I am not afraid…
B級ランク戦も早いもので第6戦を終えた。
王子隊vs生駒隊vs三雲隊の戦いを観戦していた名前はその足で練習場に向かう。暫く近づけなかったその場所だが、熱の入った戦いに触発されて足を運んでいる。浮足立つこの気持ちが噂を避けたい気持ちに上回ったのだが、果たしてこの行動が吉と出るのかは名前にもわからない。
一目散に練習場に向かって歩いていると、背後から肩を叩かれにゅっと顔が突き出てくる。
「ひっ!?」
素っ頓狂な声を上げ仰け反った先に立っていたのは真顔の生駒だった。
「名前ちゃーん」
「ちょっと、心臓に悪い!」
胸に手を当て、ふうと深い息を吐く。多分驚きすぎて数センチは浮いた。おまけに寿命が数分は縮んだ。まだドクドクと激しく鳴る心臓と衝撃のやり場に困り、生駒の腕を軽く叩く。
生駒、そこで感慨深そうに瞼を閉じるのやめてほしい。
「今日もかわええなあ」
心なしかニヤついた顔の生駒は名前の顔を覗き込む。鋭い視線を送るも、生駒は全く意に介さない。腕を叩いたのも蚊が止まったくらいの衝撃らしい彼は懲りずに距離を詰めてきたので、名前は咄嗟に数歩横にズレた。さっきから距離が近い。
「そういえばソロ戦で戦えば彼氏候補になれるって聞いたんやけど」
その話題に名前の眉がピクリと上がる。
「いや、その話は……」
「俺と一戦どう?」
顎に人差し指と親指を当ててキリッと決め顔をした生駒に思わず吹き出す。生駒がナンパまがいのセリフを吐いても清々しすぎて何の嫌味もないところは彼の美点でもあるだろう。
「あれ、なんか練習場賑やかだね」
「そやなあ。お、嵐山やん」
生駒の先のセリフを華麗にスルーした名前はいつもよりザワついている練習場を不思議に思いあたりを見回していると、隊服を着た嵐山が目に入った。彼の目はいつになく真剣で、じっと他の隊員たちを見据えているようだ。
「同時にほっぺた突こうや」
「いいね」
嵐山のシリアスな雰囲気なんてどこ吹く風。イタズラに一も二もなく乗った名前は生駒と目を合わせて頷き合う。ソロリソロリと忍者のように忍びより、生駒は右から、名前は左から嵐山の頬をつついた。
「嵐山」
「お、」
嵐山の顔が振り向いたのは名前がいる左向きだった。
「こっち向いた」
「うーん俺の負けか」
「なんの勝負だ?」
目を丸くさせた嵐山は名前と生駒だとわかるや呆れたような笑みをこぼした。
同級生で集まるのは我が家に帰ったかのような安心感があって名前は好きだ。こんなくだらないイタズラをけしかけるのも彼らだからこそ。普段年下をかわいがっている名前も、同級生の輪の中に入ると年甲斐もなく子供じみた行動や表情を見せる。
「ソロ戦か?」
「うん」
嵐山の問いににっこり笑顔を浮かべたままの名前が頷くと、彼の手が名前の頭を一撫でする。
「最近ソロ戦に出てるって話はほんとだったんだな。オールラウンダー同士久しぶりに俺ともやるか!」
「お、ライバルかあ。それも燃える」
嵐山は爽やかな笑顔で名前に追い打ちをかける。彼は噂のことを知っているのだろうか。
「名前ちゃん」
話が戻ったことで再びスイッチが入ったのか、ずいと嵐山を押しのけんばかりの勢いで身を乗り出してきた生駒から遠ざかるように仰け反る。
「近づくの禁止!」
「まあまあ、同級生同士仲良くしよう!」
はははと笑う嵐山が名前と生駒の肩を叩いた。本当にいい意味で気の抜ける人たちだ。
「あーー! イコさん名前さん!」
「小荒井くんだ」
「どないしてんコアラ」
ちょうどその時、ブースから小荒井が出てきた。
興奮気味の彼から事情を聞けば、どうやら0日でB級入りしたスーパールーキーと勝負をしていたらしい。あの辻も5-2で負けたようだ。その辻は小荒井の後ろに隠れるようにして立っている。
「辻くんが?」
「あ……は、い」
名前に話をふられた途端に顔を赤くした辻がしどろもどろに頷く。
「そっかあ……うーん……」
新人をじっと見つめて顎に手を当てたまま唸る名前に、辻は眉をしかめた。噂の張本人である彼は涼しい顔で佇んでいる。
あれよあれよという間に旋空を使わないという約束で生駒と新人が戦うことになった。
「次名前さんもどうですか?」
「うーん、私は遠慮しておくよ」
小荒井の提案を断るものの、名前の視線はすぐに新人へと戻る。
名前は彼から異質な気配を感じ取っていた。つい最近感じた違和感な気がするがそれがいつどこで感じたものなのかが思い出せない。
大人しそうに見えてやたらとオーラを発しまくる変わったタイプなのかもしれない。不思議な子もいたもんだ。
生駒と新人の勝負を見ながら名前がひとりで納得していると、ピタリと寄り添うように辻が隣に立つ。滅多にないことに面食らうものの、あまり辻を刺激しないように顔には出さなかった。
隣にいるのが名前だと気づいていないのかもしれない。
そう思ったのも束の間、横目で彼を盗み見ると、耳の先端が真っ赤に染まっていた。どうやら意識的な行いのようだ。
「どうしたの?」
言いたいことがあるのかと思い問いかけるも、辻は画面を見つめたままますます顔を赤くして首を横に振るだけだ。しばらく首を傾げて彼を見つめるも、居心地悪そうに口を堅く結んでいるのにそこから動こうとしない彼からは、それ以上の反応は得られそうにない。
若い者は皆揃って不思議だ……。
名前は真理にたどり着いたと言わんばかりに一人頷き、画面に目を戻すのだった。
ひと勝負しようと思っていた名前だが、ヒュースという特異な存在の方に興味が移り、すっかり熱が引いていた。思い出せそうで思い出せない気持ち悪い感覚にこめかみを押さえる。
「あれー名前さんソロ戦やってたん?」
生駒とヒュースの勝負後に現れた太刀川と入れ替わるようにしてブースを出た名前に声をかけたのは隠岐だった。直前まで隠岐の存在に気づかなかったなんて、相当集中していたらしい。
「ん? ああ……隠岐くん」
「何その反応。誰とやったん?」
「え? ソロ戦はしてないよ」
「え〜そうなん? 誰かとやって負けたんかと思ったわ。ここにシワ寄ってたし」
隠岐の指が名前の眉間をなぞる。
「イコさんに絡まれでもした?」
「あー……うん」
指を離した隠岐はニヤニヤと笑いながら名前の顔を覗き込む。眉をしかめていた原因は生駒ではないが絡まれたのは事実なので名前はしっかりと頷いた。また名前の眉間にシワが寄ったのを見て隠岐は声を上げて笑う。
「それはご愁傷さまやなあ。イコさん彼氏募集の話聞いてめっちゃ騒いどったから。ヤバイヤバイって百回くらい言っとったで」
名前は乾いた笑いを返すしかない。その姿が容易に想像できたからだ。
「というかその反応やとやっぱり、彼氏募集の話はただの噂やったってことかなあ」
つまんないというように唇を尖らせた隠岐はチラリと名前に視線をやり、おや、と姿勢を正した。
「まあその話全てが嘘ってわけでもないんだけど」
いつもより控えめな声でそう言った名前は困ったようにはにかむ。
まじか。
手に何か持っていたら取り落としていた自信がある。隠岐はぱちくりと開いた目で名前を凝視する。どうやら冗談を言ってるわけではないらしい。
「え、じゃあほんまに彼氏募集してんの……?」
勝手な話だが名前はそういうことに興味がないと思っていた隠岐は動揺を悟られないように意識して笑顔をつくる。恐らく引きつっているだろうけれど。
名前は好感を持たれやすいタイプだ。人当たりはいいしかわいいし。おそらくボーダー内でも何人かはわりと本気で彼女のことを好きな人がいると思う。でも本人にその気がないからと誰も本気で言い寄る者はいなかった。どうせ言っても相手にされないだろうとか、関係が壊れるくらいなら今のままでいたいとか、そう思っていた人もいるはずだ。誰も口には出さないけれど。
そしてこれは持論だが、名前自身好意には気がついているのではないかと思っている。異性として好かれているとは思っていなくても、少なくとも人として好感は持たれているだろうな、というくらいの淡いものだろうけれど。
つまり何が言いたいかというと、名前が誰かと付き合ったとなれば彼女の周りやその周囲の人間の関係が多少崩れる可能性があるということだ。
隠岐は、名前の返答次第ではボーダー内で一波乱起こると予感し、心臓がいやに騒ぎ始める。
「募集と言えば募集なのかな」
「え」
名前の一言に急に手汗が滲み始める。
あれ、俺なんでこんな焦ってるんやろう。
「いやでも募集って言い方は違うかな。だってこれだと誰でもいいみたいに聞こえるよね」
「ちょお待って! 名前さん好きな人おるん?」
隠岐はもう取繕えないほど困惑していた。名前の発言にもだが、己の焦燥感に対しても。辛うじて笑顔を保ててはいたものの、今までなぜあんなに冷静でいられたのか不思議なくらい心の中は整理のつかない状態になっている。
「んーー」
名前は唸りながら苦笑いをこぼす。隠岐にはもはや声を出すことすらできなかった。
「じゃあ私この後茶野くんたちと合流しなきゃだから。隠岐くんまたね」
これは大変なことになった……。
隠岐は廊下の先に消えていく名前の背中を見送りながら、何があっても生駒にだけは伏せておこうと誓った。
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