寒い、な。
鳥肌が立つ腕を擦る。もうすぐ夏だというのに、吹き抜ける風は冷気を纏っていた。それでも周りの人間は半袖が殆どで、視覚で今の季節を再認識する。体調が優れてるとは言えない状態だから、寒いのは私だけなのかもしれない。帰って早く寝なさいとベルナールの呆れた様な声が脳裏に響いた。なのに私が今居るのは、家と真逆の方向にあるマンションの下。

「……何してるんだろう、私」

彼女の部屋を見上げる。震えた手でポケットにある携帯に手を触れた。メルアドも携帯番号も、随分前に交換している。中学の頃初めて携帯を買って貰った時に、真っ先に彼女に訊きに言った。受信や送信履歴を見れば彼女との過去が並んでいる。しかしそれも、数ヶ月前からあまり交わさなくなった。今の彼女の履歴には、新しく出来た彼氏の名前でいっぱいなのだろう。それを考えると送信ボタンを押す気にならなくなる。既に携帯画面には彼女へのメールは打っていた。なのに押せないのは、私が臆病者だから。

今日コルテスは少し具合が悪そうで、学校を早退していた。流行りの風邪で、私もそれが原因で発熱していたくらいだ。最近は挨拶くらいしか会話をしていない私が彼女に風邪をうつしたとは考え憎いけれど、万が一そうだったら申し訳無い。せめて看病くらいはしてあげたかった。なのに学校から彼女の家に至る道で、途中で自分の具合が悪くなったら帰ろうとか、コルテスの部屋の明かりが消えていたら諦めようとか、そんなことばかり考えながら歩いてきた。自分で決めたことなのに、会いたいのか逃げたいのか分からない。結局自分に課した条件を難なくクリアしてしまった私は、明かりが付いた彼女の部屋の下で悶々と考え込むはめになった。

(……もし、本当にコルテスの具合が悪かったとして)

辛くて、立てないくらい苦しかったとしたら、彼女はとっくに助けを呼んでいるだろう。だけど私の受信履歴に彼女の名前は無い。私より、彼氏の方がずっとずっと頼り甲斐はあるのだから当然と言えば当然だ。でも、昔なら彼女は真っ先に私のことを呼んでくれた。看病し慣れてなくて慌てるだけの私の手を握って、「イドが居てくれるだけで良くなるから」と汗だらけの顔で笑ってくれた。

ぱかりと携帯を開く。バイブ音すらしない沈黙を守った携帯。待受画面が「ざまあみろ」と私を嘲笑ったような気がした。笑いたいのは此方の方だ。自分の滑稽さに呆れ返る。コルテスを心配していると取って付けたような理由を添えても携帯の送信ボタンすら押せず、挙げ句にあいつの彼氏に鉢合わせたくないと考え始めている。
最低だ。自分がこんな最低な人間だとは思わなかった。コルテスと彼氏が早く別れれば良いなんて、絶対に思ってはいけない筈なのに。祝福してあげなければ駄目なのに。

(…でも、私があいつの一番で居たかった)

何時からだろう。コルテスのことが好きになった。同性同士なんてことは分かっているのに、気づけば私は彼女ばかり追い掛けていた。雑誌やドラマで好意を持つのは男の方だから、そういう性嗜好が先天的にあるわけではないと思う。でも彼女に抱く感情は紛れもない恋だと気付いた。その独り善がりな感情にコルテスを巻き込む気なんて無かったのに、最近彼女が男と二人で歩いてるのを良く見掛ける様になってから、彼女と言葉を交わせなくなった。普通の友人としての会話さえ出来ず、好きなのに嫌いなることばかりしてしまう。

『イド、好きだよ』

随分前にコルテスが頻繁に言ってきた言葉。もう言ってはくれないけど、私はその言葉を彼女を目にするたびに脳内で繰り返している。多分私の抱いている感情とは違って、友人として好いてくれているのだろうけど、本当に嬉しかった。

(やっぱり、会いたい)

コルテスに会いたい。ずっとまともに話してなかったから、勉強のことでも部活のことでもなんでもいい、くだらないことで笑う彼女の声を聞きたい。ごくりと唾を呑み、彼女の部屋の前まで歩く。破裂しそうな心臓を押さえながらインターホンを鳴らした。

しかし、出ない。

「………?」

もう一度試しに鳴らしてみたけれど、やっぱり出なかった。留守なのかもしれないと思ったが、部屋の明かりは付いている。嫌な予感がしてドアノブを握った。早退したくらいだ、もしかしたら熱が酷くて倒れているのかもしれない。焦って濡れた手でゆっくりとドアノブを回し、引く。ドアが開く。

「…あ」

鍵が開いていて余計に心臓が跳ね上がった。どうしよう。本当に予想が当たっているのかもしれない。散らかった様子の無い廊下は前回来た時と変わって無く、私は静かに「お邪魔します」と呟くと靴を脱ごうとした。

「………」

彼女の私よりちょっと大きい靴よりも、一回り大きい靴が、並んで其処にあった。私は目を見開いて手を止める。大きい靴は、間違いなくコルテスのものじゃない。男性の、ものだ。

「…っ、あ…ん」

つられるように再度廊下を見た。廊下の向こう側にある部屋を、閉ざすようにドアがある。僅かに聴こえた声は、私がずっと焦がれていたものだ。嬌声だと気付くのに数秒掛かった。さっと一気に背中に汗を掻く。ドアの向こう側には、色に濡れたコルテスの声と、彼女に触れる男の声。「誰か、来た」「行くなよ」「鍵が」「気にすんな」断片的にぼそぼそとした声が此方に響いてくる。どうしよう。どうしよう。私はどうすればいいの。ねえ、コルテス。
泣きたくなる衝動を抑えて、静かにドアノブに手を触れて音を立てずに外に出た。まるでこそ泥みたいだ。ドアを閉ざしても僅かに聴こえてくる大好きな声が鼓膜を揺さぶる。なんでもいいから声が聞きたいと願って此処まで来たのに、その声は私に向けられていなかった。熱を含んだ声は私ではない名前を何度も何度も呼んでいて、立っていられずにドアに背を向けて座り込んだ。馬鹿みたいに携帯を握り締めていることに気づいて、唇を噛み締める。死んでしまいそうなくらい心臓が痛い。息を吸っても呼吸が苦しくて考えることが出来なくなった。はやく逃げなければいけないのに全く立てない。足が動こうとしない。頭を抱えて耳を塞ぐ。
やっぱりコルテスは彼氏に来てくれるように頼んだんだ。彼氏の方が大切なのは当たり前だ。当たり前のことなのに、現実として受け入れられない。私の携帯に彼女のメールは来なかった。私は呼ばれても居なかった。私はもう、彼女には必要ないんだ。




どうして私は女なの。





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