イドルフリートは行動力がある男だ。言ったことは責任を持って必ず成し遂げる。なるほど、そう言えば彼が如何に偉大な人間であるかが良く分かる。しかしコルテスに言わせてしまえば彼は驚くほど己の欲望に忠実なだけで、偉大なる行動力も特に褒められることでも何でも無いのである。口にするのは自分の利益、または好奇心が刺激されることだけなのだから行動するのは当たり前だ。それどころかそれには難点があった。彼の場合極端に度が過ぎているのだ。
確かにイドルフリートは言った。『私は明日にはあの男に会いに行く』と。下見の時点でソース確認が済んだのなら、不可能ではない発言だ。コルテスは長年彼と付き合っているから、それが本当に翌日成されることはうっすら理解していた。
だが、その先まで行えとは命令してないし、彼もやるとは言っていない。コルテスとしては、イドルフリートの情報を元に男と接触するのに都合の良い状況をじっくりと模索する心算だった。だから今朝、天幕から元気よくコルテスを呼んだ親愛なる友人イドと、その横に居る全身裸に赤く血塗られた男を見たときはさすがのコルテスも顔がひきつった。

「その白い肌、黒い髪と髭!こんな処で祖国の人間と会えるなんて思いもしなかった!神よ、感謝します」

そう紡いで涙を流した男に、コルテスは何も口にすることが出来ない。自分が野蛮人だと一目で認識した人間が実は同じスペイン人であり、涙を流しながら自分が信じる唯一神へ感謝を述べている、その光景に抱いた心境は複雑なものであった。唯一「イド、頼むから一度死んでくれ」という願望だけは明確だったが。

「やあ、フェルナンド君も喜んでいるようだな」

「イドルフリート、お前いつからそんなに性格が悪くなった!?慎重に動かない低脳は話にならんと俺に説教したのはお前だろう!」

「話をしたいから連れて行ってほしいと頼んできたのは向こうからだよ。それに私は十分慎重さ。彼の第一声は何だと思う?『今日は水曜日か?』だぞ!此処に住んでからもずっと日付をキリスト教暦に勘定していた熱心な愛国者に、余所者の私が何の警戒を抱けば良いと言うのかな」

イドは金の髪を指に通しながら笑顔で言った。彼の見た目は明らかにスペイン人とは異なり、出会った当初は男に警戒されていた。そのことへの嫌味である。しかしイドはスペイン語を話せていたので、難なく此処に連れてくることが出来たのだろう。
コルテスはイドの言葉に溜め息を吐き、改めて男を眺める。血にまみれていると思った体は、赤いペンキのようなものだと分かった。その下にある肌は白い。長い髪は束ねられていた。格好こそは此処の民族に同化しているように思ったが心は祖国に居た頃とかわりないらしい。
なるほど、イドの言うことも一理ある。同じスペイン人なら何も恐れることはない。コルテスは言動を改めて、敬意を持って男に礼をした。

「私は指揮長のエルナン・コルテスと申す者です。こちらは部下のイドルフリート・エーヘンベルク。貴殿の力、私共にどうかお貸しください。マヤの言語に精通する者が此処には居ないのです」

一見、白い肌の西欧人が異国の先住民に頭を下げているという奇妙な光景が広がった。男は慌てて束ねていた髪をほどくと、コルテスに向き直る。

「私はアギラールと申します。分かりました。此処には奴隷にされた苦い思い出はあれど、未練はありません。今日から私は貴方のことを将軍とお呼びしましょう」

同じく地面に膝を付き、深く深く礼をするアギラールという男に、イドは一人満足そうに頷いた。マイペースな男だとコルテスは内心で嘆くが、自分の諌めなど一度も意に介したことがないこの男に何を言っても無駄だと知っているので口にはしない。イドは二人の取引を見届けた後に、アギラールの肩に手をおいて親しげに笑った。

「アギラール、君の名前はきっとスペイン中に広まることだろう。長年キリスト教の教えを守り抜くその信念は素晴らしいものだ」

こうして、この日からアギラールの手助けも加わることになった。コルテスのアステカ征服への野望は一歩前進したと言えるだろう。コルテスは新大陸への強引な力による支配を求めていたというより、内部の情報に精密になり内側から支配することを求めた最初のコンキスタドールと言っても差し支えのない人物だ。その目的達成の為にアギラールの存在は必要不可欠なものだった。



目的が眼前に見えたからと言って、コルテスの苛立ちが収まったわけではない。終わり良ければ全て良しと笑って許せる問題ではないのだ。目的へと進む過程で一度でも躓いて居たのなら、たとえ成功したとしても後ろを振り返り改善する必要がある。でないと次は失敗する。失敗は死だ。航海とは命を海に預けるということであり、海は容易く人間を裏切る。有りもしない幻想を振り撒き、油断をした瞬間に呑み込まれてしまう。
そのことを誠心誠意イドに伝えてもう二度と勝手なことはするなと釘を刺しているのに、説教されている本人は口笛なんぞ吹きながらまた将軍の目の前でストリップショーを展開していた。これでキレなかったらそいつは聖人だ。

「エーヘンベルク、お前一度セイレーンに呑み込まれてこい」

「セイレーンには前妻が世話になったらしいが、私はあまり彼女とは顔を合わせたくないな。美しい歌声に惚れたりなんてしてしまったら前妻に頬をひっぱたかれる」

「分かった、では代わりに俺が殴ってやろう」

遠慮なく硬く握った拳を顔につき出してきたコルテスに、イドは慌てて頭を下げて避ける。ふわりと舞った金髪に拳がかすったが本人は無傷だ。脱ぎかけのシャツを肩に引っ掻けたままイドは寝床の上に飛び上がる。

「危ないな!顔を狙うのは止めてくれたまえ」

「少し腫れ上がった方が男前だろう。大人しく殴られろ」

「君のはかなり痛いから嫌だ!」

もう一度拳を振り上げた瞬間に、顔に白いシャツを投げられて動きを止めてしまう。むぐ、と思わず声がくぐもった。少し汗に濡れたそれはおそらく先程までイドが着ていたものだ。シャツを退けて寝床を見れば、上半身裸の友人がコルテスにちらちらと視線を送りながら荷物の中から新しい服を取り出そうとしている。ちなみにその荷物は紛れもなくコルテスのものだ。その光景を目の当たりにして今度こそ額に青筋が浮かんだ。いい加減にしろとイドに掴みかかると、彼は軽々とそれを避けて天幕の入り口まで跳ねてしまう。そしてコルテスを挑発するように笑ってみせた。
相変わらず力は無いくせに体だけは軽い男だ。いい大人が二人して真剣な顔をして鬼ごっことは、部下が見ていたらなんて思うだろう。上半身裸の男を捕まえようと奮闘している姿を部下に見られる趣味はないコルテスは、息を荒くしながらもようやく諦めてへたりこんだ。イドもそれを見て安心したのか、今度は鼻歌を歌いながらちゃっかりと荷物から取り出したコルテスのシャツに腕を通している。

「お前、いつか覚えてろよ」

「君は本当に覚えていそうで怖いなあ」

苦笑しながら身形を整える友人に、もう言うことは無かった。力ではコルテスの方が強いが本当の意味で彼に勝てた試しがない。つかみどころのない飄々した男だ。そんな男だから気に入って友人をやっているのだから自分も救いようがない。
溜め息をついて、眠る準備に入るために髪を束ねていたリボンをほどいた。気にする方がおかしいと分かったので遠慮なく友人の前で着飾った服を脱いでラフな格好になる。リボンをテーブルに置いたところで、ふとそこに置いてある地図が目に入った。イドが試行錯誤して用意してくれた、手元にある中でもかなり正確なものである。ゆっくりと撫でるようにそれ指でなぞり、コルテスは僅かに口元を吊り上げた。
彼は表面上では怒りを露にしていたが、内面ではかなり浮かれていた。それもそのはずだ。今日から使える部下を手元に置いておけるようになったのだから。正直、情報収集を強化しようと目論んでいたコルテスにとって、言語が通じないということは最初で最大の難関だった。しかしこれからそのことで頭を悩ませることはない。これでこの島の内部まで緻密に知ることが出来ると思うと思わず口元が緩んでしまう。それくらいには嬉しかった。その点では、本当にイドに感謝していた。彼が居なかったら数ヶ月は掛かっていたことだろう。

「イド、こちらに来い。もう殴ったりはしないさ。乾杯しようじゃないか?」

入り口付近で腕組みをしながら仁王立ちしている友人に、苦笑しながらコルテスは誘い掛ける。おそらくイドが寝る前に此処を訪ねたのはそれが目的だったのかもしれない。二人で酒を飲むのは久々だったから、たまには束の間の平穏をアルコールと共に味わって喉に流し込むのも良いものかと思った。
しかし、コルテスはふと首を傾げた。彼から反応が全くないのだ。直ぐ様凶悪そうに笑って、仕方がないから低脳の戯れに付き合ってやろうと上から目線で応えるのがこの男なのに。

「イド?」

違和感を感じて彼に近づけば、イドは今気づいたのかはっと顔を上げて、目を見開いてコルテスを見つめた。先程何を言われたのか理解していないような様子だ。口元が動き、「なんだ?」と問い掛けてきているが声にはなっていない。吐息だけが辛うじて聞こえる程度だ。ついさっきまで人の寝床を飛び回り笑っていた彼は何処に消えてしまったのだろう。そのくらい覇気がない表情だった。

「…イド?」

もう一度問い掛ける。思わず肩に手を伸ばして、軽く揺さぶった。振り払われることを前提とした行為だったが、何故かそのままコルテスの手の力に逆らうことなくイドの体が傾く。おい、とコルテスが慌てて声を掛ける間も無く、彼は全体重を斜めに傾かせた。

「イド!!?」

彼が地面に崩れ落ちる前に、咄嗟に腕を伸ばして力無くした体を支える。膝を折って二人で地面に沈みこんだ。何が起こったのか良く理解出来なかった。腕のなかにいるイドの表情は苦しそうに歪んでいて、額には脂汗が滲んでいる。先程までこんな表情を少しも見せなかったのに。何度かその体を揺さぶったが、もうイドはぴくりとも反応しなくなった。嫌味ったらしい顔でコルテスを罵る口からは、苦しそうな細い喘ぎ声だけが漏れている。その様子にコルテスは柄にもなく顔を青くした。

「将軍、どうかしましたか!?」

「医師を呼べ!早く!」

コルテスの叫び声で駆け込んできた部下に彼は怒鳴るように命じる。初めは突然の怒声に体を硬くしたその部下は、イドの様子を見て事の重大さに気付き慌てて天幕を出ていった。医師の名前が真夜中にもかかわらず天幕の外で響き始める。その背中を見送る余裕もなく、コルテスはイドを抱き抱えて何度も揺さぶる。バクバクと跳ねる心臓を片手で抑え、叫び出したくなる衝動をなんとか耐える。酷く嫌な予感がした。あってはならないことが起こってしまったような気がした。

―――黒死病

その単語だけが、彼の頭を駆け巡っていた。
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