一週間くらい、コルテスの家に世話になった時期がある。中3から高一に掛けての春休みだった。幼い頃からずっと一緒だったから、お泊まりは数えきれないくらいしていた。でも一週間も長く泊まったのは初めてだった。切っ掛けは些細なことで、弟のメルヒェンと大喧嘩したのだ。私とメルは狭いアパートに二人暮らししている。何が原因だったのか良く覚えていないが、物を投げ合うような激しい喧嘩だった。もう顔も見たくないと家を飛び出し夜中ふらふらしていた私を、コルテスが見付けて拾ってくれたのだ。コルテスには父親が居るが、長期海外に滞在しているから実質一人暮らしの様なものだった。その夜からマンションの一室は私達の城になった。
コルテスには兄弟は居ない。メルへの憤りを訴える私に、「でも、お前ら仲良いよ。羨ましい」と少し寂しそうに呟いた。仲直りしろとか、戻った方が良いとは一言も言われなかった。けど私が一週間後にメルに頭を下げたのは、コルテスのその何気ない言葉が背中を押したからだ。

その頃はまだお互いに何か距離を感じたことは無かった。いや、もしかしたらそれは私の願望だったのかもしれない。本当は少し気付いていたのだ。コルテスに夕食のお使いを頼まれ、二人分の食材の重さに頬を緩ませながらマンションに戻った時だった。階段を上がりきる前に、コルテスの尖った声が聞こえた。今まで聞いたことがないくらい鋭い声に、私は心臓が跳ね上がって思わず隠れた。彼女の声に重なるように響いたのは男の低い声。言い争いをしているみたいだった。「そういう目的なんだろ?興味ないから、帰って」と冷たく彼女は言い放つ。「興味ないとか、どの口で言ってんだよ。お前さあ」「聞こえなかった?友達来てるから」男はコルテスに舌打ちし、私の横を通って階段を降りていった。私は深呼吸して冷静になると、笑みを浮かべて階段を上った。「コルテス」と出来るだけ明るく名前を呼ぶと、最初は目を見開いていた彼女も笑って抱き付いてきた。だけど結局コルテスはその男のことを私に話すことは無かった。
私は思い上がっていた。コルテスはあんなにも冷たくて鋭い声で男を突き放せるのに、私のことは何時だって大切にしてくれて優しくしてくれていたから、私は彼女の特別だと思い込んでいた。コルテスの腕の中は温かかった。本人は子供体温だからと苦笑していたが、私はその温かさが大好きだった。その温もりに触れられるのは私だけなのだと思っていたし、信じていた。

泊まって6日目の夜、不意にメルのことが恋しくて風呂場で一人蹲った。彼に投げ付けた言葉を脳内で繰り返しては後悔した。傷付けていたらどうしよう。泣かせていたらどうしよう。私はコルテスと一緒に寝ているけど、メルは私が出ていったから一人で1日を過ごしているのだ。そんな当たり前のことに漸く気づいた。目を真っ赤にして上がってきた私に驚いたのだろう。珍しく目を丸くしたコルテスはバスタオルを引っ張り出して私の体を丁寧に拭うと、額にキスをして「もう寝よう」とベッドに連れていった。

「髪が濡れたままだ」

「良いよ。ベッド濡らしちゃえ」

「朝髪型がひどくなる」

「どうせあたししか見ないだろ」

強引に部屋に引っ張るのに、繋いだ手はひどく優しかった。私は反対側の空いた手が寂しくて、バスタオルでがしがしと髪を拭う。コルテスはそれに気付いていたのか、私をベッドに座らせた後に膝立ちになって少し乱暴に髪を拭いた。髪を撫でる感覚がくすぐったかったのに目を瞑って耐えることしか出来なかった。

「コルテス」

「ん?」

「…メルに、謝ろうと思う。明日はちゃんと家で寝るから」

「そうか。うん、良かった」

「だから…最後だし、一緒に寝て良いか?」

バスタオルで狭まった視界から見上げて告げると、コルテスは先程とは比べ物にならないくらい大きく目を見開いた。不味いこと言ったかもしれない。子供みたいだと笑われるか、冗談はよせと払われるか。恥ずかしくなって頭に引っ掛かったバスタオルを目元まで引っ張って隠す。するとその上からぽんとコルテスの手が叩いてきて、ぐしゃり頭を撫でた。

「いいよ。一緒に寝よ」

バスタオルに阻まれてコルテスの表情を見ることは出来なかったが、何度も何度も髪をバスタオルの上から撫でてくる手は照れているようだった。私は頷いた。コルテスのベッドは別の部屋にあって、私は彼女の父親の部屋を使っていた。いつも寝るときは別々だったから寂しかったのだ。コルテスは私を立たせるとまた手を繋いで彼女の部屋まで引っ張った。先頭を歩く彼女の手は汗ばんでいて、嬉しくなって少し笑った。
胸がどきどきして、破裂しそうだ。私はコルテスのベッドに上がると端の方へと体を滑らせた。私の上に毛布を被せたコルテスは、満足そうに笑うと明かりを薄暗くして横に入り込んでくる。温かい体温が私の肩を撫で、ぐいっと引き寄せた。どきどきで死にそうな私はまるで借りてきた猫のように固まった。ぽんぽんと肩と背中を滑るように撫でる手のひらが気持ちよくてずっとそうしていて欲しいと思った。コルテスの風呂上がりのシャンプーの香りは、私が使ったものと同じだ。大きな胸にすりよって顔を埋めると、「くすぐったい」と彼女は苦笑した。

「…イドって猫みたい」

「褒めてる?」

「可愛いってこと」

柔らかなコルテスの声が耳に心地好く響く。私はこの声が大好きだ。良く耳にする同級生の女子みたいに高すぎることも無くて、するりと鼓膜を優しく侵食する。この声をずっと間近で聞いていたい。ずっと抱き締めていて欲しい。一緒に寝られる時間が今夜でおしまいだと思うとその欲が止まらなくなった。

「コルテス…あのな」

背中に当たる温もりに後押しされて、私はコルテスを見上げる。胸で温めていた言葉を喉の向こうへ押し出した。

「好き」

思い詰めたような声が出た。どきどきしていた心臓が今度はばくばく言い出して、死んでしまいそうだ。いつもコルテスに挨拶のように告げられていたことをそのまま返しただけなのに、全身の血が顔に移動したと思うくらいに恥ずかしい。毛布で表情を隠し、彼女の返答を待った。だが彼女から言葉が返ってくることは無かった。不思議に思って顔を上げると、口を開けたまま信じられないものを見るような目で見下ろされていた。今にも泣きそうなくらい歪んだ瞳を見て、私はひどく混乱した。頭が真っ白になる。次の瞬間には、コルテスに否定されるのが恐ろしくなった。ぐわりと負の感情が押し寄せるのを自覚して、慌ててふるふると首を振る。

「友達として」

「…、」

「友達としての、好き…だから…」

ぴくりとコルテスの指先が震えた。背中越しにそれを感じて体が緊張する。暫くの沈黙のあと、「そりゃ、そうだよね」と繰り返した彼女の言葉にずきりと心臓が痛んだ。確認されているようで、泣きたくなった。変な勘違いをさせてごめん。そういう意味じゃないから、お願いだから嫌いにならないで。そう次いで告げようと思ったのに、緊張した喉からは乾いた息しか出てこなかった。




私はコルテスの特別だった。そう勘違いしていた。
その日を境にコルテスは私に好きだと言ってこなくなった。高一の最初の方は相変わらずずっと二人で居たが、段々と彼女は私を避けるようになり、高二になる頃には絡んでくることすら無くなった。今ではコルテスの体温は私のものではなく、別の男のものだ。大好きな声が男との快感に震えていたのを聞いてしまった。それはあの夜私をくすぐった柔らかな声を掻き消すように響き、鼓膜に染み付いて剥がれない。延々と脳裏で反響する。


「…イドー?いるのー?………もう」

玄関で靴を脱ぐ音。メルの声が聞こえた。私は布団から這い出ると、ドアへと視線を投げ掛ける。返事をする気力は無かった。頭がずきずきする。それが体調不良か、精神的なものなのかは分からない。

「イドの好きなお店でお饅頭買ってきたよ。いるなら返事くらいしてよ」

「……いる」

部屋に入ってきたメルは私を見てため息をついた。自分の体温ですっかりと温まったベッドから出ると、メルから饅頭を受けとる。学校帰りなのか、メルは制服を着ていた。明日はちゃんと学校に行くべきだなと思いはするが、コルテスと会う可能性を考えると気が引ける。

「そうだ、今日コルテス先輩の噂聞いたんだよ」

そんなことを考えていたからメルの言葉に心臓が跳ね上がった。多分メルは私の顔を見て彼女のことを思い出したのだろうが、心のうちを読まれたのかと思って反射的に体が強張る。メルは私達の今の関係を詳しく知らない。痛みで壊れそうな心臓を見て見ぬ振りして、出来るだけ平然を装った。

「コルテスの噂ってメルの学年にも流れてるのか?」

「うん。先輩美人だから」

これ以上無いってくらい知ってる。美人で、活発で、頭も良い。後輩が憧れるのも当然といえば当然だ。顔に出るのを誤魔化すために饅頭にかぶりつく。メルは箱の中の饅頭選びに夢中で、私の様子には気付いていない。

「先輩ね、付き合ってた彼氏と別れたんだって」

喉に饅頭を詰まらせそうになった。
けほ、と軽く咳き込んで喉を擦る。疑問が脳内を支配するが何も紡げない。別れたって、つい昨日私が見たあれは何だったのだ。「あんなに仲が良かったのになんでだろうね」と何気無く呟かれたメルの言葉に、曖昧に頷くことしか出来なかった。



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