背伸びの先にあるもの
おれは決して良い彼氏とは言えない。
彼女のための時間をろくに取ってあげることもできず、久々に一緒に過ごすことができても数時間でタイムアップだ。
穏やかな日々が続きそうな時はどこかに出かけたりもできるが、今は特に暗躍に忙しく今日も合間を見て一時間だけ一人暮らしの名前の家に来ているだけ。
一週間ぶりに顔を合わせた名前はおれが靴を脱いでいる間もソワソワと落ち着きなく、お疲れさまとか何か食べるかなど忙しなく聞いてくる。
ご飯は大丈夫だよと答え1Kの廊下を通りリビングまで行くと、荷物を置く前に名前が背後からがばりと抱き着いてきた。
「よしよし」
腰に回された名前の手を優しくさすりながら床に荷物を置く。漸く解放された両手で腰に回る名前の腕を解き、名前と向かい合うように正面を向いた。
「おいで」
そのままぽすりとベッドに腰掛け両手を拡げると、嬉しそうに笑った名前が飛び込んでくる。向かい合っておれの膝の上に座り込んだ名前が、おれの脇の下に腕を回しぎゅうっと力を入れた。
「ゆういちぃ」
甘えるように頭をぐりぐりと首筋に押し付ける名前の頭を撫でながら、片手で名前の背中に手を回し抱き締める。
「一時間短い」
「ごめんなぁ」
名前は会えない期間が長く続いても全く文句を言わない。会いたいと騒いでも会えるわけではないと、そういうところは割り切ってくれている。
しかし実際に会うとこうして甘えてくるし文句も言う。
文句を全く言わないよりも言ってくれる方がいいという気持ちと、どうしようもない部分で文句を言われても困るというものすごく勝手な二つの気持ちをよく理解している名前は、俺の身勝手な感情に寄り添うように二種類の態度をうまく使い分けている。それがおれにはとても心地よくて、おれには勿体ないくらいのイイ女だと痛感することは少なくない。
おれじゃなければもっとデートにも連れて行ってあげられるだろうし一緒に過ごす時間も取れるだろうと思うけど、だからといって名前を手放す気は一切ない。それはおれを好いてくれている名前に失礼だし、おれ自身名前を手放したくないからだ。
ぎゅうっと抱き着いてくる名前に負けじとおれも名前の背中に回している腕に力を込める。
小さくて柔らかい身体の感触やずっと嗅いでいたいような甘い名前の香りを十分に堪能する。後で思い返せるように、限られた時間の中でできるだけ名前を感じ取るために小さな身体を抱く腕に力を込める。
「悠一痛い!」
抱き締める腕がタップされしぶしぶ名前を解放すると、目と鼻の先にある名前の顔は痛いと訴える声音とは裏腹に口元がニヤけている。
「名前を堪能しようと思うとつい」
たまらずおれの口角も上がった。
愛しい。
思わず出そうになるため息を喉の奥に押し込む。
できるならずっとこうして名前を感じていたいと思ってしまうけど、現実はそんなおれのささやかな願いを許してはくれない。
名前と並んでベッドに寝転んで、この1週間にあったことを報告しあって笑い合っていたら一時間なんてあっという間に過ぎていく。
帰らなければならない時間が近づいてくると、名前はおれの胸元に頭を寄せてぎゅっと抱きついてきた。おれもこの時間が終わってしまうのかと思うとつい先ほどまでの賑やかな雰囲気は鳴りを潜め、別れを惜しむようなしんみりとした空気がおれたちを包む。
「ほら! 時間だよ!」
でもそんな雰囲気はおれたちの関係には似合わなくて、名前がしんみりした空気を払拭するように身をがばりと起こす。
それでもやっぱり寂しい気持ちは隠せなくて、立ち上がったおれに真正面からぴとりとくっついて顔を見上げる名前の瞳は水面のように揺らめいて見える。
「次会えそうな時あったらまた連絡するから」
「ん」
見上げたままの名前の唇に軽くキスを落とした。すると名前は口角を上げておれの胸に顔を埋める。
未だに付き合いたてのように甘えてくる名前に呆れることなんてなくて、むしろこのかわいい生き物を一生離したくないとすら思ってしまうおれも相当だ。
最後にもっと名前のかわいい反応が見くて、おれは名前の肩を掴み引き剥がす。
不思議そうに見上げてくる名前に、口角を上げながら人差し指で自分の唇を指し示すと、その意味を理解した名前は嬉しそうにおれの肩に手を置いて背伸びした。
しかし名前の唇がおれの唇に届くことはない。
おれが屈まなければ名前の背伸びくらいじゃキスできないこの身長差すら愛おしい。
「もう!」
意地悪をしたことに気づいた名前が頬を膨らませておれの胸をぽかりと叩く。
「ごめんごめん。よしよし」
怒ったところもかわいいと、怒らせた本人がニヤついてしまうあたりおれは結構性格が悪い。
名前の頭を胸に引き寄せ押さえつけるように撫でれば、名前はうぅーと猫のように小さく唸りながらもされるがまま素直に撫でさせてくれる。
意地悪ばかり続けていて本気で嫌われてもイヤなので、名前の両頬を両手で軽く挟み上向かせる。名前の色づいた唇にキスを落とそうとしたところで、今度は名前がプイと顔を背けた。
「あっ」
「ふふん」
両頬を挟まれたままの名前はいたずらが成功した子どものように得意げに笑う。視えてなかった未来にほんのり顔が熱くなる。
何それかわいすぎて反則でしょ。
ニヤつきを抑えきれないまま名前の両頬をぐりぐりと回す。
「名前もやるようになったね」
「全部迅にやられたことだもん。迅のせいだからね」
こんなにかわいいことをしてくれるならこれからも懲りずに意地悪しちゃうけどいいよね?
これ以上は抑えきれないと、がっと口を開いて名前の柔らかい唇に噛みつく。
心の中で自分の性格の悪さを正当化しながら、名前が苦しいと訴えるまでその甘い蜜を貪った。
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