I would rather die
二宮隊をあとにし、茶野隊に3人揃った5分後、宇佐美が十倉を連れて来てくれた。しかし、その顔は決して晴れやかと言えるものではなかった。
眼鏡の奥で困ったように眉尻を下げる宇佐美と目が合う。彼女の目が名前を促すように扉に向けられ、名前は僅かに目を見開いた。宇佐美が悟らせるような態度を取ることは珍しい。
「ごめん。資料取ってくるの忘れちゃって、ちょっと待っててもらっていい?」
「それなら私が……」
「大丈夫大丈夫。すぐ戻ってくるね」
「わかりました」
茶野たちは特に気に留めた様子もなく、作戦会議の続きを始めた。3人が額を寄せ合っているのを確認し、名前と宇佐美は部屋を出る。
「何かあった……?」
「ふふ、そんなに深刻なことじゃないんだけどね」
待ちきれず伺うように尋ねると、宇佐美の小さな笑い声が耳をくすぐる。
「あのね……」
そう言って語りだした宇佐美の話は、彼女が想像している以上に名前の小さな心臓には深く突き刺さった。
「うーん……確かに問題ではあるけどそんなに深刻なことでもないと思うよ」
名前は顔面蒼白で頭を抱え立ち尽くす。彼女の大げさとも思える反応に宇佐美はいつものヘラリとした笑みを向ける。
名前がここまで落ち込むのも無理はない。宇佐美の話というのは、かわいいかわいい十倉が名前のせいで悩んでいるというものだった。
名前のサイドエフェクト故に戦闘中オペレーターを頼ることは少ない。それが、彼女自身の存在意義を揺らがしているらしい。
名前がいるなら、自分はいらない存在ではないのかと。
だがそれは違う。
名前だって万能ではない。自身も戦っている分、他の隊員への注意力は散漫になる。連携が肝になるチーム戦において、オペレーターの存在は絶対に必要なのだ。名前は気配を感知できるが、茶野たちのサポートはできないのだから。名前自身も十倉がサポートをしてくれることによって、一人で戦っている時よりも戦略の幅が広がっているのは事実だ。
宇佐美はオペレーターだから十倉の気持ちに薄々気づいていたのだろう。より深い根になる前に、十倉から悩みの種を聞き出したに違いない。根を張る前に種を取り出すなら今だと。
宇佐美に預けて良かった。
名前一人だったらそれこそ深刻な事態になっていたかもしれない。
「ありがとう、栞ちゃん……」
「ううん。十倉ちゃんは私にとっても可愛い後輩ちゃんだからね。まずはご飯でも食べて名前さんも元気な顔を取り戻してよ」
「そうだね。こんな顔じゃみんなも心配しちゃう」
名前も宇佐美のようにヘラリと笑って顔を見合わせる。
全て順調とはいかなくても、少しずつでも前に進んで行っている。今はそれを信じて、前を見続けることが大事なんだ。
お昼には少し遅い時間だが、食堂は人の声が入り混じり賑やかだ。
ざっと見渡せば席がぽつぽつと空いているのがわかり、その中でも比較的落ち着けそうな壁際の4人席を陣取る。
お腹をすかせた茶野たちが空っぽなお腹を押さえながら何を食べようかと食券売場に向かう。その後ろ姿を追いかけようとした時、前方からよく見知った顔がトレーを持って歩いてくるのが見えた。
「王子くん今お昼?」
「はい。ミャンヌも今からなんですね。よかったらご一緒しませんか?」
「あーごめん。今から茶野隊の子たちと軽く次の試合のこと話し合う予定だから。」
「なるほど。そういえば彼らも見かけましたね」
王子はちらりと背後に目をやる。その視線の先には、遠目から興味深げに名前たちを見つめる茶野たちの姿がある。
「うん。また一緒に食べよう」
あれだけお腹をすかせていたのに足を止めてまで名前たちを見てくるものだから、もしかして王子と話してみたいのかもしれないと思い茶野たちにニコリと笑いかける。すると茶野は一瞬慌てたように目を丸くし、3人はそそくさと食券を買いに行ってしまった。あれ、違ったか?
「というか、いいニオイだね」
王子のトレーからはバターを惜しみなく使ったトロトロたまごとケチャップが合わさったオムライスの匂いが漂ってくる。王子の好きな優しい家庭的なバター風味のオムレツに似た匂い。意外にも高級感ある複雑な味ではなく、シンプルで優しい風味のものが好きなことを知っている。
名前もお腹が空いているので、気を緩めるとぐうぐうと腹から元気な音が響いてしまいそうだ。
「ミャンヌは何を食べるんですか?」
ニコリと爽やかな笑みを称える彼の手元から目が離せない。
「オムライス……」
王子と別れオムライスを買った名前は食欲をそそる香りが漂うトレーを持って3人が待つ席へと戻る。
「ごめんね、おまたせ」
「いえ大丈夫です」
「じゃあ食べましょう」
「いただきます」
4人で手を合わせてオムライスを一口すくう。
「ん〜美味しい〜」
バターたっぷりの滑らかな卵とケチャップライスが合わさってとても美味しい。名前は思わず頬に手を当てる。
「それ、王子先輩と同じですね」
目の前に座る藤沢がそう尋ねると、茶野と十倉の視線も一気に名前に向く。
「うん。王子くんの見てたら食べたくなっちゃって」
へへへと笑うと3人は半笑いのような微妙な表情を浮かべて、へぇ、と含みを持たせた返事をした。やはり王子に興味があるのだろうか。3人の珍しい反応に、名前も思わずオムライスを口に運ぶ手を止める。
「あの、」
スプーンを持ったまま3人の顔をなんとなく見渡していると、隣に座る十倉が半分ほど減ったサラダをトレーに置き、意を決したというように口を開く。
「ミャンヌって、なんですか」
あまりにも真剣に、かつ何か期待を込めた眼差しがキラキラと注がれる。ミャンヌ、今では聞き慣れてしまったその呼び名も、最初は少し恥ずかしかった。ただ、彼からのあだ名は何か特別な気がして、嫌いではない。
「変なあだ名だよね」
ミャンヌという愛称をつけられた時のことを思い出し、名前の口からは思わず笑みが溢れる。
それは、ソロで動いていた名前が、王子隊と行動をともにし始めた頃だった。
「王子くんって独特なあだ名つけるよね。お気に入りのあだ名とかあるの?」
「お気に入りですか……そういうのは特にないですが」
「俺のカシオなんてそのままですよ」
「確かに言われてみればそうだね。ねえ、私にあだ名つけるならどんなあだ名になるの?」
それは防衛任務後に休憩がてら食堂で軽くご飯を食べている時だった。
思い返せば名前自身は名前を呼ばれたことがないような気がして、それがちょっと気にかかっていた。もう数回一緒に防衛任務をしているのに名前を呼ばれたことがないなんて、もしかして王子は名前の名前を覚えていないのではないかと疑いを持っている。防衛任務で行動をともにすることが多くなった王子たちとの他愛もない会話を装い、鎌をかけてみたのだ。
当の本人は、顎に手を当ていつもの爽やかな微笑をその整った口元にたたえる。
「王子は年上にはあだ名をつけませんよ」
蔵内の一言に名前は僅かに焦りを覚え、思わず口を開く。
「もしつけるなら、でもいいよ」
「あだ名は私も気になるわ」
橘高の思わぬ助け舟にほっと胸をなでおろす。いや、別に知らないなら知らないでもいいんだけど。なんとなく気になっただけで。
ちらりと蔵内の視線を受けた王子はゆっくりと目を瞑り、ふふ、と珍しく声を出して笑った。
「実はもう決まっています」
「え」
名前を覚えられていないと高をくくっていた名前は、予想外の答えに素っ頓狂な声を上げる。それが面白かったのか、王子は目を細めて名前を見た。樫尾も蔵内も橘高も、食堂にいる誰しもが口を閉じ王子の声を聞き逃さんと静まったように感じた。
「ミャンヌ」
堂々とした彼の済声が名前の胸にすっと入ってくる。
ただ、そのキレイな響きが名前には似合わないような気がして、気恥ずかしさを感じる。
「ミャンヌですか! なんとなく、わかるような気がします」
樫尾の声で、食堂を賑わす人々の声が名前の耳に戻る。
「その名の由来は?」
年上である名前のあだ名を意外に思ったのか、蔵内が王子に疑問をぶつける。確かに、鏡宮のミヤから取ったと思われるが、その由来をちゃんと彼の口から聞いてみたい。
なんとも言えない喜びを胸に秘めて名前も王子に視線を送ると、彼の真っ直ぐな瞳と視線が絡み合った。
「サイドエフェクトで敵を感知し、勇ましく戦う姿はさながら神の声を聞いたジャンヌ・ダルクそのものだよね」
そうか、ジャンヌとミヤをかけてミャンヌ……。
「って、ジャンヌ・ダルク!?」
「名前、ひとりでうるさいよ」
橘高に注意をされても衝撃は抑えられるものではない。
「意外にしっかりした理由だな」
「鏡宮さんにぴったりですね!」
いやいやいや、私のどこをどう見たらジャンヌ・ダルクの勇姿なんて想像できるの。弱点に怯えて逃げている名前と幼い少女にして勇ましく戦うジャンヌ・ダルクは、全くもって紐付かない。
「なんか、勿体ないあだ名だね……」
思わず弱々しい笑みが溢れる。嬉しくて心が弾むなんてことはなく、名前の肩にそのあだ名が重くのしかかる。
「そうですか? ミャンヌ、ぼくはこのあだ名が一番お気に入りです」
そう言って微笑んだ王子の顔が、その名に相応しくチカチカと瞬いて見えた。
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