望蜀



合宿最終日、総締めとして3校練習試合を行う。連日のハードな練習に身体が悲鳴を上げていたが、高揚によるアドレナリンが各選手の疲労を吹き飛ばしていた。白熱の末怪我をする選手も少なくない状況で、名前はその手当に古今東西走り回る。

「名字さん! 次、若菜さんお願いします」
試合の余韻に浸る間もなく手当や記録にあたり、滴り落ちる汗を、首に巻いたタオルで乱暴に拭う。英峰ベンチに目を向けると、不自然に足を伸ばした若菜の姿が目に入った。緩急をつけた若菜の動きは足に負担がかかる。酷使により足をつってしまったのだろう。ベンチに腰掛けた若菜の靴を脱がせてマッサージを行う。
「疲労溜まってるね……」
いつまた攣ってもおかしくない状態だ。それがわかっているのか、若菜は歯を食いしばった。この程度でくたばってたまるかと、その顔にはっきりと書いている。膝の上に若菜の足を乗せて、しなやかな脹脛や足裏を親指で強く撫でる。男の子にしては小さな身体で、目一杯全身を使って英峰のレギュラーとして活躍しているのだと思うと、ぐっと胸が締め付けられる思いだ。倒さなければいけない相手だが、応援したい気持ちにさせられる。

「次は勝つ」
若菜が靴を履いているのをじっと見ながら、自然と零していた。それは相手に聞かせるというより、自分に向けた言葉だった。若菜は目を丸くして名前を見上げる。にやりと笑ったかと思うとすっと立ち上がり、名前を真正面から見据える。
「次も、勝つ」
力強い声に、力強い笑顔。若菜の真っ直ぐなカバディへの気持ちと、純粋な勝負への心に当てられて、名前もにこりと笑顔を返した。

選手たちを見ていると思う。こうして戦っている者は誰一人として手を抜いていない。血の滲むような努力を積み重ねている。夢を叶えるのは並の努力では叶わないと痛感してしまう。揺れている場合ではないと、嫌でもわかってしまう。



合宿の全工程が終わり、皆で掃除をして施設を出る。
「名字さん、この一週間ありがとうございました」
英国紳士のような所作が板についている八代に深々と頭を下げられ、ぎょっとして顔の前で手をぶんぶんと振った。この扱いは何回接しても慣れない。
「いやいや! 力になれたのなら私も嬉しいです」
「神畑くんが貴方を認めている理由がよくわかりました。名字さんを能京に帰してしまうのが惜しいくらいですよ」
くすりと笑ったその顔があまりにも妖艶で思わず頬を染めてしまう。八代の相手をしていると英国淑女になったような気分になってしまう。
「名前ちゃんまた会おうね」
「はい、また大会で」
「そういうことじゃないんだけどな〜」
いつもの気怠そうな顔でニヤニヤと笑う君嶋に首を傾げる。

「名前さーん!」
君嶋に頭を撫でられていると聞き覚えのある声が私を呼んだ。中学の時から知っているその声に反射的に振り返る。
「ヒロー!」
人懐っこい笑顔で走り寄ってくる右藤に大きく手を振った。駆け寄ってくる姿が大きな犬みたいでかわいい。
「久々に名前さんと話せて楽しかったです! 今度はウチの学校来てくださいよ。出張で!」
「残念ながらウチは出張サービスは行っておりませーん」
右藤に遅れてやって来た佐倉に目をやると、名前たちの冗談を笑顔で聞いている。
「佐倉くんも元気でね。会うたびに強くなってるから、次会う時が楽しみだよ」
「こちらこそ、一週間ありがとうございました。名字さんにそう言ってもらえて嬉しいです」
「もう追いかけるだけの佐倉くんじゃないでしょ」
若菜が見せてくれたような、挑戦的な笑みを浮かべると、佐倉の眉がキリッと上がった。
「はい」
力強く頷いた彼は、1週間前とは別人のようだ。


漸く全員との挨拶を終えた名前は施設を振り返る。長いようで短い一週間が終わった。ここで得たものは当初予想していたよりも大きかったと言えるだろう。能京にとっても、名前にとっても。

「名字さん」
「はい」
感傷に浸っているとすぐ背後から顧問に声をかけられた。きっと顧問も各校への挨拶が終わったのだろう。
「もう降りるから、名字さんも車に乗ってくれるか」
予想通りの催促に、名前は用意していた台詞を口に出す。
「いいえ。私も電車で帰ります。荷物はちゃんと学校まで取りに行きますので」
「それだと駅から学校まで行く分、二度手間になるけど、いいのか?」
「いいんてす。皆と帰りたいので」
落ち着いた表情できっぱりと言い張るのを見て、顧問は首を縦に振った。
「分かった。気をつけて帰るんだよ」
「はい。一週間ありがとうございました」
しっかりと顧問に頭を下げ、すっかり帰り支度を済ませていた能京の皆と合流する。
「いいのか名前、結構キツイと思うぞ」
「大丈夫」
にこやかな名前を見て、井浦は口を噤むしかない。

真夏の下山は思っていたとおりしんどいものだった。登りよりも降りの方が脚にくるというのは本当のことで、平坦の地に立っているだけで膝が笑っている。

能京以外誰も乗っていない電車のボックス席に、名前は息をつきながら座った。目の前に既に座っていた王城は目を丸くして名前を凝視する。隣や後ろのボックス席で水澄や人見らがザワついているのが感じ取れる。

名前は目を瞑った。
子供じみたイタズラをしているようで、心の中でクスクスと笑う。ゆっくりと目を開けると、視線だけ窓の外に投げて、口をキツく閉じた王城が背筋をピンと伸ばして座っている。手は膝の上で固く握られ、全体的にそわそわと落ち着きがなく、変な汗でもかいていそうだ。あまりにも挙動不審で思わず笑ってしまう。名前が吹き出したのを見て、王城は目を丸くした。
「ごめんごめん」
手の甲を口元に当てて笑いを堪える。漫画のように大袈裟に焦る王城を見ていると、逆に落ち着いてきた。自分よりも焦っている人を見ると逆に冷静になってくるあの現象だろう。
「頭の怪我、痛んでない?」
「あ、うん……大丈夫」

王城は埼玉紅葉との試合で額に怪我をした。すぐに血は止まったものの、擦ってできた傷なので赤くなっていて痛々しかった。数日はヒリヒリとした痛みがあるだろうが、王城は巻かれた包帯に手を当ててケロリとしている。

こうして王城と話すのは随分と久しぶりのような気がした。実際は、ギクシャクしていたのはたったの数日なのだが、王城と離れるとこんなにも物足りなくて、自分の真ん中にぽっかりと穴が開いたような気分になることを知るには、十分すぎる時間だった。
最初は横目にちらちらとこちらを見ていた部員たちも、疲労から今はぐっすりと眠っている。目の前で安らかな寝息を立てる最愛の人を眺めながら、名前は静かに微笑んだ。





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