机の端でタブレットを操作する。

二人にはしっかり学ぶ姿勢がある。
それなら、と名前は頭の中で様々な銃手を思い浮かべながらボーダーのデータベースを開く。やはり銃手の一番手と言えば里見か弓場か。しかし名前はすぐに首を振る。里見はスカウトで今はいないし、弓場は……個人的にウチの子たちを預けたくない。さらにタブレットに指を滑らせる。やはり茶野と藤沢を預けるならボーダー内でもトップクラスのあの子たちが妥当だが、彼らだってB級だ。人の指導をしている余裕はないかもしれない。引き受けてくれるだろうか……。名前は滑らせていた指を止め、画面を見つめながら頬杖をつく。

ま、ダメ元で頼んでみるか!

思い立ったが吉日。名前は二人の人物を映し出したタブレットを閉じ、立ち上がる。額を突き合わせて次の対戦相手の記録を見ているかわいい後輩たちを横目に、鼻歌交じりで作戦室を後にした。






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