天秤を風呂に入れてくれと頼まれたものの、こちらは夕食の準備があるからそう易々と作業を休むことは出来ない。もう少ししたらなと天秤に言って、料理に没頭すること一時間。そう、一時間も経っていた。物事を始めると完全に周りの空気が読めなくなるのは自他認める悪い癖だが、どうやらまたやらかしてしまったらしい。ああ天秤怒っているだろうなと、おそるおそる調理場を出て幼子を探してみた。

「…あれ?」

しかしこの狭い借り部屋、何処を探しても子供の姿が見当たらない。ついでに言うならローランサンも。もしかしてあれから一向に風呂に入る気配を見せない俺に焦れた二人が、時間つぶしに夜の散歩にでも行っているのだろうか。それなら、彼女がちゃんと女の格好で居たのも納得がいく。仕事関連や娼館に行くならともかく男装で表に出るのは多少目立ってしまうため、はじめから割り切っている彼女は街に出かけるときは本来の姿に身を包んでいることが多かった。
とするなら、夕食は自然と後回しになる。俺は二人を待つ代わりに先に風呂に入ることにした。天秤も後で一緒に入りたいというなら、二度手間になるが付き合ってやろうと思う。今回は俺の方に非があるのだから。

宿屋はお世辞にも広いとは言い難いが、鼠や虫が出るほど汚くはないし、一つしかないがちゃんと風呂まで整備されていた。こんな宿は非常に珍しく、おかげで俺は此処がかなり気に入ってしまい長時間入り浸っている。
タオルと着替えを持って部屋を出る。風呂場は部屋に面していてとても使いやすい。鍵が閉まっていないから使用中ではないだろう。脱衣場に着くと、さっそく服を脱いで中に入った。

「…あれ、イヴェ?」

高く幼い子供の無垢な声が、俺の心臓を跳ね上がらせる。空いた口が塞がらないとはまさにこのことだ。出かけていたと思っていた天秤は、先に風呂に入っていたのだ。保護者付きで。お湯がいっぱい溜まった湯槽がばしゃりと派手な音を上げ、視線を向けると年頃の娘が鼻先まで湯に顔を沈めていた。瞬時に血の気が引くのが自分でも分かる。やばい、やらかした。

「ローランサン、おま、散歩行ってたんじゃ」

「何の話だよ…。イヴェールが風呂入るの遅かったから俺が代わりに天秤を入れてやったんだよ。つかいつまでもこっち見んなっ」

「だったら鍵掛けとけよ!」

ローランサンは男前だ。というより男勝りだ。しかしこういうハプニングには耐性が無いらしく、羞恥心から手元にあった桶を思い切り俺に投げ付ける。恥ずかしさを紛らわすための攻撃などノーコンに等しく、避ける迄もなく俺の左隣の壁に当たって落ちた。カコン、と小気味良い音が響く。天秤はその音に感動し喜んでいたが、その両親は相変わらず固まったままだった。自慢じゃないが俺はこのカミさんの裸なんて出会ってから一度も見たことがない。夫婦なんて名ばかりで、プラトニックな関係さえも築いていない幼稚なただの男と女だ。コウノトリか運んできたか、あるいはキャベツ畑から収穫されたか、不自然的な形で生まれてきた子供は男女の愛の結晶とは無縁あり、さらにいえば彼女が腹を痛めて産んだわけでもない。それでも彼は普通の子供と同じように家族はなんでも分け合う存在だと思い込んでいる。

「イヴェもいっしょにはいろ!」

と、なんの違和感も察しず無邪気に誘うのが良い例だ。それを知っているから俺は自然と顔が引きつったし、ローランサンは耳まで真っ赤にして天秤の口を塞いでいた。その理由も分からない天秤は、みんなで入ったほうが楽しいとごく当たり前のことを平然と言ってのける。彼にとっては夫婦が別々に交代で自分を風呂に入れることが不自然なのだ。彼の疑問はどこまでも正論だった。

(…無垢って恐ろしい)

引きつった笑みをもとに戻すことはできなそうだ。ここで、ローランサンは女だし俺は遠慮すると言ったらどうだろう。きっと天秤は楽しみを奪われた哀しみに、その大きなオッドアイから素直な感情を零すだろう。簡単に想像できた。何故なら俺は天秤の父親なのだから。
答えを求めるべく母親にちらりと視線をやると、相変わらず真っ赤な目でこちらを見上げていた。子供の欲求と自分の羞恥心を秤に掛けているのがよくわかる。彼女は何かを考えると寡黙になるのだ。ぶくぶくと湯に息を漏らしながらゆっくりと思考し、若干秤の揺らぎを感じたらしく、俺と目が合うとこくりと小さく頷いた。俺はどんな顔をすれば良いのか分からず、とりあえず脱衣場からタオルを引ったくってローランサンに投げ付け、自分はそのまま風呂に入った。少しだけ湯が溢れて床を濡らす。ああ、また掃除しなきゃと溜息をついた。というかそうしなきゃやってられなかった。

「サンとイヴェがいっしょなの、はじめてだね」

「…そうだな」

初めてだから色々抵抗があるのを察してくれ、と天秤に伝わることがないことを知りつつ俺は嘆く。

「だから、いつもよりあったかい」

天秤は気持ち良さそうに縁に肘をついて和んでいた。幸せそうに口元が緩んでいて、この時間を心底楽しんでいるのだと感じる。時間を大切な人と共有することはとても温かいことなのだと、この幼子は生まれたときから気付いていた。
彼を挟むようにして、ローランサンと俺は狭い湯槽の中視線を合わせる。タオルを胸元に押しつけた彼女が、仕方なさそうに笑った。それにつられて俺もはにかむ。温かいのは天秤だけじゃないんだし、まあいいか。
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