甘い果実に手を伸ばす



翌日、なぜか名前の噂は正しい情報へと変えられていた。

『名字名前は部活後に後輩のマッサージをしている』

しかも名前のマッサージが上手いという補足までついて。誰が正しい情報を流したのかはわからないが、ここまで詳しい情報を知っているのはカバディ部しか考えられないし、その中でも情報操作が得意な人間は限られてくる……。

こうして名前を取り巻く事件は静かに終息へと向かっていった。



「それにしても人見ちゃんにマッサージしてたのがそんな噂になってたなんて」

今回の噂の相手が人見だったと聞いて、王城は一瞬眉をひそめたがそれだけに留めた。そんな彼の様子に名前は一度安堵したのだが、その落ち着いた態度が逆に不気味に思うのは考え過ぎだろうか。

「すみません……僕のせいで」
「いやいや人見ちゃんは謝らなくていいよ。元はといえば、目のやり場に困るから部室でやってくれって言い出した宵越くんのせいだし」
「はあ!? 俺のせいかよ! それに……そんなこと言ってねぇし!」
「いーや、なんかいろいろ理由をつけてたけど私にはそう聞こえたよー。そんなことないんなら今日からここでやってもいいんだけどね〜」
そう言って見上げると、宵越はぐぬぬと顔を歪めて名前を見下ろす。

「いえ、もう大丈夫です」
しかしその冷戦を止めたのは当の人見だった。
「最初の頃はマッサージをしてもらわないと翌日起き上がれないくらいだったんですけど、最近はだいぶ慣れてきたんです。ストレッチだけで大丈夫な身体になってきました」
ちょっと誇らしげに話す人見を見て名前も笑顔になる。
「そっか、わかった。また辛くなったら言ってね」
「はい! ありがとうございます!」
笑い合う名前たちの横で、危機を逃れた宵越は人知れずほっと胸を撫で下ろす。

「じゃあさ、今日のマッサージは僕にお願い」
笑顔で自分を指差しながら挙手する王城に顔を向ける。
「わかったわかった。今からする?」
「ううん、あとでいいよ」
内心では王城とどう接すればいいか心配していた名前だが、王城が今までどおりに接してくれるおかげでその心配も杞憂に終わった。
しかし、一つだけ変わったことがある。

「あとで、部屋に来て」
「……!」
すれ違いざまに耳元で囁かれる。吐息が当たり、ゾワリと背筋が泡立った。
スキンシップが前よりもあからさまになった、気がする。
こんなことを言うのは彼に失礼かもしれないけど、前までのスキンシップは小さい子の戯れのような雰囲気だった。かわいいとすら思えるほど。しかし昨日の騒動があってからは彼にどこか色気を感じる。まるで恋人のような。
普段は変わらないのに、ふとした時に見せる表情や行動に"男性"を感じるのだ。
名前が意識しすぎているだけなのか、彼の態度そのものも変わっているのか。

正人も正人だけど、私も私だよね……。

ため息混じりに独りごち、赤くなった顔を隠すように片付けを始めるのだった。





*





名前は約束通り王城の部屋に来ていた。部屋の隅にちょこんと座る姿はさながら拾われた子猫のようだ。
「どうしてそんなところにいるの?」
「いや……なんとなく……」
何回も来たことのある部屋だがここまで居心地の悪さを感じたことはない。
名前は声を掛けられようやく、すすすとできるだけ平静を装って王城に近づく。

「さ、今日はどこの調子が悪うございますか」
こうなったら徹底的に仕事モードに入ろうと名前は営業スマイルを浮かべる。心を無にして、マッサージ以外は何も考えない。きっとそれが一番。
「脚お願い」
そう言って王城は素直にうつ伏せで寝転んだ。

「かしこまりました〜」
名前は営業スマイルを貼り付けたまま王城の脚に触れる。しかしすぐにその笑みは消えた。
ここ最近の練習は王城の疲労を貯めるものだとは思っていたが、案の定彼の脚は悲鳴を上げていた。来る日も来る日もろくな休み無しで攻撃し続けているのだ。こんなに疲労が溜まるまで放置してしまっていた自分に嫌気がさす。

王城が避けていようが無理にでもマッサージするべきだった。また同じことを繰り返す気か。
名前は王城の脚をゆっくりと丁寧にマッサージする。王城が気持ちいいと感じる力加減で、ゆっくりと。

「はあ〜気持ちいい〜」
トロンとした声音で彼が息を吐き出す。
「それはよろしゅうございました」
今にも眠りそうな王城を見ながら笑みをこぼす。
まだ遅いなんてことはない。この段階で彼の体調に気づけただけでも良かった。もう二度と、彼の悲しい顔は見たくないから。


「はい、終わり」
「うん……ありがとう……」
マッサージが終わり、王城は緩慢な動作で起き上がる。そのまま上目遣いで名前を見上げ、大きな瞳が名前を捉える。
どくりと心臓が跳ね、名前は瞬時に身構えた。マッサージに夢中で忘れていたが、ここは王城の部屋なのだ。
部屋に誘われた時から何かしらあるとは思っていた。それが謝罪なのかはたまた愛情表現なのかはわからないが、昨日の今日なのでただで終わるとは思っていない。

そして名前も僅かに期待している自分を否めない。
完全に王城のペースに乗せられていることを自覚していながら抗おうとしないあたり、もうこの感情を見て見ぬふりもできない。

でも、付き合ってもいないのに、こんなことしていいの?

名前の心がまたちくりと痛む。

「そんなに固くならないでよ。もうあんなことしないから……」
王城の手が肩に置かれて、自分で思っているよりも緊張していることがわかる。それが、意識していることを示しているようで妙に恥ずかしかった。

「ここ、隠さなかったんだね」
薄く笑う彼に指されたのは昨日キスされた首筋。そこには王城のものだという、どこか子どもっぽい証が刻まれている。こんなものをつけなくたって名前はもうすっかり王城に囚われているし、周囲もそれを認めている。それでも、鏡に写る自分の姿を見るたびにチラつくそれがくすぐったくて、顔が熱くなるのだ。自分でつけた印を愛でるように指の腹で優しく撫でる王城は、目を細め満足気だ。
「絆創膏とかで隠す方が恥ずかしいよ」
首筋を触られるのがくすぐったくて顔を背ける。それでも、じっと注がれる王城の視線が落ち着かない。

「こっち向いて」
懇願するように囁かれた言葉とともに手で顔を挟まれて強制的に視線を合わせられた。王城の顔は蕩けきり恍惚感に満ちている。
「はあ……かわいい……」
呼吸のように囁かれた言葉に顔が熱くなる。ドクドクと激しく脈打つ鼓動が耳の中にまで伝わって、まるで耳の中に心臓があるみたいだ。王城の言葉ひとつひとつがくすぐったくて……。

「もう……無理……!」
じっとしていることにも我慢の限界が来た。
大声を出した名前は彼を突き飛ばし距離を取る。心臓がバクバクとうるさく、顔も沸騰しそうなくらい熱い。向き合っているだけでも恥ずかしくて死にそうなのに、王城は平気なのだろうか。

「名前〜突き飛ばすなんてひどい……。でもかわいい」
語尾にハートでもついていそうな口調の王城はにこにこと名前を眺める。
「かわいすぎて……食べちゃいたい」
王城の目がすっと細められ、ペロリと舌なめずりしたことに名前は気づかない。


俯く名前の顔は、食べ頃のリンゴのように真っ赤に染まっていた。




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