ほろ酔いで心地好かった俺の気分はイヴェールの冷徹で無機質な虫けらを見るような目によって一気に冷や水を被ったような気にさせられた。美人って怒ると怖いなともはやイヴェールに対して何回思ったかも分からない感想を今更抱いている。ああそうだ俺は夢を見ていた。浮かれていたさ。久々の可愛い後輩が現れてそれなりに楽しかったし。イヴェールとだって話せば遅くなったことくらいあっさり流してくれると思っていたんだ。だってイヴェール自身に迷惑が被るわけじゃあない、気を付けろよと一言二言注意されて寝られると思っていたんだ。なのに何故かイヴェールはベッドの前に小さいテーブルと二人分の椅子まで用意して「どうぞ座れば?」と明らかに作り笑顔(だって目が全く笑ってない)で椅子を示してくる。なんとまあ驚くことにこの人朝まで語り合う気満々だ。

「…イヴェール」

「何でしょう」

「お前本当に顔色悪いぞ?疲れてるんだから、そういう話は明日起きてから」

「まあ疲れてるのは否定しませんが、その原因は殆どてめえにあるので本人に言われても大人しく休む気は更々ない…ていうか、朝まで引き延ばしてうやむやにされるのは我慢ならないので早いうちに決着付けておこうと思うんだよ、な?良いから座れ」

本当無理逆らえない。イヴェールの名に相応しい絶対零度の視線に大人しく従うしか俺に選択肢は残されていない。誰だよイヴェールってふざけた偽名とか言った奴…俺だよ畜生。

「で、言い訳を仰る前に一言言わせてもらうけど、俺が怒っているのは酒場に遅くまで居たことじゃないから。酒場の雰囲気に圧されて付き合ってた知らない男とキスしてたことだから。ああ、愛人だったらキスくらいすんのか?そりゃあ俺が悪かったよでしゃばって」

「…ちょっと待てイヴェール、お前アレ見てたのか?」

「見てましたが何か?俺は仕事帰りに通った酒場からローランサンの声が聞こえてきたから、いつまで飲んでるんだよって声掛けようとしただけ。そしたらいきなり奢りだなんだって話になって、うわあ妙に親しげだなと思って見てたらいきなりキスとかされて?良かったなあ可愛い年下に接吻されて。年下が好みだとは知らなかったよ。仕方ないよな付き合ってる俺が可愛くない年上だもんな飽きもするよな。あ、もしかしてそもそも俺って恋人とかいう立ち位置では無いんだろ、お前にとって。なるほどそりゃあお前からしてみれば浮気とされるのも心外だ。ああ悪かったよ一人で勝手に色々捲し立てて。それなら早く寝たいってのも分かる。ごめんな付き合わせて。よしこの話は終わりにしよう俺はもう寝る」

「ストップ、イヴェール」

ゆっくりと自然に立ち上がった普段の5倍は饒舌な彼の肩を押し付けて、俺は必死に懇願した。


「話し合いましょう」


俺らにはそういうやり取りが必要だったのだと自分を説得させて、俺はようやく朝まで付き合う覚悟を決めた。



イヴェールは一つ誤解をしている。俺は奴とは何の関係もない、普通の可愛い仕事仲間だ。一緒に仕事をしていたのだってイヴェールに会う前の話だし、そもそも俺は奴に手を出していない。一切、これっぽっちも、神に誓って。そりゃあいつも俺に対して好意を抱いていたかもしれないが、それは尊敬とか憧れとかそういう類いのものだと断言できる。

「よって浮気じゃない」

「俺が恋人じゃないなら浮気じゃなくて本命だろうよ」

「だ・か・ら!本命でもねえ!あいつとはそういう関係じゃねえ!」

「じゃあ別れ際のキスは何なの?ああいうの、いくら此処がフランスだからって普通はしないよ。お前はいつの時代の人間だよ。古代ローマ人か?ローマまで遡るのか?」

「…だ、から…それは」

言い訳できねえ。
キスは俺からしたわけじゃない。でも現場を目撃したイヴェールはそれを知って怒っているんだからその点を言い訳しても無駄だろう。それに俺とイヴェールだってキスはあまりしない。抱き合う時に盛り上げる為に何回かするけど、朝起きて頬にキスとかそういう新婚みたいなことはしない。というか恥ずかしくて出来ない。なるほど、イヴェールの怒っている理由が分かってきた。

「イヴェール」

「何だよ」

「俺にはお前だけだ」

「で?」

「お前を不安にさせちまってたんなら謝る。悪かった。でもあいつとの関係は本当にただの仕事仲間なんだ。それに多分もう二度と会わない」

そう告げると、イヴェールはふうんと鼻を鳴らした。

「じゃあアレは本命じゃないと」

「だから違うって、本命はお前だ」

「なるほど、本命が俺でアレが浮気だと」

「だから浮気じゃねえっての!!!」

「ふざけんなよアレが浮気じゃなかったら何なんだよお前人をおちょくってんのか!!!」

ダンッと二人してテーブルを叩き立ち上がる。大声を出した後は荒い息だけが室内に響いた。朝宿屋の主人や客人に文句を言われるだろうが、今はそれどころじゃない。イヴェールは一歩も引こうとしない。俺も此処まで来ると自棄になっていた。

「大体なんで相手が男だと毎回怒るんだよ。俺が娼婦と寝たって何にも言わない所か興味の欠片も見せないじゃねーか」

「…俺は元々性欲はあまり無いけど、お前は普通だろ。俺はお前を女を相手するように満足させてやる自信なんて無いし、そこまで自信過剰じゃあない。だから娼婦抱くのは男なら仕方ないと思ってたし、お前は今まで何人も女と付き合った上で俺を選んだ悪趣味な変人だから、別にお前が女に言い寄られてもそこまで危機感は感じなかった」

「イヴェール、一つ訂正させろ。俺が娼婦抱くのはお前に不満があるからじゃない。お前とは仕事仲間としても付き合わなきゃならないのに、毎回性欲発散だなんだに付き合わせて無理させたくないんだよ。お前が嫌だっていうなら娼婦抱くのを止めることも苦じゃねえよ。不満だからじゃなくて、イヴェールが大切だから手を出そうとしないだけだ」

「…ふうん。まあそれは嬉しいけど、話は別だからね」

これで誤魔化せられるとは思っていないが、予想通り論点をずらそうとしないイヴェールに少し泣けてきた。まあ、そこが根がしっかりしていて良いところなんだけどな。

「男の場合 、恋愛ってのは身体の繋がりじゃない。心が繋がってないと成り立たない関係なんだよ。子供出来ないしな。言い方変えれば、本当に相手を想うのって同性じゃなきゃ出来ないと思ってる。それは別に友情でも構わない。性欲とかそういう先天的な本能じゃなくて、それを越えた人の心同士で繋がっていたいって願ってるんだよ。だから俺はローランサンが他人に心許しているの見ると凄く腹が立つし、過去お前と関係を持った人間にだって嫉妬する。でもそれって単なる俺の独占欲。我が儘。それでローランサンを縛り付けたいなんて思ってない。何より俺が好きなのは自由に生きているローランサンだ。やっぱりお前の人間関係を俺がどうこう言うのは間違っている」

「………」

「でもな、お前が俺でさえ頻繁に出来ない接吻を俺の知らないところでホイホイとやってきて素知らぬ顔で俺を恋人とのたまうつもりなら、それがバレても浮気じゃないと言い張るのなら、それはふざけんないい加減にしろって思う。俺は器用じゃないから心に線を引いて整理出来ないよ。特にお前のことに関してはな」

一頻り言い放って、イヴェールは自分で買ってきた水を飲み干す。俺も酒を薄めたくて水が欲しいと思ったが、今この状況のイヴェールに余計なことを言ったらそれで揚げ足とって色々言われて取り返しのつかないことになる。そう直感で気づいて喉の渇きを我慢した。納得出来ないがイヴェールの言うところの自業自得だ。これくらい耐えるべきだろう。
イヴェールの話は、頭の回転が早いとは言えない俺にとっても説得力があった。彼が普段考えていること、悩んでいることをちゃんと噛み砕いて理解することができる。頭良いだけあって説明するのは得意なのだろう。でも納得出来ても、それを共有出来るかって聞かれれば首を縦に振れない。イヴェールの言い分は分かる。でもそれは果たして本当に正しいのだろうか。だって現に俺はあの行為を浮気だと認識していない。気持ちではイヴェールが本命で、他に浮わついた下心なんて一切持っていないのだ。それを浮気だと自分で認めることは、俺に対してもイヴェールに対しても裏切りになるのではないか?そう考える。

「俺はイヴェールが好きだ。誰よりも大切だ。他に気を移すほど軽い男じゃねぇ。俺にとっては全く気のない相手からの挨拶のキス一つで、お前は俺に幻滅するのか。俺はそんなに信用できないか」

「これはね、浮気に対して必ず発生する問題だよ。認識、価値観の相違だ。簡単に言えば、何処のラインまでが浮気かって話。恋人が誰かと一緒に昼飯食べただけで嫉妬するやつもいれば、セックスしなければセーフだって心の広い人間もいる。俺の場合お前の言うとこのたかがキス一つで浮気だと認識して嫉妬するが、ローランサンにとってはキスくらいどうってことない、キスにしろセックスにしろ俺が何やってもお前が好きだよだから大丈夫愛してる。そういうこと」

「物事を過剰に取りすぎだ。何だ他人とセックスしても愛してるって」

「違うの?俺にはそう見えるけど?言っただろ、これは価値観の相違だって。お前はそうじゃなくても俺にはそう見える。人付き合いってそこを埋め合わせないとやってけないと思うけどな」

イヴェールが軽く首を傾げて笑う。仕草はかわいいのに言っている内容や目付きは全然かわいくない。つか怖い。そのまま殺される気さえしてくる。

「分かった」

俺はぐいっとイヴェールの飲んでいた水を取り上げて飲み干した。イヴェールが何か言いたそうにこちらを見上げるが、無視して立ち上がる。

「そうだ、これは価値観の問題だ。だからお前を不快にさせた時点で俺は謝るべきだと自分でも思ったよ。本当に悪かった」

「………」

イヴェールがじいっと俺を見つめる。欲しい言葉は手に入ったが、納得はしていない様子だった。

「でも俺は自分のやったことを浮気と認めるわけにはいかねえ。そんなことを認めたら、何よりイヴェールを裏切ったことになる。イヴェールはそれで良いのか?俺は嫌だ。浮気以前にどう足掻いても本命はお前しか居ないからだ」

「お前は、それを理由にまた同じことを繰り返すんだろ」

「いや、今回の事で俺もイヴェールの考えが良く分かった。俺たちは話し合うことが必要だったんだ。おかげで俺はお前の言うとこのボーダーラインを把握出来たし、もうそれを繰り返すことは絶対無い。神に誓う。いやイヴェールに誓う。認識出来たならそれで良いじゃねえか?他にお前は俺に何を望むんだよ」

「………」

イヴェールは俺の言葉にはぁ、と軽く息を吐いて立ち上がった。その仕草に呆れられたかと不安になり彼の表情をのぞきこむ。しかしどうもそうでは無いらしい。イヴェールは俺の視線を意地でも避けるように首を振り腕を目元に当てて俯いた。

「イヴェール、顔赤くないか」

「うっさいな!お前が恥ずかしいこと並び立てるからだろ!」

バッと顔を上げたイヴェールは耳まで真っ赤で、圧倒された俺は目を丸くして立ち尽くした。

「ったくそうだよ、俺だって本命はお前しか居ねーよ。お前に心底恥ずかしいくらいに惚れてんだよ!なのに翻弄されるのはいつも俺だ。それが滅茶苦茶悔しいから上手に立ってやろうと思った!それだけだ!悪いか!?」

「い、いや…悪いか悪くないかって聞かれたら…」

ふらふらと脱力感して床に座り込んだ。

「滅茶苦茶、嬉しいですけど…」

「………」

イヴェールもそのまま座り込む。大の大人が二人して顔を真っ赤にして俯いていた。馬鹿みたいだ。でも凄く嬉しかった。
恥ずかしさが抜けたのかイヴェールがこちらに歩み寄ってくる。それに気づいて顔をあげると唇に軽くキスされた。セックス以外にしたことがないキス。なのに物凄く熱くて呆然と唇を抑えることしかできない。

「仕方ないから、これで許す」

そう言って今日初めて微笑む彼は、滅茶苦茶可愛かった。


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