門を叩く
練習試合から数日が経ったある日の昼休み。トイレから教室に戻ってきた王城は名前の机の上を見て不思議に思う。
名前が授業の後片付けもしないで机を離れるなんて珍しい。教室内を見渡しても名前の姿はない。
「ねえ、名前がどこに行ったか知ってる?」
教科書を片付けていたクラスメイトにそう尋ねると、答えはすぐに返ってきた。
「ああ、名字さんなら小太りの男に呼ばれて教室を出てっ……「それ何分前の話?」
「えっ、と……3分前くらいかな……」
答えを聞いた途端、王城はクラスメイトに詰め寄る。そのクラスメイトも思わずたじろいでしまうほどの迫力だ。
「どっちの方に行ったかわかるかい?」
「たぶん、非常階段の方……?」
「わかった。ありがとう」
聞き出すだけ聞き出して王城は教室を飛び出す。残されたクラスメイトは唖然とした様子で、切羽詰まったその背中を見送るしかない。
王城もあんな顔するんだ……。
いつものふんわりと穏やかな彼とは違う一面を見て驚きを隠せないクラスメイトであった。
3年生になってからは減ってきてたんだけどな……。
王城は2年前を思い出し苦い顔をする。
1年生の頃、案の定というべきか名前は男子生徒の間で話題に上がることが多々あった。その時期の王城は名前の知らないところで名前の周りに近づく者を威嚇していたものだ。もちろん、穏やかかつ円滑に。
名前と仲の良い男の存在、つまり王城の存在が知られ始め名前に想いを寄せる者は減ったが、未だに玉砕覚悟で告白する者がいるし、何も知らない後輩が想いを告げることもある。
まさか名前が告白を受けるはずもないが、王城は名前に悪い虫がつかないかと気が気じゃない。
ついこの間の奏和戦で、名前が自分の支えであり弱点であることを改めて思い知ったのに、この想いを止めることはやはりできない。
自重しようって思うんだけどなあ……。
王城は顔を歪めながらも足を速める。
「名前!」
「あれ正人、そんなに急いでどうしたの?」
名前の姿を見つけた王城はすぐさま駆け寄る。名前は見るからに上機嫌な様子で一人廊下を歩いていた。王城の胸の内にまた黒い感情が湧き上がる。
「また呼び出されたんだって……?」
「呼び出し……? ああ、正人の思うようなことじゃないよ」
王城の切羽詰まった顔を見て、何を考えているのかを察する。しかし今はそんなこととは比べ物にならないくらい重大なニュースがあるのだ。
喜びを抑えられず名前の顔がニヤける。
「名前……顔がニヤけてるよ!? 何があったの!?」
「安心して。告白じゃないから。正人にとっても嬉しいことだよ。放課後になったらわかるから」
王城は必死だ。試合とは違い、焦りと不安で冷や汗が滲むその顔に笑顔はない。告白ではなかったと言われてもこの反応を見てしまっては俄然気になる。それでも名前はふふふと心底嬉しそうに笑うだけだった。
嫌な予感がする。
あんなに喜んでいる名前の姿を見るのは嬉しいけど、それは必ずしも僕にとっての吉報ではない。名前は良いことだと言っていたけれど、胸のざわつきは治まらない。
手早く用意を済ませて体育館へ行こうとする王城を井浦が止めた。
「そんなに急がなくても名前は逃げやしない」
「そうだけど。単純に名前の身に起こったことはすべて把握しないと気になって夜も眠れないよ」
こいつは重症だな、なんて思いながら井浦はクツクツと笑う。
ちょうど部活へ向かっていた水澄たちと合流し体育館の前まで着いた。早速扉を開けようとする王城を止めて、井浦が中を覗く。
やはりな。想定通りの光景が目に入り、井浦は扉から身体を離した。
「慶、早く入ろうよ。名前が待ってるんだから」
「名前に会わなくても見たらわかる」
井浦は親指で扉を指す。
訳知り顔の井浦を一睨みして王城は渋々体育館の中を覗いた。
「なにこれ……」
そこには予想もしていなかった光景が広がっていた。
「俺たちにも見せてくださいよ!」
王城は水澄たちに場所を譲り、井浦に説明を求める。
「まあ見てのとおり、新しい仲間が増えた」
「うそ……新入部員!?」
先程までの嫌な予感はどこかに吹き飛び、王城は目を輝かせる。そっか、だから名前があんなに嬉しそうだったのか……。
1年生たちのミニゲームが終わったタイミングで扉を開ける。
「名前……!」
「正人……!」
王城は1年生と名前を交互に見て目を輝かせ、名前に駆け寄る。なんだ、純粋に良いニュースじゃないか。深く考えすぎて嫌な予感なんてしたんだ。
「すごい! 丸い!」
「部長さ……」
王城は関のお腹にぼよんほよんと頭突きをかます。
「丸いね! 柔らかいね!」
名前も王城に便乗して関のお腹をポヨポヨと突く。
「ちょ、名字さんも……!」
関はくすぐったさや困惑でされるがままになるしかない。名前たちの楽しそうな声か体育館に響く。
ふと、王城が頭突きをやめて自分の身体を見下ろした。どうしたのかと名前も突く手を止めて王城を見る。
「名前がポヨポヨしてくれるなら僕も丸くなろうかな……」
「ならんでよろしい」
一通り戯れた後、改めて新しい仲間を紹介する名前の声を聞きながら、なんて幸せなんだろうと王城は感慨に耽った。嫌な予感だなんて疑っていたことに罪悪感を覚えるほどだ。
「この前の試合を見て入りたいって思ってくれたんだって」
自分たちのプレーが誰かの心を動かしたという事実に言いようもない感動を覚える。
特に名前はひと目見て人見を気に入った。くりくり大きな目に艷やかな唇。線の細い身体に小さな手。全ての構成部位が"かわいい"を主張している。
「人見くんすっごいかわいい!」
「えへへ……」
名前が人見に擦り寄ると、人見は顔を赤くして恥ずかしがる。それは一見かわいらしい女の子同士の戯れだ。しかしよく考えてほしい。人見は男だ。
もう一度言う。人見は、男だ。
名前が男に擦り寄っている。
やはり嫌な予感がしたんだ……!
宵越の次は人見か……!
「まあ、これは諦めるんだな」
「くっ……!」
楽しそうな名前を見て、王城は複雑そうに顔を歪めることしかできなかった。
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