イドルフリートが付き従っている船長の名前は、エルナン・コルテスという。フェルナンドとも呼ばれ、イドはたまにそちらの名を口にする。従っていると言いつつ、それは立場上の建前であり、実際二人の関係は友人と言って差し支え無いくらいには親しく良い意味で遠慮が無い仲だった。
イドは軽口で彼のことを低脳と揶揄するが、臨機応変に物事を考える姿勢はコルテスの方が秀でている。コルテスに長く従っている人間は、彼がどれほど冷静沈着で統率力が優れているか痛く理解しているだろう。部下の前では感情を崩したことはなく、まず男泣きというのをしたことがない。戦場の先頭に立つ立場であれば、少なくともそういう場面には幾度か遭遇するものだが、彼は一度として涙を見せたことがなかった。仲間が死んで周りの兵士が泣き叫ぶ中、生き残った彼らを叱咤するのが彼の役割だった。
イドルフリートはコルテスのことを昔から良く知っているし、それでいて部下としての周りとのコミュニケーションも取れているから、大体兵士たちが将軍に抱いている印象を理解している。第一に男前、そして女好き、頭が良い、強い。でも何かしら彼に対しての悪印象を述べるとしたら、固くて冷たい、というところだ。イドが隣に立つとそれも少しは和らぐのだが、もとからそういう性格のため部下に若干恐れられているところがある。イドはこれを、何とかしようとまでは思わないが、彼らの距離が少しは縮まらないものかと思考することが稀にあった。


イドたちがスペインに留まっていた時、とある民家が大声で彼の兵士を罵った。数人の兵士がイドの元へ飛んでくる勢いだったので、とんでもない剣幕だったのだろう。コルテスはその場にはおらず、近くに居たのはイドだけだったので仕方ないと重い腰を上げて民家に出向いた。たまにイドはこうして将軍の真似事をさせられることがある。部下の不始末は飼い主がやれと何度もコルテスに言っているのだが、それでも損な役回りが回ってくることは少なくない。

「お前の所の兵士が私の鶏を数羽盗んだのだ!」

いかにも気難しそうな初老の男は、イドの姿を見るなり怒鳴った。この家の主人らしい。彼の後ろに居る三人の息子たちはイドの金髪を不思議そうに眺め、野次を混ぜてからかった。お前の統率力の無さは国譲りだな!とでも言いたげである。実際口に出して罵られたりもした。イドの普段の性格を嫌と言うほど知っている部下たちは、いつ彼が腰の剣を抜くのかと眼前のやり取りにハラハラと見守っていたが、ついに最後まで彼は男に口答えすることは無かった。深々と頭を下げ、数羽の鶏分の金を謝罪に上乗せして男の手に渡すと、そのまま引き返した。

「イドらしくねえな…」

兵士の一人がそう呟き、周りも同意した。兵士たちとしては、民家も裕福であり、鶏数羽居なくなったところで損も何も無いだろうと思っていたのだ。そんなことよりも彼らのイドに対する口汚い罵倒の方が理不尽だった。説教が度を越して憂さ晴らしに変わり、よくあれで彼が言い返さないのか不思議なくらいだ。しかもそれに加えて余分な金まで出させている。盗んだ兵士も悪いかもしれないが、あんな家盗まれて当然なのだ。
兵士がそうイドに訴えると、彼は少し疲れた顔で笑った。

「私の役目はあれで良いんだよ」

「だけどよ…」

「そう呑気に言っていられるのも今のうちだ。覚悟したまえ。明日雷が落ちるぞ」

彼の忠告は正にその通りだった。


件の話を耳にしたコルテスは即刻兵士たちの前に姿を現して全員をかき集めた。昨日の一連のやり取りを見ていた彼らはこれから何が起こるか予想は出来ていたが、コルテスの怒り具合はそれを遥かに凌駕していた。彼は鶏を盗んだという兵士を目の前に引っ張り出し、酷い剣幕で怒鳴った。

「光輝あるスペイン軍が掠奪など恥ずかしいと思わないのか。断じて許される行為ではない、死刑だ」

これには兵士たちも目を剥いた。盗みをして死刑など聞いたことがない。鶏数羽と人間の命なんて秤に乗せるまでもないはずなのだ。まさかそこまで事が大きくなっているということに漸く気づいた犯人である兵士は泣いて懇願し、どうにか許しを得ようと訴えたがコルテスは全く聞く耳を持たなかった。首を出せと命令するだけだ。兵士たちはコルテスが全員を此処に呼んだ理由を理解した。二度とこんなことが起こらないように、または少しの不正行為も認められないと思い知らせるために見せしめにするのだ。国として公開処刑する場面を幾度か目にしたことは誰にだってあるが此方の方がよっぽど目に堪える。元からこの軍は新大陸を我が物にしたいという野心家の集まりで出来たものだったが、これからはそうはいかないと兵士たちの身に刻み付ける心算なのだろう。一人の犯罪者を犠牲にして。
未だに「嫌だ、嫌だ」と喚く兵士に、ついにコルテスは他の部下に命令を下した。「処刑は私が行うから誰かこいつを押さえていろ」その言葉に誰もが背筋を凍らせた。仲間の死なんて目前にするだけでもおぞましいのに、その返り血まで浴びろと言うのだ。コルテスの冷徹振りに誰もが脅え怯んだ。しかし彼は本気なのだ。誰も前に出ることを躊躇う状況に、コルテスは苛立ちながらも一人を指名する。

「イドルフリート」

部下の中に紛れ込んでじっと成り行きを黙視していた彼は、自分の名前を呼ばれゆっくりと顔を上げてコルテスを見つめた。そして兵士たちの横を通りすぎ、コルテスの前に立つ。その行動を誰もが不審に思った。彼は処刑人には目もくれないのだ。真っ直ぐとコルテスを見据え、何かを言いたげに口を開き、そして閉じ、片手を上げるとコルテスの剣に触れた。

「…何のマネだ」

「コルテス、頼む。こいつを見逃してやってくれ」

開口一番、イドはそう紡いだ。民家の主人にやったように、深々と頭を下げる。彼は顔を上げなかった。宙に垂れた金髪は彼の表情を隠し、背後にいる兵士たちには見えない。浮かび上がる疑問に彼らは顔を見合わせた。
普段なら、こういった部下の不正行為に罰を与えようとするのはイドの方だった。実際そう言って仲間を船にさえ上げようとしなかったことが何度もある。コルテスはそれを咎めも促しもしなかった。本来そういう役回りだと思っていたが、現に今イドは頭を下げている。あのプライドが異常に高い彼がだ。

「ならん。私が指揮長だ。お前の出る幕はない」

「見せしめなら十分だ。犠牲者を出して戦力を減らすのは避けたい。鶏を盗んだのは彼でも、それを口にした奴も同罪だろう。そいつらまで死刑にする心算なのか」

コルテスはイドを強く睨み付けた。イドは顔を上げて、静かな声で彼に訴える。その声に感情は見られない。相変わらず背後に居る兵士たちにはイドが何を考えているのか分からなかった。一人の兵士の命を許したところで彼に何の利益もないのだ。彼は人情で動く人間ではない。利益の為に人情を踏みにじるような男だ。だからこそ妻子が居るのに其処を離れて新大陸から金を吸い尽くすことを生き甲斐にしている。それは兵士たちも良く分かっていて、だから尚更彼の行動は違和感に思えた。コルテスに頭を下げるくらいなら大好きな海に抱かれて死んでやるとでも言いそうなものなのに。

「仲間の血でその手を汚さないでくれ」

それどころか彼が仲間の為に懇願している。兵士たちは皆幻を見ているような気になった。イドに似た誰かが彼を演じているようだ。そう言われても素直に信じてしまう自信がある。
イドがコルテスの手を握る力を強めたのだろう。彼は益々怪訝な顔をして部下を見据えた。イドの目は一点の迷いもなく、真っ直ぐとコルテスを見つめている。
暫く互いを睨み合った後、コルテスは手の力を抜いた。剣を鞘に戻して舌打ちするとイドの手を振り払う。

「イドに免じて死刑を許す。もう二度とこんなことを起こしてくれるな」

コルテスはそう言い残して、彼らに背を向けてその場を立ち去った。振り返らずに森の方へと消えていく。その言葉に肩の力が抜けた兵士は数人地面に座り込んだ。彼らは皆暫し呆然としていたが、漸く状況を理解するとわあっと歓声を上げてイドとコルテスに拍手を贈り始めた。

「イド!よくやってくれた!」

「将軍も寛大な方だ!お前、イドと将軍に感謝しろよ!」

一度緊張が解れるとお祭り騒ぎだ。皆が皆イドに礼を良い、コルテスに感謝している。よっぽど嬉しかったのだろう。処刑人だった男と抱き合って涙を流している始末だ。
イドはその騒ぎに紛れながらもふとコルテスのことが気になり、彼らの誘いも断って将軍の後を追った。イドにとって重要なのは、コルテスが剣に収めたことでも、一兵士の死刑が免れたことでもない。そして将軍の機嫌取りでもない。兵士たちの将軍に対する反応、それだけだった。

彼らは知らないだろう。この緊迫したやり取りが全て茶番劇であったことなんて。


「大根」

「うるさい」

イドがコルテスに追い付くと、彼は振り返りもせずに罵った。そして次第に肩を震わせ、大声で笑い始める。イドも耐えきれずに吹き出した。大の男が二人して何もない場所で爆笑だ。でも今の状況なら箸が転がっても笑える自信がある。

「お前、俺のこと見つめすぎだろ。吹き出すのどんだけ我慢したと思ってるんだ」

「君が本当に怒ったら言葉なんて無意味だろう。安心しろ、私も吹きそうだった」

「まさかあの兵士に盗みを働けと命令したのがお前だなんて、誰も気付かないだろうな」

「彼の演技も相当だったなあ。見事に君が薄情に見えた」

「は、本当のことだろう」

「君は頭が良い薄情さ。非情であるべき状況を弁えている。それは誤解されるべきではない。だから私も一肌脱いだわけだが…」

イドはちらりと背後で祭り騒ぎを起こしているであろう仲間たちを振り返り、ククと喉を鳴らす。

「上出来だ。将軍は寛大だそうだよ。威厳も与えられたしな」

「そうか」

コルテスは相槌を打ち、イドを振り返る。その顔はいつになく真剣で、先程の演技よりも迫力があった。彼は切り替えによって薄情にも寛大にもなれる。イドはそう思っている。

「陛下から正式に許可が降りた。あの大陸を私の所有地として認めるらしい」

「…成る程、ね。ある程度までは好きに泳がせて、後に国としての領土を広げる心算か。は、余程今の皇帝としての仕事が重荷なのだな」

「手が回らないのは確かだろう。隣国との戦争もあるしな。お前にとっては皮肉かもしれないが、おかげで好きに暴れ回れる」

コルテスは肩を鳴らすと、遠慮なくイドの肩を叩いた。子供のように笑う表情の奥に野心が透けて見える。

「ついて来てくれるな?イド」

「勿論」

友情を確かめるようにコルテスが腕を上げると、イドは口元を吊り上げて己のそれを打ち付けた。この二律背反した性格を自在に操るユーモアある友人に、残り少ない一生を捧げても後悔することはない。人生を輝かせる瞬間があるのだとすれば今まさにその時なのだろうと、イドは興奮を隠しきれずに喉を鳴らして笑った。


―――
これも実際にあったお話。本当は斬首ではなく絞首刑だったのですが、剣手にしている方がインパクトあるので変更しました。あと時間列ばらばらです。ごめんね。

イドの性格も濃いけどコルテスも相当ですね。こんな二人がトップとか胃もたれ起こしそう笑

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