火を付け、油を注ぐ
「能京だ!」
「チュース! 控室ご案内します!」
奏和は思っていたよりも運動部らしい元気さと丁重さで出迎えてくれた。やはりこのへんの教育は強豪校ゆえしっかりしているのかもしれない。体育館からしてうちとは雲泥の差だもんなあと思いながら名前は少し遅れて体育館へ入る。
「こんにちは〜」
小走りで列の最後尾に追いつき、よいしょと言いながら肩に担ぐクーラーボックスを持ち直す。
「王城さんか! 細いな」
「なんだあの頭……」
「すごいデカいのもいるな」
「あ!? あれって"不倒"の!?」
「最後尾にいる人ってもしかして……!」
「世界組のマネージャーをしてたっていう例の人か!」
あちらこちらでザワザワと囁きあっている声が聞こえる。それはしっかり、能京部員たちの耳にも届いていた。
王城や井浦、水澄や伊達ら先輩たちは口々に囁かれる名前に対する反応には慣れているというように颯爽と歩く。
しかし、1年生たちにとっては、衝撃が強かった。
「世界組のマネージャー!?」
「初耳だぞ……!」
驚いて取り乱す畦道と宵越が列の真ん中からはみ出して最後尾の名前に視線を送る。
「あれ……言ってなかったっけ?」
名前は何でもないというようにあははと笑みを零す。
「おい、その話は後だ」
井浦に制され、2人はぐっと押し黙る。宵越にいたってはいろいろ言いたいことがあるらしく口をもごもごと動かしていた。
「来たか強敵よ」
「あ、久しぶり六弦! 今日はよろしく!」
前から現れた六弦に王城が歩み寄る。2人が向かい合うと、ピリッと空気が変わった。この場にいる者は固唾を飲んで世界組の再会を見守る。
名前は、2人の再会を少し離れた場所から睨みつけるように見つめていた。
パンッと乾いた音を立てて、王城が差し出した手を六弦が払う。
「ケガで休養とは情けないな。自己管理もならん奴が部長ではチームもかわいそうだ。名前がついていながら……。名前も気が緩んでいるのではないか」
ニコニコと笑みを貼り付けて六弦の話を聞いていた王城だが、名前の話が出た瞬間に顔色が変わった。ギロリと睨みつけるように目を細める。
「名前のことを悪く言うのは許さないよ……」
しかしそれも一瞬のことで、すぐに元の笑顔に戻る。
「それにウチのチームは出来るコが多くてね。偉そうに激を飛ばさなくてもサボったりしないから」
2人はバチバチと火花を散らしながらそのまま後輩自慢を続ける。話が脱線していく2人を見て、他の部員たちは呆れたように肩の力を抜く。
しかし名前は顔を俯かせ、ぐっと拳を握った。
私がついていながら……。
「おい、名前」
名前を呼ばれ顔を上げると、目の前に六弦が立っていた。いつの間にか話し終えたようだ。
「どうした、王城の相手は疲れたか」
久しぶりの挨拶もなしに真顔でそんなことを聞くものだから、名前は思わず苦笑する。変わらない六弦に安堵しながら、ゆっくりと口を開いた。
「まあそうだねえ、疲れるよ」
「え」
名前の答えを聞いた王城は世界の終わりを見たかのような表情を浮かべる。
「でもね、毎日すっごく楽しい。サポートのしがいもあるし」
ニッと笑って20cm以上も上にある六弦の顔を見上げる。名前の好戦的な目を見て、六弦がフッと笑った。
「名前好き……」
「もういいって……!」
六弦と別れてから控室に行くまでの間、王城は名前の言葉を思い返しては感動に浸っていた。だんだん言った本人も恥ずかしくなってくる。
そうこうしているうちに控室に到着したようだ。
ここまで先導してくれた奏和の選手が扉を開く。
「いらっしゃいませー!!」
扉を開けた瞬間、待っていたかのようにどこかで見た顔の選手が能京一行を出迎える。
「たっ……高谷先輩!?」
奏和の選手の声でその人物が奏和のエース、高谷煉だということを思い出した。
能京に流れる固い雰囲気なんて意に介さず、彼は陽気にペラペラと喋り続ける。そして、王城を見つけた途端声のトーンを高くした。名前は嫌な予感に駆られ、ごくりと唾を飲み込む。
「あなた王城さん!? オレあんたと勝負したくて早起きしたの!」
「悪いけど僕今日は……」
「大丈夫! 安心してください! 前半大差つけて引きずり出すんで!」
あー言っちゃったよ。
うちの闘争心を煽って本気で勝負しようぜってことなのかな。名前は冷静にそんなことを考えていたが、内心ブチッと何かがキレる音がした。
自分を落ち着かせるために、はあと大きく息を吐く。冷静になれ。選手を支えるのは私なんだから。
部員たちも明らかに目が座っている。
その様子を横目にクーラーボックスを控室の端に置いた時、背後から、あーー!!と大きな声をかけられてびくりと肩を揺らす。
「名字名前さん!?」
「え、そうですけど……」
振り向くと目をキラキラと輝かせて笑顔を浮かべる高谷と視線が合った。その様子はまるでおもちゃ屋の前に張り付く子どものようだ。完全に虚をつかれた名前はイラついていたことすら忘れてしまい、ぽかんと高谷を見返す。
「ははーん、六弦さんが頑なに話さないわけだなあ。噂以上にかわいいじゃん!!」
ぐっと距離を縮められて思わず後ずさる。
この子考えなしなのか!?
名前は目の前の男をどう対処するかに頭を巡らせるも、その男が止まる気配はない。
「なんで能京に行ったの? 六弦さんの誘いを断って王城さんについていったってホント?」
あまりの勢いにさすがの名前でもタジタジになってしまう。しかも話題が話題だ。冷静になんてなれなかった。ただただ焦って、言葉すら出てこない。
高谷の顔が眼前まで迫ってきたその時。
「おい、あんまり調子乗んなよ」
ドスの聞いた声で高谷を制したのは宵越だった。
名前と高谷の間に手を滑り込ませて高谷を遠ざける。相変わらず目が座っているし身長もそれなりにあるから、こうして凄んでみせるとなかなか迫力がある。
「怒らせちゃった? ただ気になっただけなのに〜」
何の悪びれる様子もない高谷は残念と言い残して控室を出て行った。
残された私たちは静寂に包まれる。
よく見ると宵越の後ろでは、王城が獣じみた目を高谷が出ていった扉に向けている。フーッっと荒い息を吐いていてまるで威嚇している獣のようだ。
あーあ、宵越くん完全に頭にきてるし正人まで臨戦態勢に入ってるよ。
名前は本日二度目のため息を吐き、微かに口角を上げた。
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