I was born to do this.
次の試合は上位との戦いだ。当然、今までと同じ戦い方では太刀打ちできない。
茶野くん、藤沢くん、十倉ちゃん。みんなこの短期間で驚くほどの成長を遂げてきた。
私も、いつまでも”できない”じゃダメだ。
「急にごめんね、三輪くん。今日はよろしくお願いします」
「……はい」
次の試合まで残り一日となった今日、名前は急遽三輪に練習に付き合ってもらっていた。三輪も忙しい身であるはずだがこうして付き合ってくれるのは、二宮の命令というのもあり名前の練習に付き合うことが使命だとでも思っているからだろう。彼の真面目な性格に甘えさせてもらっているようで申し訳なく思うが、だからといって他に練習を頼める相手もいない。
三輪は基本的にいつも難しい顔をしているが、何か頼み事をした時や助けてもらった時にやたらと謝ったりするとなぜか眉間のシワがより深くなる。なので最近はペコペコ謝ったりせずに、ペコペコしながらお礼を言うようにしている。相変わらず難しい顔を崩さないが、謝り倒していた時よりは幾分か反応がマシに思えるのは気のせいではないだろう。
「今日も10本勝負を何セットか続けてやりますか」
今日はもう予定がないと言う三輪は、とことんまで付き合ってくれるつもりらしい。私のことをあまりよく思っていないはずなのに、本当に律儀な子だ。
「うん。じゃあ、とりあえず3セットで」
「わかりました」
頷いた三輪がブースに入ったのを見届けて名前もブースへ足を踏み入れる。
あの悲劇から4年が経った。この4年で街は随分と復興し、まるでフィクションであったかのように市街地には爪痕一つすら残っていない。けれど一歩警戒区域へ足を踏み入れれば潰れた家や荒れたままの瓦礫が積み重なっている箇所もあり、奴らの侵攻がどれ程の悲劇を生んだかが痛いほどわかる。
三輪はその時の怒りを復讐心に変え、風化させることなく常に強くあり続けている。肩に力が入りすぎていると思う人もいるかもしれない。けれど私はそうは思わなかった。どういう感情であれ己の考えを曲げずに常に自分に厳しくあり続ける姿を見る度に劣等感を抱き、同時にそんな彼を尊敬している。
私とは正反対だから。
10本勝負を2セット終えたところで、名前はストップをかけた。
最近徐々に克服されてきていたこともあり、今日こそは大丈夫だと意気込んでいたのだが現実はそう甘くない。腕や脚など致命傷にならない部位の攻撃はできるようになったが、肝心なところでトドメがさせない。
「ごめんね三輪くん」
「いえ」
ストップをかけた名前を心配したのかブース内に三輪が来てくれた。その眉間にはいつもより深いシワが刻まれている。そのシワを見た名前は彼から少し視線をそらし、自分の隣のスペースをぽんぽんと叩いた。座ってくれないかとも思ったが、彼は案外素直に隣に腰を下ろす。
「全然上達しなくて本当にごめん」
「…………」
「ただでさえ私のこと嫌いだと思うのに。いや、謝るくらいならどうにかしろよって話なんだけ「え」
「……ん?」
隣に座った三輪がくどくどと自分を責める名前を遮るように声を出した。珍しく素の声だった気がして反射的に彼を見ると、これまた珍しく目を見開いて呆然とする彼がこちらを見ている。眉間にシワの寄っていない三輪の顔をこんなに近くで見るのは初めてかもしれないと思いながら、名前も彼のことを見つめ返す。
「……どうかした?」
名前がこてんと首を傾げると、はっと我に返った彼は眉間のシワをいつになく深くして名前を睨めつける。こわい。
「嫌いってなんですか?」
「え?」
「俺が名前さんを嫌ってるってことですか?」
「え、まあ、そうなのかなあって、ちょっと思っただけだよ」
「……」
あまりにも真っ直ぐ顔を見て言うものだから、思わず視線をそらす。まさかその部分に突っ込まれるとは思わなかったこともあり意表を突かれた上、話題が話題なだけに少々気まずい。まあ確かに"自分のことを嫌っているかも"と思う相手にそれでも構い続けるのってかなり自己中心的で更に嫌われてもおかしくはないが、なにぶん三輪は優しいし名前のことを睨みながらも話しかけてくれたりするためついついこちらも甘えてしまっているわけである。
三輪は相当頭に来ているのか青筋を立ててふるふると肩を震わせていた。余計なことを言ってしまったと後悔するもののどう話しかければいいのかわからない。ごめんなさいと謝ればまた三輪を怒らせてしまうかもしれないと思うと何も言葉が出てこない。
情けないことにあわあわと狼狽えていると、深く息を吐き出した三輪が射抜くような眼光を名前に向ける。
「誤解です」
名前は彼のその一言でピシリと動きを止めた。きっぱりと言い切った彼はやはり怒っているように見えるが、それは私に対してではないような気がした。
「すみません。今まで不快な思いをさせてしまって」
「え、いや、私は大丈夫というか、むしろ私のせいで三輪くんに不快な思いをさせてたのかなって……」
「違います。……全て俺の勝手な劣等感のせいです」
「……劣等感?」
苦し気に顔をしかめた三輪は今まで隠してきた名前に対する態度の真相を明かしてくれた。
同じ痛みを味わっていながらも近界民に復讐しようとはしない名前を見ていると自分が否定されたような気がしていたこと。復讐を誓ったのに、名前の考えも理解できてしまう自分がいること。三輪は終始苦しそうに顔を歪めていた。
名前は彼の話を黙って聞いていた。彼の真意を聞いたのは初めてだったし、彼も自分と同じように相手に劣等感を抱いていたことにも驚いた。そして、彼が抱えていた感情を理解しようともしていなかった自分が許せなかった。
彼が一通り話し終えたとき、名前は三輪の頭を抱え込むようにして抱き締めた。
「ごめん、ごめんね三輪くん」
自分のせいで三輪が苦しんでいた。
その事実がどうしようもないほど苦しい。
名前は全然立派な人間なんかじゃない。周りが言うような強い人じゃない。弟の面影を今でも追い続けて恐怖に立ち向かえないでいるただの情けない人だ。三輪が劣等感を抱くような人ではない。
「私が迷ってるうちに誰かを救えるかもしれない……後悔してからじゃ遅いって頭ではわかってるのに、結局私は三輪くんみたいに強い人に甘えてるんだと思う」
ぎゅうっと抱きしめる腕に力が籠もる。三輪も、強いと思っている他のみんなも、完璧ではない。あの時とは違って今は守る術を持っている。この手で守れなければ同じことの繰り返しだ。
今はただ謝ることしかできない。
きっと名前も三輪も間違っていない。人の数だけ想いがあるし考えがある。
それでも自分が三輪を苦しめている事実は変わらない。
私が変わらなければ、彼を苦しめたままだ。
「あの、」
そう胸に決意した時、ふと腕の中の三輪が身動ぐ。
「あ、ごめん! 痛かった!?」
思っていたより力強く抱きしめていたようで、名前は慌てて彼を離す。三輪は顔を俯かせたまま動こうとしない。どうしようとあわあわしつつ彼の顔を覗きこもうとするも、プイと顔を背けられる。
ガーーーーンと頭を殴られたような衝撃で頭が真っ白になった。
嫌われた? 本格的に嫌われた?
冷静に考えれば承諾なしに異性にきつく抱きしめられるなんて拷問以外の何者でもない。自分がしてしまったことを振り返りさっと血の気が引く。
「あ、ご、ごめん! つい、あの、ぎゅってしちゃって、えっと、気持ち悪かった、よね、ごめん」
彼に許してもらおうと必死になればなるほど言葉にならない単語を並べることしかできない。動揺しすぎてさらに気持ち悪さが増しているぞ自分。あまりにも要領を得ない自分の言葉に、冷静にならなければと自覚した時だった。
「いや、不快とか、そういうのではないです」
片手で顔を覆ったままの三輪がチラリと顔を上げる。名前の目に飛び込んできたその顔に、名前の心臓がどくりと脈打った。
三輪の顔が、見たこともないほど真っ赤に染まっている。
なぜ!?!? あ、恥ずかしかったのか!!
ヒュと息を飲み、彼の顔から目をそらす。
自分まで顔が熱くなってきたことにほぼパニック状態で目が回りそうだ。
名前はがばりと立ち上がり、一歩二歩と後退る。
「今日はありがとう! 明日、試合、がんばるね!」
三輪が何も言わないのをいいことに、名前はその場から逃げ出した。
早歩きで廊下を歩きながら自分の顔を覆う。
思わず逃げ出してしまったが、早くも逃げ出したことを後悔していた。
「あれー三輪くん顔赤いよーかわいいー」くらい言えれば笑って済ませられたのではないだろうか。いや想像の時点で棒読みになっているくらいだからそんな軽口を叩けないことは目に見えているのだが。
彼と一緒に顔を赤くして挙句の果てに逃げ出すというのは非常に情けない。彼よりも年上のお姉さんなのに。
異性に抱きしめられて照れてしまう三輪はかわいかったが、それよりも相手が私でもそうなってしまうのかと考えると胸がきゅっと苦しくなる。嫌われていると思っていたから、反動でとても嬉しく感じているのだろう。我ながら単純なヤツ。
年下に翻弄されるのはいつものことだ。
彼の照れが移ってしまったとはいえ逃げ出したことはいただけない。
せっかく三輪との距離が縮まったのに。
名前は早歩きだった足をゆっくりと止め、もう一度ぎゅっと胸を押さえる。
三輪に嫌われていなかったという事実をじわじわと実感し、熱いものが胸の辺りからじわじわと全身に広がっていく。
抱きしめてしまったことはとても申し訳ないけれど、今はそれよりも三輪に嫌われてなかったことがすっごく嬉しい。
叫び出したいほどの歓喜に身体が震えた。
胸を押さえていた両拳をぐっと握りしめる。できることならジタバタと暴れ出したい。廊下を駆け回りたい。三輪に嫌われていなかったと大声で叫びたい。
早歩きをしていたかと思えば突然立ち止まったり拳を握りしめたりする彼女の奇行を茶野たちが見ていることも知らず、名前は再び軽い足取りで廊下を歩き出した。
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