Advance bravely.
風間との一戦以降、名前は度々個人戦に顔を出すようになった。
それは小さな一歩だったが、名前にとっても、そして彼女を取り巻く周囲の人間にとっても大きな変化だった。
「名前さ〜ん!」
「あ、米屋くん」
名前は今日も個人戦のブース前でへっぴり腰になりながら右往左往していた。
「名前さんと会えるなんてツイてんなあ。個人戦やりましょうよ」
「え、あ……」
彼の言うとおり、名前は個人戦の相手を探していた。にも関わらず、名前の返事は曖昧で煮えきらないものだった。
名前の反応に疑問を抱いた米屋は名前を見つめたままこてんと首を傾げる。
どうしよう。あれから何回かブースに入ったけど同い年か年上ばっかりで、まだ年下と戦う覚悟はない。ましてや男の子なんて……。
名前は目の前の米屋をちらりと見やる。
彼の双眸と視線が合い、ニコリと口元に笑みが浮かんだのを見て、サッと血の気が引いた。
まだ、無理だ。
この子に刃を向けるなんて、無理だ。
「ごめんなさい!」
「あ」
逃げるようにその場を去る名前の背中を見ながら米屋は苦笑を漏らす。
「な〜んか俺って断られてばっか」
その呟きは誰に聞かれるでもなく喧騒の中に消えていった。
逃げてきてしまった……。
名前は角を曲がったところで壁に手をつき息を整える。米屋には申し訳ないことをしたが、今この状態で戦うよりはマシだと信じたい。
ふう、と息をついたところで肩を叩かれ、ビクリと大げさなほど身体が揺れる。
「名前さんごめんなさい。驚かせてしまいました」
「熊谷ちゃん……こっちこそごめんね。ボーッとしてたから」
「名前さんの姿が見えて声かけたんですけど聞こえてなかったみたいで。名前さん個人戦ですか?」
「そのつもりなんだけど、今、米屋くんから逃げてきたところ……」
「ああ……」
何かを察してくれたのか、熊谷は遠い目をブースの方に向けた。ごめん、米屋くん。
「ちなみに、あたしも今誘ったら断られますか」
熊谷の好戦的で期待に満ちた眼差しが名前に突き刺さる。
傷つけたくないという思いと、熊谷の期待に応えたいという思いが天秤にかけられる。ユラユラと揺れたそれは、もう一度熊谷の瞳を見たことでがくんと片方に傾いた。
そんな目で見られて……断れるわけないだろ!
結局名前は、玲に自慢できるなあと清々しい笑顔を見せる熊谷のあとに大人しくついていくしかなかった。
一方茶野たちも各々の師匠の元で修行を積み、2、3回戦もなんとか勝ち進む。そして、4回戦でついに中位へ上がることができた。
「お疲れさま。やったね! 中位だよ!」
「お疲れさまです! ここまでこれたのも鏡宮さんのおかげです!」
「ありがとうございます!」
「いやいや、技術面を教えてくれてる犬飼くんたちと、そして何より日々鍛錬を重ねてる茶野くんたち自身の成果だよ」
茶野たちの動きがここ数戦格段に良くなっているのは確かだ。修行の成果が発揮されていることに名前は非常に満足していた。やはり犬飼たちに任せて正解だった。
戦術面においても回数を重ねるごとに成長していることがわかる。まだ名前が指示を出す場面は多いが、最初の頃の無鉄砲さはなくなってきた。
「いい調子だね。このままどんどん勝ち進もう!」
名前が声をあげると、茶野たちも嬉しそうに続く。
しかし喜んでばかりもいられない。
「次はもうちょっと自由にさせてもいいかな……」
すでに次の戦いのことを考える名前を見て、茶野たちの笑顔が強ばる。示し合わせたように顔を見合わせると、そこには到底、順風満帆とは言えないお互いの顔が並んでいた。
中位に上がったということは、その分相手も強くなるということ。さらなるステップアップを目指さなければ今後勝ち続けることは難しいだろう。
「風間さん今日もありがとうございました」
「……」
2度目の風間との戦を終えて、彼に連れられるまま休息スペースへと移動した。名前を連れてきた本人は口を開くこともなく淡々と自販機にお金を入れる。
今日の戦いも決して褒められるべきものではなかった。
相手は何もかもが名前よりも上の存在であることはわかっているのだが、いざ刃を向けると身体が拒絶反応を起こしてしまう。もはやどうすればこの弱点が克服されるのかわからなくなっている。
自分は一生懸命やっているのに。
「カフェオレでよかったか」
「え……あ、ありがとうございます!」
風間の声で思考の海から浮上する。顔を上げると、目の前には名前の好きなカフェオレが差し出されていた。
風間の手からそれを受け取り、ポケットを弄る。
「あの、お金を……」
「いいから飲め」
「はいぃ……」
ありがたやありがたや。これは天からの恵みならぬ、風間からの下賜だ。
そして、風間なりの優しさでもある。
こういうふとした優しさが最高にときめくんだよね……。
風間がコーヒーを片手に持ち、ベンチに腰掛ける。名前も倣うようにその隣に座り、どちらも口を開くことなくぼうっと視線を投げていた。
大事に両手で包み込みこんでいたまだ熱いカフェオレをすする。
「鏡宮」
シンと静まった空間に響いた自分の名に、名前は一瞬遅れて返事をする。核心をつく何かが放たれる予感もなく、それは唐突に名前を刺した。
「おまえ、あいつらに力がついたら隊を抜けるつもりだろ」
うじうじとお腹に溜まっていた膿を、腹ごと一突きされた感覚だった。"あいつら"が誰を指すのか、何の話をしてるのかすぐに理解できたのは、彼の言葉に心当たりがあったから。
危うく握り締めそうになったカフェオレを手の中で持ち直す。
「鏡宮の動きを見ていればわかる。あいつらにできるだけ経験を積ませようという戦い方をしている。自分がいなくなっても通用する戦い方をな」
淡々と事実のみを告げる風間の喋り方が、名前を非難しているようで苦しい。名前の方を見向きもしないで風間は喋り続ける。
「もちろん東さんのような立ち位置もあるにはあるが、もしおまえが東さんになろうとしているならそれは驕りだ」
その瞬間、名前は自分の顔がカッと熱くなったのがわかった。
恥ずかしい。
この人には全て見抜かれていた。過去から未来へ、すべての名前を見抜かれている。
浅はかな己の考えにただただ羞恥が募る。
冷静に考えればわかることだった。
自分が偉そうに他人を導くなどおこがましいと。
他人の言葉でようやくそれに気がつくなんて、己を見失っていたことの証明だ。
ただそれが、風間の言葉によって気がつけたことに感謝していた。他の誰でもない、裏のない言葉をぶつけてくれる風間だから。
彼の言葉ほど信頼できるものはない。
風間はちらりと横目で名前を見やる。彼女の横顔を見れば、これ以上小言を言う必要はないとわかる。
そっと名前の小さな頭に手を伸ばす。柔らかい髪が風間の指に絡みついた。
「まだ始まったばかりだ。ゆっくり考えろ」
風間の手の中で、名前が小さく頷いたのを感じた。
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