and am living through me,
今回の敵は当初名前が想定していたよりも早く撤退していった。負傷した隊員もいたが致命傷になるほどの怪我をした人はいなかった。
「はい名前さん、パース!」
「うわ!」
楽しそうに声を上げる犬飼がヒョイと放り投げたのは先程合流した米屋だ。その足は敵のトリガーなのかブヨブヨしたもので覆われており、投げられた米屋はそのままツルツルと名前の方に滑って行く。
「名前さん受け止めてー」
「ええ!?」
口元に笑みを讃えた米屋が両腕を軽く広げて滑ってくる。どう受け止めたものか考える暇もなく、眼前に迫る米屋に名前は両腕を大きく広げた。
「ご、ごめん……」
「名前さーん」
ぼすりと名前の腕の中に着地した米屋はそのまま名前を腕の中に閉じ込めぎゅうっと抱きしめる。名前の中に米屋が収まったというより、米屋の中に名前が収まったという方が正しい。
「全然謝ることないですよ。むしろ受け止めてくれてありがとうございまーす」
「あ」
語尾を上げて名前の首筋に顔を埋める米屋の背後に立つ犬飼の顔を見て、名前は思わず声を上げた。
「いて!」
その直後、米屋の頭に容赦のないチョップが振り落とされる。
「名前さーん、こんなやつ受け止めなくていいんですよー。こうやってヒョイっと投げればいいんです」
「わあ……」
犬飼に勢い良く飛ばされた米屋は、じとりとこちらを見ていた辻の元へ猛スピードで飛んでいく。辻は滑ってきた米屋の腕を器用に掴むと、ぐるんと一回りしてよりスピードを増して米屋を犬飼へと投げた。
「二人ともおれの扱いひどくね!?」
「自業自得」
バシリと米屋を片手で受け止めた犬飼は名前に顔を向けてニコリと笑う。
「なるほどね……!?」
「いや名前さんも納得しないで!?」
楽しそうにはしゃぐ名前たちを見て加古は好奇心がむくむくと湧き上がるのを感じた。思わずブヨブヨを携えたもう一人、三輪を振り返りったが、その顔を見て加古は声をかけるのをやめた。
「…………」
黙って彼女らを見ている三輪の眉間に深いシワが刻まれている。
羨ましいなら混ざればいいのに。
ブヨブヨで遊ぶよりも面白そうなものを見てしまった加古はニヤついた顔を隠そうともせず三輪に近づく。
「三輪くん、私もあれやりたいわ」
「……陽介でやってくれ」
チラリと加古を一瞥して米屋たちの方へ歩き去る三輪の背中を見ながら、加古はとうとう笑いをこらえきれずに手を口元に当てる。
「そんなんじゃいつまで経っても名前ちゃんには伝わらないわね」
その声は、米屋の手を掴み強制的に本部へ戻ろうとする三輪には届いていなかった。
ガロプラ戦の翌日、名前は個人戦に挑もうとしていた。毎度自分でも呆れてしまうのだが、練習ブースを前にすると透明の壁があるのではないかと思うくらい障壁がある。自らランク戦に足を運んだものの尻込みしてウロウロとブースの前を行ったり来たりする、というのがランク戦前の恒例行事となっていた。
「名前さんもソロ戦ですか」
そして、こうして不審な動きをしているところを誰かに話しかけられるというのも一連の行事の中に含まれていた。
「村上くんと影浦くん」
今日はこの二人だったかと少し肩の力を抜いた名前に村上たちが歩み寄ってくる。
「名前さんがこの辺にいるの珍しいですよね」
「えーっと、そうだね……うん……」
そして、声をかけてくれた者は必ずと言っていいほど名前と対戦したがる。名前と対戦できる数少ないチャンスとでも思っているのだろう。
いつもならその気持ちに応えられるとは思えず尻込みしてしまうのだが、今日は違う。
と、そういう意気込みで来てはいる、いつも。
「おい! もごもごしてねぇではっきり喋りやがれ!」
「はいぃ!」
名前の煮えきらない態度に怒りを募らせた影浦の怒声に名前の肩がビクリと跳ねる。
「そんなに強く言わなくても」
しゅんと肩を落とした名前は、見兼ねたように名前を慰める村上に大丈夫だと言うようにふるふると首を横に振った。
「ごめん、影浦くん」
「チッ」
影浦は舌を打ち黙り込んでしまった。マスクを引っ張り上げる影浦と肩を落とす名前の間に挟まれた村上は短いため息を漏らす。
村上には、言葉にせずとも影浦の気持ちがわかっていた。
このまま影浦が本心を出さないつもりなら後で自身がさり気なくフォローを入れておこうと二人を見守っていると、何かが弾けたように影浦がくしゃりと頭を掻く。
「おめえがそんなんだと調子狂うんだよ」
ぽつりとこぼしたその声は投げやりなようで、ちゃんと相手を気遣っているとわかるものだった。村上はこらえきれない笑みを、口元を押さえることで留める。
「影浦くん……! 好き!!」
ふるふると感動のあまり身体を震わせる名前は影浦に向けて全力の愛を飛ばす。それは感情受信体質でない村上にもわかるほどの好意だ。
「名前さん前に荒船と戦ってましたよね。コイツが相手になりますよ」
「はあ!?」
全力で名前から距離を取る影浦を親指で指せば、名前の顔が少しずつ明るくなる。
「じゃあお願いしようかな!」
「勝手に話進めんな!」
「相手探してただろ」
そう言って片頬を上げる村上を、憎々しげに歯をむき出た影浦がギロリと睨みつける。
「えっと、じゃあ失礼します」
「っ……!」
試合前、確認したいことがあるからとブースの前に立たされた影浦は今、名前に身体を触られている。両肩から肘まで両手でなぞられ、手が離れたかと思えば胸板に名前の小さな手が添えられる。自らの心臓の音が聞こえてしまいそうな距離にいる名前のつむじを見つめながら、じっと耐えていたが、名前の手がゆっくりと腹に降りてきたこそばゆい感触に、ごくりと喉を鳴らした。
「あの、何してるんですか」
理解が追いつかないのか、照れと驚きが入り混じった非常に貴重な顔のまま銅像と化してしまった影浦の代わりに村上が口を開いた。それを合図に名前の手が影浦から離れる。
「一端の男確認だよ」
「一端の男?」
「そう。年下でも、ちゃんと立派な男性だって分かれば私も全力で戦えるっていう最近の私の持論」
「へぇ……」
名前の答えを聞いて影浦がピクリと眉を上げる。反応だけは素直な親友にバレないように笑みをこぼし、各々のブースに入っていく二人を見送る。
影浦も名前も、各々事情は違えど実力相当の個人ポイントを持っていない。故に二人がどれほどの力量差なのかは実際に戦ってみないとわからない。未知数同士の戦いをリアルタイムで観られることに、村上は柄にもなく興奮していた。
名前は自分の手持ちをもう一度頭の中で整理した。アステロイドも装備しているが、マンティスを得意とする影浦相手では下手に出さない方がいいかもしれない。
攻撃手でありながら中距離も攻撃範囲である影浦相手には、中距離で攻めるよりも短距離勝負が効果的だろうか。
試合開始とともに飛び出した名前は得意の機動力で影浦の懐に飛び込む。
「はっ俺相手に近接戦かよ」
ニヤリと鋭い歯を見せた影浦がスコーピオンで応戦する。
影浦は強い。
名前より随分と背も高いし実力もある。
「っ!」
名前の振るった刃が影浦の胴を掠めた。影浦はものともせず名前に向かってスコーピオンを振りかざす。実際、痛くも痒くもない浅い傷だった。
スコーピオンを振りかざし名前の腕に触れた時、影浦は初めて彼女の顔を見た。影浦の胴から流れ出る黒いトリオンを見つめる名前にはもう、闘争心は宿っていなかった。
ぼすりとマットに身体が落ちる。
影浦の身体にくっきりと刻まれた刃の跡。そこから流れ出る黒いトリオン。弟の抉られた腹から流れ出る赤黒い血液がその残像と重なった。
ただ、その映像から抱いたのは、恐怖と絶望ではなかったことだけが救いだ。
「……」
ブースを出た名前は扉の前で待ち構えていた影浦の鋭い視線を受けた。名前は後ろ手に扉を閉めながら、人を射殺せそうなほどの目をじっと見つめ返す。
まだ戦闘が続いているのかと錯覚するほどの空気感が名前たちを包む。いつの間にか集まっていたギャラリーも声をかけられないほどの一触即発状態だったが、ただ一人名前だけがふっと表情を緩めた。
「影浦くんに一端の男感が足りなかったのかなあ?」
「はあ!?」
気の抜けたその声に、一番近くにいた村上が吹き出した。
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